1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/10
遺伝子・DNAの保全
4・1・10
本日1月10日は、「事代主命・戎さん」の大祭日である。
其の事と関係が有るのか、9時49・10時11分前まで、ビジョンが映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、若い女性が右向きで赤茶系色の空間に、顔を此方から視て右側にして横に成っている姿・様子が映し出されて来た。
そして、人間が口にする水や飲食物を始め、環境汚染が進んでいるので、遺伝子・DNAの損傷が始まっている理・ことが示されて来た。
次に、男性の世界が映し出されて来て、現在・近代社会の人間の「思考・情報収集及び処理能力」が、本来の生命システムから外れてしまっている理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時23分」で長短の針が重なっていた。
其れから再び眠ると、今度は薄紫色の斑模様の明るい空間・天幕・スクリーンが映し出されて来た。
そして、9・99・999・9999・99999・・・と、9の数字にアクセスし思考を動かすと、其の空間に様々な情報が映し出されて来て、其の99999の世界は、永遠性を含んでおり、右向きに暗い空間・未来まで永遠に繋がっている理・ことが示されて来た。
其れで、私が其の999の数を意識で入力・インプット、アタックすると、様々な情報・世界が思考・脳内に映し出されて来るので、映画館のスクリーンを観ている様な感じで、長く楽しんで居た。
そして、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「9時49分・10時11分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、昨年の10月11日の文章を視て見ると、何と題名が「光は東方から齎される」であるので、本日で東洋の叡智が完成したとの事の様である。
2021/10/11今朝のビジョンには、先ず、世界地図が映し出されて来て、一番右側・東に存在する日本列島の所に、ガリバーの様に人間が上向きで寝て居る場面が映し出されて来た。
そして、其の人間が拡大されて来ると、其れは私の弟である故「農夫成・のぶなり」である事が判った。
次に、自然農法で有名に成った故「福岡正信」の下に、若い人々が集まって来る様子が映し出されて来た。
其れから、奈良市に存在する大倭あじさい邑の創設者である「矢追日聖法主」が夕方農作業を行って居る時に、見えない存在に頭を持ち上げられ、西空に沈む太陽から、東空に昇る満月に向かって光の帯が射す瑞祥が起きており、「黎明は訪れたり東方の光、大法は立てり大倭太加天腹」との言葉が告げられて来た出来事が示されて来た。
【東光大祭は昭和21年旧暦7月15日の夕刻、法主日聖師が東方の碑正面左下の土手で牛の草刈りをしていた時、天に瑞祥が現れ、天の声「黎明は訪れたり東方の光、大法は立てり大倭太加天腹」が聞こえてきた。このことを大倭教立教開宣の奇瑞とし、現大倭紫陽花邑がその本宮であると示されたのを記念する大祭です。】 http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/nengyouji.htm
そして次に、私が37年間に亘り続けて来た役割(御魂の思頼・みたまのふゆ)から、解放される事が示されて来た。
其れから「青の風」に関する歌が流れて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時15分」であった。
今朝は7時31分に起きてPCを立ち上げ、「3月15日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/3/15今朝のビジョンには、日本語の横書きの長い文章が映し出されて来て、最後の部分の行に「ひとのかたち」との文字が記されている事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であるので、私は其の数字を釈迦仏陀の命日である「2月15日」だと記憶して再び眠った。
すると今度は、私が仲間と酒を飲んでから、何処かの家に一人で泊まる事にすると、電気が点いている事を不審に思った中年の女性が二人、様子を視に来て、私である事を確認して帰って行く様子が、縁側のサッシ戸の向こうに見えた。
そして、翌日起きて本体の施設の方に挨拶に向かうと、其処は矢追日聖法主が創設した「大倭あじさい邑」の施設である事が判り、私は数か所の施設を廻り、話をして居る場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時40分」であるので、私は其の数字を「640・むしまる・虫〇」と記憶して再び眠った。
