1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/7
そんなことはやめてくれないか
4・1・7
本日1月7日は、七草粥を食べる日である。
【七草がゆ・七草粥(ななくさがゆ)・七種粥とは、人日の節句(1月7日)の朝に食べられている日本の行事食(料理)である。
概要
春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って1月7日に食べられる[1]。正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われる。
この行事は、平安時代には行われていたが、室町時代の汁物の原型ともされている。
七草がゆの由来については、一般に6世紀の中国古典『荊楚歳時記』に、七種菜の羹を正月七日に食べる風習が記されている点が指摘される。これに類似する風習は古い記録にみられ、『西京雑記』や『金匱録』七禽食方によれば、正月上辰日(月最初の辰日)に特定の植物を食べたり粉末にしたりする風習が各地で行われていた。『荊楚歳時記』の七種菜の羹を正月七日に食べる風習は、これらの遺風であったようである。日本の『御伽草子』七草草子で辰の刻に七草粥を煮るとされるのは、かつて上辰日に行われていた風習の名残らしい[2]。なお、正月七日に七種の食材を食べて健康を願う風習は中国にも残っている。・・・】
其れに、昨日告げられて来た「2001年が大事」との事から、21世紀を調べると次の様に載っている。
【21世紀(にじゅういっせいき)とは、西暦2001年から西暦2100年までの100年間を指す世紀。3千年紀における最初の世紀である。 ・・】
フリー百科事典『ウィキペディア』2022/1/現在
今朝のビジョンには、洋服を澤山吊るして売っている40歳位の男性の存在が映し出されて来て、其の男性は、隣の家との堺に塀等の壁・仕切りを造らず、其の空き地を共有で使っているとの事が示されて来た。
次に、白い服を着ている長身の女性が登場して、其の女性は「男勝り」と言える様な感じで、刃物を使う事や、研ぐ事も上手である事が示されて来た。
其れに、其の女性には十歳程の双子の息子が居り、其の息子は二人とも絶対に他人に頭を触らせないとの事で、其の二人の毛髪は伸び放題であり、何故か其の真上に伸び上がっている二人の毛髪は、神の光を受けて白く光り輝いているのである。
其れを聞いた洋服売りの男性は、自分が散髪をするとの事なので、床屋の腕前も持っている事が判った。
其れで、何故か私が、其の双子の兄弟と母親を男性の家に案内すると、其の男性が散髪を行う道具を庭先に準備しており、椅子に息子達に座れと云うと、其の双子の息子達は何の抵抗も示さず、素直に其の男性の言葉に従って居た。
其れから、現在の日本社会らしき世界が映し出されて来て、方々に空き缶や塵が捨てられている場面や、湧き水を汲む所に置かれている賽銭箱が荒らされたりしている様子・場面が、映し出されて来た。
そして、「そんなことはやめてくれないか」との言葉が一言告げられて来たので、其れを「そんな事は止めてくれないか」と漢字を使って記憶しようと意うと、漢字を当てては駄目である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時14分から15分」に成る所であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた「7時14分〜15分」の数字から「7月14日・15日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/14本来なら7月14日の日付は、神道で「夏・秋禊ぎ」の日であり、七夕から七日目に一家の主(部族の長)が清水で禊祓いを行って、夜に先祖の霊魂と直会を行う日である。
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に様々な木々の梢が吹いて来る風にそよいでいる様子が映し出されて来た。
そして、眠ってからのビジョンには、東南向きの海岸の入り江の景色が映し出されて来て、其の入り江の部分に盛り土をして、木々を植林する許可が下りる様子が示されて来た。
そして、其の事に屋久島の祇園精舎(薬草園)の管理者である「小林竜也君」に関係が有る事が示されて来て、其の許可が下りる条件に「五 七 五」の数字が関係が有る理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時24分」であった。
其れから再び眠ると、龍神の背骨の存在がイメージされて来て、其の背骨の痩せた部分に肉盛りをしなければ成らないとの理・ことが理解されて来た。
其れで私は、「五 七 五」の数字は、俳句の「5+7+5=17」の文字で世界を意味しており、「小林竜也」との名前から「小林一茶」と「龍神」の事を連想し、仏教で言う所の「不立(龍)文字・ふりゅうもんじ」の世界・言霊の世界が示されて来ているのだと意った。
其れで起きてPC前に座ると、時刻は5時31分であり、縁側の正面の庭木の間に「東・木+日」の象形文字の景色が起きていた。