すると今度は、脱穀が済んだ稲藁の束の存在が映し出されて来て、其の稲藁は神社や玄関に飾られる「注連縄」や、十五夜の綱引きに使用される「大綱」を作る材料には成るが、肝心な稲作の目的である「籾・米・実」が着いていないので、本来の物では無い理・ことが示されて来た。
其れから、現在の世の中が「間違いばかりである」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、「7時45分・8時15分前」であった。
其の「7時45分・8時15分前」の数字は、昨日起こされた時刻と同じなので、昨日の文章(謎解き)が不十分であったとの事なのかも知れない。
其れを考えると、「640・むしまる・虫〇」との事は、虫達の生態が「全天候型」であるとの理・ことであり、人間社会は自然界の生物とは異なり、余りにも無駄な物・不必要な物が多く存在するとの理が、示されて来ているのかも知れない。
其れを考えると、2時15分に「ひとのかたち」との日本語が記されている文章が映し出されて来たのは、釈迦仏陀の「生命観」の遺言を示唆しているのかも知れない。
其の様に考えると、次のビジョンである、矢追日聖法主が創設した「大倭あじさい邑」の施設を視て回る場面は、大倭あじさい邑の存在が日本の福祉の雛形的役割を果たして来た事と関係が有り、人間社会の在り方を、部門的に点検仕直す必要がある理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
其の「矢追日聖法主」の大倭あじさい邑には「大倭神宮」が存在し、矢追家は熱心な「日蓮宗」であるので、「釈迦仏教」と「神道」の融合と言うか、並立を考えなければ成らないと言う事に成るのかも知れない。
其の様に考えると、昨日の「四・田×四・田=十六」と「思考・思念・思索・思案」の単語の世界は、丸い球(宝珠・玉龍)をチベットの曼荼羅の様に平面的な図柄に分解・区分して、視覚化する必要があるとの事なのかも知れない。
其れは、丸い地球儀で地球の様子を目視するだけでは、具体的な思考が出来ないので、地図・平面化(緯度・経度・位置・距離)する必要がある事が、参考と成りそうである。
其れを考えると、紫陽花邑の施設が病院・福祉施設から印刷工房・神社まで、13程の施設を備えている事と、今朝起こされた8時15分の数字は、矢追日聖法主に神の指示が下った日が、終戦日8月15日の昭和天皇の玉音放送の直後であった事と、関係が有るのかも知れない。
其れに、其の終戦日8月15日は「お盆」であり、大平洋戦争が始まった12月8日は「釈迦が悟った日」であり、戦艦大和が沈んだ「4月7日」は釈迦の「イブ・誕生前夜」であるので、釈迦仏陀に関する「日付・暦」は歴史の節目に重要な関係が有る事に成る。
05/4/8・・本日4月8日は、インドの「お釈迦さん」が生まれた日とされている。昨日4月7日は、その前夜祭と成るのだが、日本では、国の名である戦艦「大和」が、屋久島西方約230Kmの所(東経128度04分・北緯30度22分)に沈んだ日でもある。
不思議なのは、12月8日に真珠湾攻撃が行われて「太平洋戦争」の始まりと成ったが、其の12月8日は「お釈迦さん」の悟った日とされており、更に「お盆」の8月15日は、太平洋戦争の終戦の日である。
其の様に、太平洋戦争と、お釈迦さんの大事な日が重なっているのは、何か意味が有るのだろうか。
終戦日の8月15日には、奈良の矢追日聖氏に、世界の救済が此の日本から起きる事が、神に知らされた日である。
昨日、偶然に、矢追日聖氏の名でインターネット検索をしていたら、私の15年4月7日の文章「正傳矢追日聖」が出て来た。
何故、丁度に年前の、同じ日の文章を見せられるのか、不思議でならない。・・
「暦と出来事」http://moon.ap.teacup.com/20061108/332.html
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
其れを考えると、アステカの「メシカ民族」の思考システムは「時間・とき」は単なる時間だけではなく、全ての「現象・出来事が 多重構造で関係し合っている」との考えである事と関係が有り、「田×田=十六」との事は、縦横高さを含め、全てがバイブレーションしながら調和し合う事で、此の世界が「現象化・営まれている」との事に成り、其れを我々人間が認識する為には、「四・田」を三次元世界の「縦・横・高さ」に分類・仕分ける必要があると言う事なのかも知れない。
其れを考えると、私に何故「時」ではなく「紀(とき)のまつり」を行なえと、「紀」の漢字が使用されて来たのかの意味も理解されてくる。
「トキの正体」https://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
其れは、王家の後継者であった釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が全てを放棄して覚醒した事と、矢追日聖法主が17歳の時に、神が「やがて天皇家が地に落ちる時が来る。其の時お前が替わりを務めなければ成らない。」と、告げて来た事の結果が「大倭あじさい邑」で現実化している事にも成りそうである。
其れ等の事を考えると、3月10日に告げられて来た「縁源・えんげん」との言葉は、現在の人間社会の「縁・むすび」を、根本から遣り直さなければ成らないと言う事であり、其れは群れで生活する「蜜蜂や蟻」、其れに、教育も受けずに自分で材料を生産し、風向きと場所を調べ、一人でネットを完成させる「蜘蛛」等の生態を参考にし、人間も本来の本能・遺伝子・DNA能力を取り戻す必要が有るとの事なのかも知れない。
「縁源・えんげん」https://green.ap.teacup.com/20060818/5667.html
今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、現在の人間社会構造は「藁・わら・殻」だけであり、膨大な資材・資源・時間を注ぎ込んでいるが、「実・真実」が無い・収穫できないシステムに成っているとの理・ことであり、「天神」にとっては「骨折り損のくたびれ儲け」の状態に落ち込んでしまっているとの事なのかも知れない。
キー「老子 嗇(しょく)に しくはなし」
00/9/11私は、今朝の未明の霊夢で、天の網がロールで巻き取り始められ、大きく育ったモノだけが網の中に残り、後は何も無い、暗い無の世界に落ちていく映像を見た。
イエスキリストは、「神の 刈り取りの 時が来る」と云って居たと聞く。
その「時・とき」とは、一体 何時なのであろうか。
中国の老子は「嗇(しょく)にしくはなし」と謂っている。其れは、天の働きは「育てて収穫する。其れしか他には無い。」と謂う意味で、イエスキリストの云った理・ことと同じ様な理である。
老子の言葉に「天瀬恢々粗(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」と有る。其れは、「天の網は 網目が粗いが 何一つ取り落としはしない」と謂う意味である。
其れは、天の意は、人間が煙草の吸い殻や、ジュースの空き缶等を、捨てると言った、ほんの小さな行為でも、何一つ漏らさないで記録しているし、小さな親切でも、人は見ていなくても、天は視ていると言う理・ことである。
イエスキリストも「貴方達の 今日の髪の毛の数を 神が知らないと思うのか」と、神が全ての事を把握している理・ことを云っている。
仏教でも、人間が死んで彼の世に行くと、着ている服を脱がされ(どんな身分でもはぎ取られる)、素裸で其れまでの行状を調べられ、悪事の多い者は無間地獄に落とされると訓えている。
世界のどの宗教も、その人の行為は、あの世に帰ったときに評価されると、同じ理を訓えている様である。
処が、キリスト教の世界では、此の世の最後に審判が有り、生きている内に天国と地獄行きに分けられると言われている。
仏教では、釈迦の死後57億6000万年(今の暦では2600年で 其れは現在に当たるらしいが)後に、全ての人々が無明の世界に陥って迷うので、釈迦の弟子であった「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が下生して、人々を救うと伝えられている。
仏教では、最後の審判は無く、救いが有るとの考え方である。
今朝の霊夢は、審判なのか、救いなのかは、私には分からないが、何かが始まる事だけは、間違い無い様である。
全てが、証明される時節・トキが到来したのだろうか。
選ばれた人が、残ると謂うより、残る努力をした人が残ると、謂った方が適切だろう。
「刈り取りの時」https://star.ap.teacup.com/170606/480.html
00/12/31「神の摂理」https://star.ap.teacup.com/170606/486.html
00/12/20「良識」https://wave.ap.teacup.com/20060106/240.html?rev=1
01/9/5「凝・ギ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/366.html?rev=1
02/2/28「稲と水田」https://wave.ap.teacup.com/20060106/161.html
09/10/10「大日如来を育てる」https://green.ap.teacup.com/20060818/1300.html
「男・ダン・おとこ」の漢字は「田+力」の組み合わせであり、田は水田(耕地)の象形で、力は、大地を耕す男性の腕の力瘤(こぶ)の象形である。