其れからPCを立ち上げ、先ず「小林一茶」を調べると、「宝暦13年5月5日(1763年6月15日) - 文政10年11月19日(1828年1月5日))」と載っているので、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日(旧暦5月5日)は小林一茶の生誕221年の日であった事に成る。
其れに(1828年1月5日)の日付は、一昨日の「完熟した魂魄」に記した事と符合してもいる。
「其れからパソコンを立ち上げ、先ず起こされた「1時5分」の数字から、今年の1月5日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/1/5「神の奥義」https://green.ap.teacup.com/20060818/5602.html
其れを考えると「一茶」の名前は、茶道の世界を重要としていた土肥無庵の御魂が背後に在るのかも知れない。
其れから、今年の4月24日の文章を視て見ると、次の様に記して有り、「こころのおきどころ」の文章が貼り付けて有るので、今朝のビジョンは、昨日の続きである事に成り、早速「こころ&こころ」の作業が始まっている事に成る。
21/4/24「炎の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/5713.html
「こころのおきどころ」との言葉は正に、昨日のメッセージで私に残された課題が「こころ&こころ」であった事に直結している事に成る。
其れで「古語林」で「こころ」を調べると、次の様に載っている。
@人間の精神作用の根源。また、そこから生まれる精神の働き。㋐精神。心。意識。肉体に対する精神の意。㋑感情。心情。気持ち。気分。㋒意思・意向。㋓思慮。考え。判断。㋔心構え。注意。用心。予想。㋕愛情。恋心。思いやり。情け。㋖誠意。㋗性質。気質。気位。㋘内心。本心。心底。㋙意図。しめし合わせる気持ち。㋚趣向。工夫。風流心。A転じて、物事の内部の事情。・・・と、数ページに渡って記されている。
此の「こころ」の冒頭の説明からしても、「こころ&こころ」との言葉・世界は、此れまで唯「こころ・心」の一言しか認識されてなかった私にとっては、厄介な課題が残った・残された事に成る。
此の、今の私の反応を神(はたらき)は予想・認識していたからこそ、今朝のビジョンが示され・送り付けられた事に成り、「風による木々の梢の揺れ・言の葉。」「海岸の入り江・盛り土」「小林・竜也」「575・俳句」とのビジョンで、入口・門口を絞って来ているのであろう。
取り敢えず、此処までの私の認識範囲で過去の文章を検索すると、次の文章が有る。
キー「心 こころ 意 言葉」
18/8/1・・此の「しめなわ・七五三縄」の事からすると、今朝の映像に幟用の旗竿二本が、長い紐で括られた儘であった事と、直会(なおらい)の様な集いが行われていた事は、日本の伝統文化と謂うか、精神の基本的な理・ことが示されて来ている様である。
「粋心」との単語は、有りそうなのだが、辞書には載ってはいない。
*「粋・スイ」【解字】形声。「米+卒」音符の卒は、まったい(完全)の意味。完全に精米した米の意味から、まじりけがないの意味を表す。【字儀】(一)@まじりけがない。「純粋」Aもっぱら。専一。B完全。かけるところがない。質がよい。また、その部分。最も良質で純粋な部分。「精粋」(二)くだける。くだく。国語。スイ。いき。⇔野暮。㋐世態人情に通じていて、ものわかりのよいこと。㋑遊里や芸人の社会などの事情に通じ、動作が自然とその道にかなっていること。
*「心・シン」【解字】象形。心臓の象形で、こころの意味を表す。心を音符に含む形声文字に芯などがある。【字義】@こころ。㋐精神。知情意の本体。考え。気持ち。「小心」「愛国心」㋑意味。㋒おもむき。A心臓。また、胸。「強心剤」Bシン。㋐まんなか。中央。「遠心力」「天心」㋑中心に入っている物。芯。㋒物事の重要な部分。「核心」
漢語林より
今朝のメッセージの映像で、神殿の入り口の様な場所に、青色の人の形が三体並んで立って居る場面が映し出されて来たのは、新しい御世創りに三体の神霊が降りて来る事が示されて来ているのであろう。
其れは新しい御世を創造する為には、神の意識を宿した人物(霊留・ひと)が必要であると謂う事であり、其れは一体では駄目だと言う事である。
其れを考えると、先ずは、「粋心・スイシン・まったいこころ・まじりけのないこころ・完全な心」の人物が必要であると言う事になる。
其れは、物事の在り様を、根本的に把握している人物の事なのであろう。
そして、其れが真実の武士道に有り、其れが、私が長い間探し続けている日本の宝であると謂う事である。
「粋心」https://wave.ap.teacup.com/20060106/840.html
02/12/17・・「2」の場面は、「文」の文字が自分の肉体と一体となっており、自分の気持ちが胸の所にある理・ことが自覚されて来た。
「文」は、日本語で「あや」と読むように、自分の気持ちを言い当てている。
「あや」は「物の面に表れた さまざまの線や形の模様、特に 斜めに交差した模様、綾。 人間の気持ちが様々に変化する事から、「心のあや」とも使用する。