だから男との文字は、机でPCや筆記用具を扱う者の事ではなく、自然の中で田畑を耕す健康な肉体の存在を現わしているのである。
其れを考えると、今朝告げられて来た「間違いばかりの人間社会」との言葉は、大自然の法則から外れて、室内で頭脳だけを使用している人間が創造する世界は、間違いが多いとの事が示されて来ているのであろう。
其れは一人で生まれ落ちて、自分の能力(遺伝子・DNA・本能)だけで生き抜き、子孫を残している虫達(虫〇)に比較して、「人×」であるとの事である。
「間違いばかりの人間社会」https://green.ap.teacup.com/20060818/5673.html
此の文章には「矢追日聖法主」の事が記して有り「ひとのかたち」との言葉と「地図・平面図」の事が書いて有るので、今朝の最初のビジョンに私の弟である故「農夫成」が登場したのは、其の「農夫成」の文字が関係が有り、農作業中の矢追日聖に天から「黎明は訪れたり東方の光、大法は立てり大倭太加天腹」と告げられて来た事が、「農夫」の存在・生活が天神の一番身近な存在である理・ことが示されて来ているのであろう。
其の様に考えると、此の文章に、老子の「嗇(しょく)にしくはなし・農夫の如し」との言葉が記して有る事も、連動している事に成る。
其れに農夫成がガリバーの様に寝て居た場所が、地図の右端にある日本列島であったのは「黎明は訪れたり東方の光」との言葉と関係が有り日本「日の本・東方・朝日が昇る国・夜明けが始まる国」である事を示唆しており、日本の呼称が「豊葦原瑞穂の国」であり、自然豊な農業国である事と関係が有る事に成る。
其れを強調する為に、自然農法で有名に成った愛媛県の故「福岡正信」が登場したのであろう。
93/6/4「福岡正信氏宅」https://star.ap.teacup.com/0503/14.html
其れに「自然農法」をテーマとしている「世界救世教」の創始者である「岡田茂吉」の誕生日は、「矢追日聖法主」と同じ「12月23日」であり、其の岡田茂吉も私の守護霊として神(はたらき)していた一人である。
キー「 岡田茂吉 3時33分 昇天 」
19/5/8今朝のメッセージの映像は、一人の三十代の健康で優秀な男性の姿が映し出されて来て、其の男性の背後や左右には、文化を意味する世界が広がっていた。
そして、私の存在(意識)が、其の男性に農業と謂うか、自給自足の生活の基本を伝授しなければ成らない理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時2分」であった。其れから再び眠ると、横書きの日本語の文章が、縦に段落を措いて、書かれている場面が映し出されて来た。
今朝は起きた・起された時刻は、6時58分・7時2分前であった。
今「貴方に何か起きたら」との言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方に何か起きたら」
貴方に何か起きたら 是までの事が全て
水の泡と化してしまいます。
ですから 貴方は 決して
余計な動きを しては成りませんよ。
其れが 「統尊・すめらのみこと」が「御嚴・みいつ」
「御稜威 ・みいつ」を行う基本的な姿勢なのです。
良いですか 此処まで貴方に
体験・修養を収めて貰ったのは
完璧な形を 確立する為の手段だったので
是から その体制を構築しなければ成らないのです。
其の為にこそ 貴方の両親の組み合わせや
「土肥無庵」の神(はたらき)があったのです。
良いですか 貴方の意識の源は
屋久島の自然に在るのですから
貴方は決して 其の意識の土台を
亡失しては 成らないのです。 8時33分
今朝起された「4時2分」の数字から、今年の4月2日の文章を見ると次の様に書いて有る。
19/4/2完結」https://green.ap.teacup.com/20060818/4948.html
此の文章の中に有る「・・白い鳥が深い緑の森の方に飛んで行く映像が映し出されて来て、其の白い鳥は羽根を広げたまま霧散して消えて行った。私は、其の白い鳥はイエスキリストの御魂と関係が有ると思った。・・」との事は、一昨日の「屋久島の森の中から」と、昨日の「森の復活」の文章と関係が有り、「キリスト・メシヤ」の御魂が屋久島の森の中に還った事を示唆していた様である。
其れに、今朝告げられて来た女神の言葉に「良いですか 貴方の意識の源は
屋久島の自然に在るのですから 貴方は決して 其の意識の土台を 亡失しては 成らないのです。」と有った事が関係有り、総合的な聖者の御魂(神霊)が、屋久島の深い森の中に存在すると謂う事にも成りそうである。・・
此の文章の内容から考えると、私は今朝、女神から告げられて来た言葉を厳守しなければ成らないと謂う事であり、自分が屋久島産まれで「生家」が「農家」であった理・ことを、決して忘れては成らないと謂う事なのであろう。
今朝のメッセージの映像に、健康で優秀な30歳代の男性の姿が映し出されて来て、私が其の若者に農業の世界・文化を伝授しなければ成らないとの事は、日本の天皇陛下が山に植樹をしたり、水田に稲苗を植えて秋に収穫の儀式を行う事とも関係が有り、日本国の呼称である「瑞穂の国」の概念こそが、日本が世界に誇れる文化である理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、福岡県うきは市で無農薬・無肥料の稲作を行っている「江藤敬介氏」に、一昨年の祈年祭(としごいのまつり)の日である2月17日の午後1時に、出雲の安部忠弘氏の事務所に行って貰った事が関係が有り、一年経った今年の春から、二人が炒り玄米の販売活動を始めた事も、新しい時代の生活文化の始まり・口火を切ったと言う事に成りそうである。
其れに、若者に農業を教えなければ成らないとの事は、私が奈良の三輪山の麓で自然農法を行っている川口由一氏を、阿蘇の「日宮幣立神宮」に案内した時に、自然農法を主体とする救世教の創始者である「岡田茂吉聖師」の御霊が関与して来た事とも関係が有りそうである。
09/3/31・・そして、其の写真入りの本は、神の世界の「日記・ブログ」の様な物である事が、理解出来た。
どうやら其の本は、此の人間が存在する世界を、天・神が、映像と言葉・文字で記録している理・ことを示して来ている様である。
其れは、一昨日、地球環境を見詰めていた存在が、昨日は、宇宙の景色を写真集にしていて、今朝は、人間が生きている此の現象世界を、人間が歴史を記録する様に、記録している事を知らせて来ている様である。
今朝の映像に現れた本は、内容の前半3分の1は、光が当っている、色着きの世界の出来事を記録した物で、後半の3分の2は、光の無い闇の世界の出来事を、記録している物の様である。
そして、其の「3・3・3」の割合こそ、宇宙が存在している理・ことわりを、示して来ているのだろう。
其の、「3・3・3」の割合の世界こそ、密教の「三密」の世界であり、日本の古事記に有る「天照界」「月読み界」「素戔鳴界」の分類の要因なのであろう。
其れに、私が、平成元年3月13日(313)に、初めて阿蘇の「日宮弊立神宮」に参詣したら、3時33分に日の宮の神が激しく掛かって来た事がある。
そして、同じ年の5月16日に、奈良の自然農の「川口由一氏」を日宮弊立神宮に案内してから、北九州市小倉に帰って来て、救世教の自然食品店に買い物に行くと、自分の手が勝手に動いて、棚の上に有る本を一冊取って、其の本を開くと、其の頁には「岡田茂吉聖師」が死んだ・昇天した時間が「3時33分」だと記されていた。
そして、其の岡田茂吉が信仰していた神は、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」である事も解かった。
其れに、同じ年の9月1日から日宮弊立神宮の境内に有る地球平和道場に宿泊していると、3日の夜中3時33分(3・3・33)に聖徳太子が「高天原に達した」と、伝えて来た事も有る。・・・
「罔象女神(みつはのめのかみ)」https://green.ap.teacup.com/20060818/1094.html
今朝のメッセージの内容からすると、現在の学校教育が、机上での情報処理(知識偏重)だけに成っている事と関係が有り、私は其れとは反対に、三次元の現場に直接関わって、肉体機能の感覚である五感を研ぎ澄まして来た事が、森羅万象の流転と直結している事に成り、其れが、私が、地球全体の生物と協調・共調している事の要因であるとの理・ことなのであろう。
其れを考えると、私が未来世界を担って行く若者(男性)に、何を伝授して行けば良いかが、理解されて来る。
今朝の文章の題は、何として良いかが明確に成らないので、摂り合えず「政の原点は自給自足」とした。
其れとも「文化の伝授は農から」の方が良いだろうか。・・
要するに、「トイレの無いマンション」と揶揄される原発で発電しながら、50兆円しかない税収で倍の100兆円もの予算を使い、「カジノ・博打場」まで造ろうとしている現在の政府は、政治的にも教育的にも「道・法」から外れている事は間違い無い。
其れは、伸び切ってしまったゴムは、縮める事は出来ないので、廃棄するしか他に道が無い理・ことと同じであり、其の状態が目の前に迫って来ているからこそ、今朝のメッセージが送られて来たのであろう。
「政の原点は自給自足」https://green.ap.teacup.com/20060818/4984.html
19/12/25「告示」https://green.ap.teacup.com/20060818/5221.html
今朝のビジョン・メッセージから、私が感じる事は、農夫・農業こそが、神(はたらき)と共に生きる事であり、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」は都会の建物の中で知識を詰め込んでいる人間には、真実の神(はたらき)はチャンネルしないと言う理・ことである。