漢字の「文」の成り立ちは、「甲骨分― 金文― 篆文」で、「人の胸を開いて、そこに入れ墨、模様を書くさまにかたどり、模様、あやの意味を表す。」とある。 意味は「あらわれ、のり法律、礼儀」までもが含まれている。
「文・ブン・モン」【解字】象形。人の胸を開いて、そこに入れ墨の模様を書くさまにかたどり、模様・あやの意味を表す。文を音符に含む形声文字に、彣・紋・雯などがある。【字義】@あや。模様。かざり。いろどり。外見の美。外観的装飾。Aあらわれ。現象。Bすじ。すじみち。Cのり。法律。礼儀。D文字。Eことば。語句。文句。Fことばをつづって、まとまった意味を表すもの。特に文章をいう。
Gふみ。書いたもの。文書。書物。手紙。H学問。芸術。道徳文化。↔武。
Iよい。美しい。みやびやか。J仁徳。めぐみ深い徳。」
漢語林より
私の精神が、胸のセンターに強く納まり、其れを意識が認識していた事になる。
人間の気の持ち方が、胸の中心に存在する事は、古代の人々には常識だったのだろう。
だから「心・ココロ」の日本語の意味である「コロコロ変化」する気持ちを定める為に、自分にとって一番大事な「文・おもい」を印として、入れ墨をしたのだろう。
「文」は、言葉そのモノなのである。
漢字の「言」は「入れ墨をする針と口(言葉)」の組み合わせで出来ている事からも、文字と言葉の成り立ちにも、共通性が見えて来る。
私は、其の意識の源点に、今朝辿り着いていたのだろう。・・・
「文・あや・おもい」http://wave.ap.teacup.com/20060106/93.html?rev=1
17/8/2本日8月2日の日付は、私の両親が屋久島に渡る為に、鹿児島港から船に乗った日である。其の時、私は母親のお腹の中に、3ヶ月の命として存在しており、今日で71年が経過する事になる。
今朝のメッセージの映像には、昭和の時代に印刷された、厚さがそれ程無い、モノクロの雑誌が一冊映し出されて来た。
私が、其の雑誌を読み始めると、其の文章の内容が、モノクロ映画として映像化されて来た。
其の映画は、ドキュメントの様な物で、出版会社の様な業態の建物が映し出されて来て、30歳代の男性三人と女性一人が、日本の文化を一冊の本に纏めて行く様な場面であり、其の作業の段階では、テーブルの上に和歌が書かれた紙片が山積みに成っており、其の人達が、其の紙片を一枚一枚丁寧に調べて居た。其れから、男性達は方々に取材に出掛け、其の範囲の地図が映し出されて来て、地図の右上の方が、奈良県(大和・倭)の県境に成っていたので、関西地区が活動の中心である事が理解された。
其れから、部屋に残って居た女性が、最初に映し出されて来た本を閉じて、「此の文章を あそこまで映像化出来ましたね」と云った。
其の女性の言葉で、私が観た映像は実際の映画ではなく、私が文字文章を読む事で、自分の頭の中に想像した映像である事が理解されて来た。
そして、其の女性の存在を確かめ様とすると、其の女性の姿は消えており、後ろから女神の声で、「貴方の映像化能力は 流石ですね」との意味の事が告げられて来た。
其れで、私が後ろを振り向くと、後ろの壁が透明なガラスに成っており、其ガラスの壁の中央部分に、部屋の光線を受けて白く光っている丸い部分が有るので、私は隣の部屋に其れが有るのかと思って、隣の部屋に行って其れを確かめると、其れは黒いシルエットで形が確認でき、其れは人間の心臓の形をしている物である事が判った。・・
此の繊維の漢字の意味から、今朝のメッセージの全容が理解されて来た。
其れは、簡単に謂うと、日本人の意識が「繊(かぼそく)」成って来ていると言う理・ことであり、其の為に天地との「維(つな・むすび)」が切れ掛かっていると言う事である。
そして、その事が、碁盤の細い線上に並んでいた〇の印であり、其の〇の中に正しい日本語(大和言葉)を入れなければ成らないと言う事なのであろう。
16/2/24「天地間を結ぶ情報システム」http://green.ap.teacup.com/20060818/3767.html
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に、一冊の日本語の古い本が映し出されて来た事に関係が有り、其の出版元で、日本の伝統文化である和歌が書かれた紙が山積みに成っていた事が理解できるし、奈良県(大和・倭)の地図が示されて来た事の意味も判る。
そして、私の背後から「貴方の映像化能力は 流石ですね」との女神の声が聴こえて来て、私の背後のガラスの壁に、人間の心臓が嵌められていた事の理由も解ける。・・
其れを考えると、昨年6月19日に映し出されて来た、天空を両翼にする女神が、私に三個の「タルト・宝珠」が載った皿を渡したのは、其の「虚空蔵菩薩」と同じ存在(はたらき)であるのではないだろうか。
其れに、今朝のメッセージで後方から、「貴方の映像化能力は 流石ですね」との女神の声が聴こえて来て、私が後ろを振り向くとガラス製の壁に、心臓がはめ込まれていたのは、人間の心臓(こころ・ハート)が、其の虚空蔵菩薩に直結している事に成り、マヤ・アステカ文化で、生きた人間の心臓が神に捧げられていた事の意味も、理解できそうな気がする。
其れは、穢れの無い人間の心臓(こころ・ハート)こそが、宇宙意志にチャンネル可能なシステムであり、其の心臓は一点の曇りも無い「ガラス・水晶・石英・珪素・シリコン」の世界に、置いて措かなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
「心・シン」【解字】象形。心臓の象形で、こころの意味を表す。心を音符に含む形声文字に芯などがある。【字義】@こころ。㋐精神。知情意の本体。考え。気持ち。「小心」「愛国心」㋑意味。㋒おもむき。A心臓。また、胸。「強心剤」Bシン。㋐まんなか。中央。「遠心力」「天心」㋑中心に入っている物。芯。㋒物事の重要な部分。「核心」
漢語林より
01/3/22「人間の多面性」http://moon.ap.teacup.com/20061108/98.html
09/8/16「心臓のカルマ」http://green.ap.teacup.com/20060818/1242.html
15/7/12「根本精神」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3527.html
16/10/2「酉の時・トリのトキ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
今朝女神が告げて来た、「貴方の映像化能力は 流石ですね」との言葉は、文字文章を頭で映像化する能力の評価であるが、其れは反対の、此の三次元世界の現象である相対的世界を、文字文章に変換する能力と対に成っている世界であり、其れが両方とも巧みでなければ、統尊(すめらのみこと)の御嚴(みいつ)は出来ないと言う事なのであろう。
其れを知らせて来たのが、今朝のメッセージの映像で出版会社の部屋の台の上に、山積みに置かれて和歌の紙片であったのだろう。
何故なら、詔勅(みことのり)を発する事が天皇の役割りであるので、天皇家の役割りは、和歌の伝統である「敷島の道」に精通していなければ成らないからである。
07/12/11「和歌(こたうるうた)」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1035.html
08/5/30「祝詞の言葉」 http://green.ap.teacup.com/20060818/766.html
13/1/14「言霊の会」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2562.html
17/2/24「昭和天皇の御大喪の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4157.html/4157.html
「日本人の心」https://wave.ap.teacup.com/20060106/770.html
02/4/1・・自然の中で戯れる事で、自分が、偉大な世界に包まれている理・ことを実感出来れば、現代の人間社会が、如何に、小さい世界であるかが解かって来る。そうなれば、自分の世界、生きる道を、探そうとする自立心が、芽生えて来るのではないだろうか。
特に、此の日本国の国土は、森や水の環境に恵まれ、其の豊な自然環境中で、皆が共同作業をして社会を築いて来ている。其の点、放牧民族の文化や、海洋民族の文化では、此の病んでいる国の社会は救えないであろう。
日本の文化は、「大和心・やまとこころ」として伝えられて来た様に、「山と 大きく和した心」の文化である。
此の国に生まれ育った人間が、早く目覚めて、地球環境や人心を救う為に、立ち上がらなければならない。其の為の「頑張り」であれば、全ての人々の一致団結が、図れるのではないだろうか。
未来とは、科学が発達する事で、人間の心が失われるのではなく、人間と大自然の「関係性・むすびつき」が、理解され、心豊な時代を完成させる事である。・・・
「源質」https://star.ap.teacup.com/170606/367.html
16/10/21・・其れは、今朝のメッセージの映像場面に、私が直接関わった事実が無いので、其れは、私自身の記憶や思いではないと言う事であり、何者か意識が、私の「意識・ゆめ」の中で、働いていると言う事であり、其れが誰なのかと言う事である。
其の事を考えると、災害に遭った人間や、土地・環境の事に、気を使っている「人物・御魂」が何者であるかを、考えなければ成らないと言う事になる。
其れは、釈迦牟尼佛の「衆生一切わが子」の言葉を思い出させるモノであり、崇神天皇の御言葉に、民が夕餉を作る竈の煙が立ち昇る様子を詠った言葉が有る事と、関係が有るのではないだろうか。
其れを考えて、今朝の文章の題は「おおみこころ」とした。
【大御心】
読み方:おおみこころ・おおみごころ
(1)天皇の御心、お考えを敬って言う語。「おおみこころ」と読む。
(2)明治神宮に設置されている独自のおみくじ。吉凶を占うのではなく、明治天皇の御製をはじめ皇室で詠まれた歌とその解説が記されている。「おおみごころ」と読む。 三省堂 大辞林・・・
「おおみこころ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4026.html