其れは「脳細胞」を鍛えても駄目であり、皮膚感覚にて大自然の中で五感器官を鍛え上げなければ、神(はたらき)とは調和できないと言う理・ことでもある。
14/3/27今朝のメッセージは、先ず未明に「5月17日」の日付が示されて来た。其れから明け方に、何処かの神社が映し出されて来て、神様の祭り方の儀式が行われていた。
其れは、三段階に成っており、普通の人達が神祀りをする為の作法を習う次元と、宮司や神主の様な立場の人達が、単独の神霊を祀る段階が映し出されて来た。そして最後に、私の様に、全体的な「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受ける立場の様子が映し出されて来た。・・
今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージに有った、三段階の禊ぎ祓いの続きであり、人間は一度、都会の集団組織から離れて、人間社会の柵・しがらみの無い場所で、自分が家族単位で生活をして見る事が、必要である理・ことが示されて来ている様である。・・
未明に示されて来た、「5月17日」の日付は、私の四女の誕生日でもあるが、「世界電気通信記念日」でもある。
他にも、本日が誕生日の人は、大分の「なずなの会」の代表である有機無農薬栽培農業の「赤峰勝人氏」や、マクロビオティックの世界で有名な「久司道夫氏」其れに、福岡のマクロビオティックの推進者である「むすびの会」の「岡部賢二氏」などが居る。
其の5月17日の誕生日の人達、「赤峰勝人氏」「久司道夫氏」「岡部賢二氏」が、食べ物関係の仕事に従事している事を考えると、昨日のメッセージの「クリーニング」の世界と、今朝のメッセージが神を祭祀する場面であった事を考えると、やはり精神の基礎を形成するのは、食べ物であるとの事であり、其の世界を世界に電気通信システムで、発信しろとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、23年前に赤峰勝人氏が云っていた、「世界に発信する電波塔」の意味と、矢追日聖氏に終戦日に告げられて来た、「日本から新しい精神革命が起きる」との事が、本番を迎える事に成るとのことなのかも知れない。
「正傳矢追日聖」http://moon.ap.teacup.com/20061108/568.html
そして、日本の神道の伝統は、神棚に食べ物を供えて、祭儀が済んだ後では、直会・なおらいが行われる。其れに、天皇家や神社で、新嘗祭などの儀式が行われ、お盆や正月には先祖供養が行われている。
其れ等の、日本の価値観が、是から世界に伝えられなければ成らないとの事であろう。そして、其れが、三方に拡がる九弁のマークに、関係が有るのではないだろうか。
「精神の基本」https://green.ap.teacup.com/20060818/3007.html
キー「 手塚治虫 養老孟司氏先生 」
17/4/1今朝のメッセージの映像は、先ず、私が果樹園の防風林の様な林の木に、絡み付いている自然薯を掘って居ると、幼稚園児が皆で散歩をしている様な話し声が、風に運ばれて聞こえて来た。
私は、其の話し声に気を取られてながら、自然薯を掘り続けて居ると、いきなり背後で私を呼ぶ声がしたので、驚いて後ろを振り向くと、同級生である「松元末人」が後ろに立っており、其の後方には弟の礒邉正也が立って居た。
次の映像は、青い服を着た二人の男性が、手に教育ソフトの様な物を手に登場して、私に其の教育ソフトを、実際に現場で実行する様に示した。
そして、其の背景には、真っ青な世界が存在する理・ことが示されて来た。
其処で証明を点けて、時計を見ると「4時11分」であった。
其れから、再び眠ると、今度は、子供達に対する現場教育活動の場面が映し出されて来て、其の子供達が高校生に成ると、活動現場が標高の有る山の方に移り、精神的な成長も含めた現場作業・教育・鍛錬へと、内容が高度に成って行った。
そして、其の若者達が一人前に成って、指導者として育つと、私にも余裕が生まれたので、自宅の方に自分の荷物を取りに向かうと、私の自宅は既に荒れ果てており、人が住める状態ではなく、川に繋いでいた船も使用できる状態ではなくなっていた。
そして、其の川は改修工事が行なわれており、整備された川には、新しい屋形船が数隻浮かんでおり、其の屋形船に客を運ぶ伝馬船も、新しく造られていた。
次の映像には、パンフレットの様に、絵や文章が印刷されている紙面が映し出されて来て、其の紙面には四方に空白が有るので、私が其の空白の部分を鋏みで切り取ってから、引っ繰り返して裏面を見ると、裏側には紙面一杯に文字が書かれており、其の紙面の大きさは、裏側の文章の量に合わせている物であり、切り取っては成らない事が判明した。