00/11/20「霊留・ひと」https://wave.ap.teacup.com/20060106/237.html
06/11/13「お陰様で」https://white.ap.teacup.com/miitu1223/555.html
03/7/22「固定された時間と流動的時間」https://moon.ap.teacup.com/20061108/462.html
13/8/26「真言の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/2790.html
18/12/12「宗教は最大のカルマ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4835.html
19/8/26「123神示から234神事へ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5096.html
今朝のビジョンから、私に考えられる事・受け取る事が出来るのは、故「白川静」氏が謂っている「漢字は神とのコミュニケーションの為に創られた物である。」との事や、密教の本尊「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真理の本体)」が「身口意」であり「マントラ」の意味が「言葉は考える為の器である」との事と関係が有り、人間の「文・おもい・意」が弱くなれば、一昨日のビジョンに映し出されて来た宇宙空間の中央に螺旋状に躰を巻いていた羽毛が生えた「大蛇・龍神」は動き出せないとの理・ことである。
キー「真言 マントラ 大日如来・マハーヴァイローチャナ」
13/8/26・・・其れに、「マン」の考えるとの意味は、英語の「人間」を意味する「マン・man」と同じ概念であり、英語の「マン・man」の意味も、語源は「考える者」との意味だそうだから、マンの語源の元は同じ所から始まっている様である。
其れに、白川静氏の解釈では「言葉」の「言」の漢字は「辛+口」の組み合わせで、「口」は言葉を書いた札を入れる容器の意味だとある。
其れは、品格の「品」の漢字が、王様から貰う褒美の皿・容器が三つの意味であり、昔王様から貰う褒美が一品・二品・三品・四品の順位が有り、王様から品貰う人間が、資格が有るので「品格」の言葉が生まれたらしいのである。
だから、口が容器であり、サラ・トラの意味である事は、間違い無いだろう。
其れは、漢字の「吾」が「五+口」の組み合わせで、五は籠の意味で、その籠に神の言葉を保存して護る人の意味であるので、私の役割は正に「我・私」ではなく「吾れ」であるとの事になる。
大日如来とは、「マハーヴァイローチャナ」の訳で「宇宙の真理の本体」との意味であり、其れを現す言霊は梵字の「阿・あ」である。其れは、日本の神社の鳥居の前に置かれている、左右の高麗獅子の、右側の阿と同じものである。
大日如来の存在を、三つに別けたものが三密である。三密とは「身・意・口」の三である。
一、宇宙のあらゆる物の現れは大日如来の身体である。
二、其の身体には意志が存在する。
三、故にその現れである人間は、其の意志を言葉に出来る。と謂う世界である。
だから大日如来は、言葉其のもので現されているのである。・・・
「真言の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/2790.html
04/9/21「悟りの範囲を増す」https://moon.ap.teacup.com/20061108/506.html
09/1/2「大覚陀羅尼」https://green.ap.teacup.com/20060818/997.html
09/1/4「地球の管理」https://green.ap.teacup.com/20060818/1000.html
09/6/2「地球を護る」https://green.ap.teacup.com/20060818/1164.html
14/9/10「新しい文字の概念」 https://green.ap.teacup.com/20060818/3190.html
18/5/19「不動明王の働き」https://green.ap.teacup.com/20060818/4624.html
19/3/20「天地鳴動」https://green.ap.teacup.com/20060818/4935.html
19/9/22「全知全能の神の使者」https://green.ap.teacup.com/20060818/5123.html
21/5/13「描写から言葉が生まれる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5732.html
これ等の事から考えると、やはり誰かが宇宙・事象の中心に存在する「羽毛が生えた蛇」を動かす・立ち上がらせる為に、「真言・マントラ・大覚陀羅尼・祝詞」を唱えなければ成らないとの事なのであろう。
キー「不立文字 ふりゅうもんじ」
08/12/14「物の形が消える」https://green.ap.teacup.com/20060818/982.html
此の「物の形が消える」の文章には、次の様に記して有る。
「・・今朝のビジョンは、私の意識が、火や水の「区別・分別・ふんべつ」から離れ、無の世界に還った事を意味し、新しく、龍の意志に包まれて、新たな言葉の概念を生み出す事に成るのを、示して来ているのかも知れない。其れは、私が赤子として、再びロゴスの世界に誕生し、龍の産着に包まれるとの意味なのかも知れないのである。・・・」
との事からすると、確かに私は、新次元の事象の産着に包まれて、穢れの無い純粋な言葉・言霊を紡ぎ始めなければ成らないと言う事であり、其の為に昨日「こころ&こころ」の言葉・キーが示されて来た事に成り、私は正義の女神ユノーが手にする天秤を使い、日本語の「こころ」を左右の脳(タオの原理)で図って行かなければ成らないとの事なのかも知れない。
キー「和歌 俳句 5・7・5 短歌 31文字 背骨」
10/9/9其れに、今朝私が感じた事は、大山祇神は七回半トグロを巻く形で、日本だけではなく、エジプトや、インドや、アステカで表現されているが、今朝のメッセージで「舞光が 背骨に線を引いている」との事は、其の螺旋が解かれて龍・大蛇の身体が、真っ直ぐに伸びる事に成る。
其の様に考えると、ようやく「白山菊理姫」が動けると言う事ではないだろうか。
日本の和歌「俳句575=17文字、短歌57577=31文字、31ー17=14文字」は、人間の背骨の仕組み24(7+12+5)と関係があり、人間が感動した時に、背骨を電気が走り、ゾクゾクする事と関係が有る。・・・
「背骨に筋を通す」http://green.ap.teacup.com/20060818/1661.html
18/7/8・・要するに、言葉を司る屋台骨である「脊椎・脊髄・脳幹」の健康を保たなければ、軸が歪んでしまい「真実・真理」を言祝ぐ言霊(ことだま)が紡ぎ出せないと言う理・ことなのである。
そして、其の事が確立されていなければ、「祝い主神・伊波比主命(いはひぬしのみこと)・経津主神(ふつぬしのかみ)別名斎主神(いわいぬしのかみ)」の役割を果せないと言う理・ことなのであろう。
『まことにそうである』男神
『貴方は 其の理に辿り着いたのです。ですから もう何も躊躇する必要は 無いのですよ。』女神
17/10/31「枝傍山」http://green.ap.teacup.com/20060818/4418.html
17/7/8「紙魚たちよ語り部になってほしい」http://green.ap.teacup.com/20060818/4298.html
本日「脊椎・背骨」の事が示されて来たのは、昨日告げられて来た「此の喜びを椎交わそう」との言葉と関係が有り、人間の真の喜びは、脊椎を流れる気(プラーナ)に有ると謂う事なのかも知れない。
其の様に考えると、やはり「禅・ゼン」の言葉・世界は、非常に大事であると謂う理・ことになる。
「文章を止めるのは誰だ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4674.html
今朝の文章の題は、新しい御世を創造する役割を担っている「羽毛が生えた大蛇(ククルカン・ケツァルコアトル、大山祇神)」を動かす為には、「心の御柱」を立てて、強い意いの言霊を通さなければ成らないと考えたので、背骨を強靭にしなければ成らないので、「こころを盛る」とした。
「こころを盛る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5863.html
2021/7/15今朝のビジョンには、天才的な十代の女子が登場してITを巧に使って世界中の若者の心を捉えて行っている様子が映し出されて来た。
其の女子の存在は、文章は完璧な物であり、立ち振る舞いも容姿も非の打ち所が無い存在なので、誰一人批判する者が居ないので、立ちどころに世界中の若者を魅了して行っているのである。
私の意識が、其の文章に目を通して行くと、確かに、文句の付け所が見付からない内容である事が判り、其の女子が大人に成れば、世界中の人間・社会を統一できると感じた。だが、其の完璧な文章から、私は其の女子には未だ「こころ・憂い」が無い事を理解した。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時18分」であり、其の数字は、私が1983年3月18日に「土肥無庵」に找し出された日付けである事を意った。
其れから再び眠ると、「黄帝」との言葉が示されて来た後に「たかやす」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「6時10分」であった。
其れからPCを立ち上げ、「3月18日」と「6月10日」の文章を視て見ると、次の様に記してある。
21/3/18「万物を管理する意識体」https://green.ap.teacup.com/20060818/5676.html
此の文章には、次の様に記して有るので、昨日の「こころを盛る」のメッセージの続きである事に成りそうである。