次の映像には、20人程の子供達の母親の顔写真が、カラーで印刷されている紙面が映し出されて来た。
其の母親達は、子供達の成長と、教育の在り方に満足しており、誰も文句を謂わない状態である事が、理解されて来た。
今朝のメッセージは、人間の一生と言うか、子供の時から老後の生活までが、一貫して映し出されて来ており、人類に対して、未来社会が保障されている様な場面・内容である。
其れは、本日4月1日が新年度の始まりである事と関係が有り、我々は新しい御世造りと言うか、新しい学習・教育の段階・次元に、進歩しなければ成らないと言う事の様である。
今朝の映像は、先ず、幼児の時から自然環境の中を散歩される事が重要であり、其れが為されていなければ、脳の記憶回路の基盤が未完成の儘一生を送る事に成ると言う事ではないだろうか。
其れは、人間も他の生物と同じく、自然環境の中で進化して来た物であるので、狭い空間の中で、人工物だけを相手にして入れば、視覚・聴覚を始め、五感が正常に働かなく成り、第六感も発動しなく成るとの事なのであろう。
其れは、人間のDNA・遺伝子がチンパンジーと98%以上同じである事と関係があり、650年前に類人猿から分離した人類の行き方は、其の事を無視しては、自然の法則から外れてしまい、自分自身を認識・確立する事が出来ないまま、一生を過ごしてしまうと謂う事である。
キー「 手塚治虫・養老孟司氏先生 」
008/10/22・・其の為に、「主権」の認識や、優秀な男性が、現場から大学に進まなければ成らないと謂う事ではないだろうか。
現在の政府機関に勤めている人間は、殆どが小さい時から机にしがみ付いて居た人達であろう。手塚治虫などは、子供頃から自然に親しんで育っている。其れに、養老孟司氏先生も自然の中に出掛け、昆虫と触れ合っている。其の様な方々が、政(まつりごと)の中心に立って行かなければ、現代社会の混迷は解決されないであろう
今朝のメッセージは、改めて、人間と自然の結び着きの大事さを示して来ている。其の世界は、森に木を植林し、水を大事に管理して、水田稲作を営んで来た日本の伝統文化が、第一番に上げられるのではないだろうか。
其の様に考えれば、日本から世界に打ち出して行く未来社会への指針は、自からはっきりして来る。
其の、日本から起すべき役割が、早く表に出されなければ、今の経済システムが一気に壊れる様に、人間の意識が、神の意志に因ってコントロールされる事は間違いない。
其れが、此処まで、神の世界に付き合って来た、私の結論である。・・・
「生命の源」http://moon.ap.teacup.com/20060615/171.html
今朝の映像には、表と裏の印刷の量が異なる、パンフレットの様な紙面が映し出されて来た。
其の意味は、表側に印刷されている事柄は、誰にでも解かり易いモノ・世界であるが、実際の行なうと様々な問題が発生し、表側に書かれている事とは、食い違いが起こるので、其の理・ことに付いて、様々な説明が書かれている物である事が理解されて来た。
だから其の紙面は、物事の裏表を能く吟味しなければ成らないので、本・ブックの様な綴じ方をしないで、透明なファイルの様な物に入れて、裏に書かれている事を能く見ながら、表面に表現れている事を実行する必要が有ると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れから、20人程の子供達の母親の顔写真が、カラーで印刷されている紙面が映し出されて来て、其の母親達が誰も文句を謂う雰囲気が無かったのは、「石工・メーソン」の秘儀に拠る教育が、公の場で正しく行なわれれば、子供達が皆優秀で立派な人間に育つので、満足すると言う事が示されて来ているのであろう。
そして、河川が整備されて、新しい屋形船が何隻か浮かべられていたのは、其の様な教育が行なわれて、立派な人々が社会に出て働けば、神の意思に叶ったエデンの園が完成する理・ことを示唆しており、男性がゆったりと舟遊びを楽しめる世の中が、訪れると言う事なのであろう。
「野外訓練」https://green.ap.teacup.com/20060818/4193.html
此の文章の内容からすると、私は漸く此の世界から解放されて、37年前まで行っていた舟遊びが出来るのかも知れない。
其れは「悠々自適」の「悠・ユウ」が「心+攸」「攸・支(竿)+川+人」であり、舟で遥かに行くの意味であるからである。
「光は東方から齎される」https://green.ap.teacup.com/20060818/6000.html
此の文章には、女神の言葉で次の様に記してある。
「・・良いですか 此処まで貴方に体験・修養を収めて貰ったのは
完璧な形を 確立する為の手段だったので
是から その体制を構築しなければ成らないのです。
其の為にこそ 貴方の両親の組み合わせや
「土肥無庵」の神(はたらき)があったのです。