「・・恐竜や鳥類も哺乳類と同じく背骨・脊髄を有しているので、其の背骨・脊髄の存在こそが、「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」の神(はたらき)と関係が有り、其の背骨・脊髄の存在・つながりこそが、海から誕生した「スサノオ・苆の緒・生命の鎖」である理・ことを思った。・・・」
21/6/10「神(はたらき)と人(ひと)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5787.html
此の文章の内容からすると、私は「土肥無庵」に找し出されてから、人間社会への関わりを全て断ち切って、意識・こころを空無にし、4300体に体を貸して、様々な体験を積み、「宇宙の神秘」と「人間である自己」との関係性を探り始め、今日に至っている。
其の事を考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た女子の存在は、「人工知能・AI」が創り出している理想的な世界であり、事務的作業で描き出された存在・モノである事に成りそうである。
其の様に考えると、「人工知能・AI」には「こころ・憂い」が無いと言う事に成り、人工知能・AIの世界には限界が有り、「こころ&こころ」の世界・テーマは、人間自身が精神統一をして「遺伝子・DNA・本能」の「鎖・苆(すさ)」を螺旋状に辿って「久遠実成・くおんじっじょう」の世界に覚醒して、其処から「心の御柱」を立ち上げなければ成らないと言う事であり、矢張りY染色体の系譜(御祖神・みおやかみ)でなければ、未来創造は不可能であるとの理・ことが示されて来ているのであろう。
12/3/3・・何故なら、「すさのお」とは「苆の尾・穂」で「スサ・苆」とは「艸+切」で土壁にヒビが入って崩れない様に、藁や草を刻んで混ぜる物の意味であり、神社で使われる「御幣(ごへい)・紙垂(しで)」と同じ様な物であるからである。
「須佐之男尊、素戔嗚尊」は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が小戸のあわぎ原で禊ぎ祓いをした時に、イザナギの鼻から生じた神・はたらきで、海原を治める役割を担っている。其の海の概念は、生物が「うみ・産み・海」から生み出された理・ことを意味し、「苆の尾・苆の穂」とは生物の拡散、生命の鎖の事を意味しているのである。だから、動物で言えば狐の「尻尾」の形態であり、植物でいえば「穂」の形状を言い表しているのである。
そして、神社の三種の神器で言えば、胎児の形を現す「勾玉・まがたま」に当たる。・・・
「すさの穂の働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2234.html
18/6/10「ブッダの母神」https://green.ap.teacup.com/20060818/4646.html
04/11/8「スサノオの記憶」https://star.ap.teacup.com/170606/58.html
09/5/1「生命の年表図」https://moon.ap.teacup.com/20060103/246.html
09/9/4「籠目・かごめ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1261.html
12/8/23「役・えき」https://green.ap.teacup.com/20060818/2414.html
13/3/10「壽・みどり」https://green.ap.teacup.com/20060818/2618.html
14/8/23「苆の尾の帰命」https://green.ap.teacup.com/20060818/3172.html
14/11/9「意識の乗り物」https://green.ap.teacup.com/20060818/3256.html
15/10/10「スサノオと神獣達」https://green.ap.teacup.com/20060818/3621.html
17/8/5「最初に科った物」https://green.ap.teacup.com/20060818/4327.html
18/1/8「くしみけぬのみこと」 https://green.ap.teacup.com/20060818/4490.html
日本語の「こころ」とは、「コロコロ変わるもの」との意味であるので、五感に因る「感情の揺れ」を示唆している事に成り、何かが起きれば心臓のリズムが変化するので中国では「心」の象形が充てられている。
其の事を考えると、新しい「言葉・概念」を創り出さなければ成らない事に成る。
其れに、現在充てられる言葉・単語は「精神」であろう。
せい‐しん【精神】 の解説 国語辞典より
1 人間のこころ。また、その知的な働き。「健全な精神」
2 物質に対し、人間を含む生命一般の原理とみなされた霊魂。たましい。
3 物事をなしとげようとする心の働き。気力。「精神を鍛える」「精神統一」
4 物事の基本的な意義・理念。「憲法の精神」
5 ある歴史的過程や共同体などを特徴づける意識形態。「時代精神」「民族精神」
其れを考えると、今朝示されて来た「黄帝」との文字と「たかやす」との言葉は、「精神・こころ」の在り方のヒントが示されて来ているのではないだろうか。
こう‐てい〔クワウ‐〕【黄帝】 の解説 国語辞典
中国古代の伝説上の帝王。名は軒轅 (けんえん) 。神農氏のとき、暴虐な蚩尤 (しゆう) と戦って勝ち、推されて帝となった。衣服・貨幣・暦・医薬・音律などを定めたという。五帝の一人。
此の説明からすると、「たかやす」との言葉は、平成元年5月3日・憲法記念日に告げられて来た「嵩靖(高き所に立ち国をやすらかにする)」との言葉と関係が有り、1947年1月29日に父親の頭に告げられて来た「自適」との言葉と対に成っているのかも知れない。
何れにしても、起きている時に扱う「人工知能・AI」では「瑞穂の国造り」は出来ないと言う事であり、眠って居る時にチャンネルして来る「羽毛の生えた蛇」との共同作業・意識の共有が、必要不可欠であるとの理・ことなのであろう。
其の為には、心臓の心拍数を「寺・止+寸(止まって右手の脈泊を左手の親指ではかる)時(日+寺)」する事を、通常の習慣としなければ成らないと言う事なのであろう。
其の為には、静かな「いき・息・呼吸」を維持しなければ成らないので、「長息・ながいき」をして、其の理・ことを「息子」や「むすめ・娘」に傳え残さなければ成らないと言う事になる。
「こころ&精神」https://green.ap.teacup.com/20060818/5865.html
此の二つの文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「髪の毛」が「神の毛」の様に光っていた「双子の息子」の存在が、「絶対に他人に頭を触らせない」との事は、キリスト教の信徒・信者が赤子を教会に連れて行って、神父に頭を清めて貰う行為は「清め」ではなく「穢れ」に成って、聖霊・神霊が離れてしまうとの理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
其の事を考えると、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵が、私に謂った「子供は7歳に成る迄 絶対に他人に抱かしたり 頭を触らせたりしては成らない。7歳に成るまで衣食住を正して育てれば 7歳から子供自身が良し悪しを判断できるので 手放せば良い。」と、謂って居た理・ことに関係が有りそうである。
私は其の土肥無庵の教えに従い、息子を幼稚園にも行かせず其の様に育てると、小学校に入学してから先生の謂う事に従わず、先生や友達をコントロールし始めて居る事が確認出来たので、9歳で手放して18年ぶりに27歳と成っている息子に一度会うと、想像以上に立派に成長して居た。
2017/2/5今日は、27歳に成った息子と、18年振りに再会し、14時から18時まで食事をしながら色々と話した。
其の息子の姿勢と話の内容で、息子が順調に大人に成っている事を実感して、私は自分の生き方が、間違いではなかった事を理解し、「約束は守られる」と告げて来た天神(てんのはたらき)のメッセージが、正しかった事を理解し、感謝の意いが深いところに染み渡って来た。
再会した息子が、大手の会社に勤めて居り、其れに関する部署に配置されている事が判明したので、世界自然遺産に登録された、屋久島で産まれ育った私は、自分の情報を息子に与える(転写)事が出来ると思い、今後、親子の絆を強められる事を実感して、とても恵まれていると想った。
其れに、息子は、先輩に誘われて山岳歩きを始めており、書道や座禅の世界にも触れているとの事なので、私にとっては、完璧な息子に育っていると意い、是までの過去の苦労が、全て溶け消えて行く感覚を味わったのである。
「18年振りに息子と再会」https://wave.ap.teacup.com/894019/3623.html
日本の諺に「男女七歳にして 席を同じくせず」と有るが、今朝のビジョンに登場した双子の息子の母親は、腰に刃物を帯びており、現代では男子でも出来なく成って来ている、刃物を砥石で研ぐ事も巧であるとの事と、男性が洋服を売って居り床屋(美容院)の腕を持っている事を考えると、21世紀に突入して22年目に入っている現在・いま、過去の慣習を若者達に押し付ける事は、止めなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「そんなことはやめてくれないか」との言葉が、「事・言・止・辞」等の漢字を使っては成らないとの事は、塵や空き缶を捨てる事だけでは無く、「言葉・ことば」の使い方(命令・強制・不純・ハラスメント)の世界にも通じ、人間のあらゆる行為を示唆しているのであろう。
其の事を考えると、「そんなことはやめてくれないか」と言える事は、人間社会・人間の行動・行為・言動が、無限に存在する事は明らかであるので、其れを他人から指摘されない様に注意するだけで、此の人間社会は随分と改善される事であろう。
其の様に考えると、今朝起きた・起こされた時刻の数字に当たる日付の文章が、「こころを盛る」と「こころ&精神」である事の意味が、能く理解されて来る。
みいつ16年1月7日
礒邉自適
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