良いですか 貴方の意識の源は屋久島の自然に在るのですから
貴方は決して其の意識の土台を亡失しては 成らないのです。」
此の女神の言葉からすると、一昨日の「人の命は神の糧」の文章に記した「翁岳の方に青白い強烈な光の点滅・シグナルが始まった。」事の背景には、其の女神(万物の母神)の存在が関係していた事に成る。
其れを考えると、私が此の世界に飛び込んだ時「1984年6月4日(旧暦5月5日)母親の64歳の誕生日」に、私の役割が「事象の特異点」「新しい神の座標軸」であると告げられて来た出来事が、本当・真実の事として現象化したとの事であり、私の起きた4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」が叶ったとの事に成りそうである。
16/3/31「騎士と紋章」https://green.ap.teacup.com/20060818/3803.html
其れを考えると、昨日の文章に記した「叶豊・かのうゆたか」氏の50歳の誕生日に私が出会って、「少彦名神社」の再建を依頼した出来事も、天神の計らいであった事に成り、其の叶豊氏の誕生日が由香と同じ12月10日である事にも、特別な意味が有りそうである。
2021/12/11本日12月11日は、私が2006(皇紀2666)6月11日(旧暦5月16日)に「みいつ建国」の儀式・祭典を行ってから、15年半の日である。
今朝のメッセージのビジョンは、其の事に関係が有るのか、私の意識が「宇宙空間」に存在し、物として存在するあらゆる物に、チャンネルしている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時7分」であった。私は其の数字を「37・みな・皆」と記憶して再び眠った。
すると今度は、地球の植物の枝葉や動物及び人間の存在が、個体別で次々に映し出されて来た。そして最後に、漢字文字が空中に星屑の様に浮かんでおり、其の中から十文字程が集まって横一直線に並んだ。
其の漢字文字は、「字」が解体された「文」であるので、是迄有る漢字(象形)が分解された物なのか、新規に組み合わされて来る物なのかは定かでないが、私には明解に記憶(読み取れない)できない文字であり、其の文字の並びは「此の宇宙の全てのモノ・存在は 宇宙意識(わが意)に因り存在している物である。」との意味である理・ことが理解された。
其れを考えながら、私が其の理・ことから、「どんなに悪事を働いて居る人間でも許されているのだろうか。」との事を考え始めると、其れは老子の謂う「道・タオ」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」等の、根源的な生命(いのち)のルールに則って生きて居る者だけの事・世界であって、其れから外れている者は、話には当たらないとの理・ことが理解されて来た。・・・
「森羅万象わが意」https://green.ap.teacup.com/20060818/6075.html
其れに、今朝長短の針が重なっていた「5時23分」の数字から、5月23日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/5/23今朝のメッセージには、薄暗い世界に分厚い一冊の「ノート・帳面」が置かれている場面が映し出されて来て、其の帳面には、一ページ毎に一人分の人生が全て記されている事が示されて来て、其の内容は、善人悪人の区別が何も無く、此れまで地球で生きた人間の事が一人残らず、記されている物である事が示されて来た。
私は其の事から、イエスキリストの言葉に有る「神は貴方達の髪の毛の数まで知っている。」との言葉を思い出していた。
其れから、私の文章の世界が映し出されて来て、「2月14日」と「11月31日」の日付が示されて来た。
私は其の日付から、「2月」は28日までしか無い月であり、「11月31日」日付・数字は、旧暦だけではなく、現在の「新暦・西洋暦・太陽暦」にも無い日付なので、私に示されて来ている奇数月「1・3・5・7・9・11」の月が31日と成る「正しい暦・カレンダー」の作成を急ぐ必要が有り、其れが全人類の、新しい御代創造に必要不可欠な条件・事柄であるのだと意った。
今朝は起きてパソコンを立ち上げ、先ず示されて来た「2月14日」の日付から、今年と昨年の2月14日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
「水と自(みず)の連合」https://green.ap.teacup.com/20060818/5643.html
此の文章には、運命の歌詞に『すべての存在は 自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人 自然がつけた薔薇の路をたどる。』と有る。
其の事を考えると、今朝のビジョンに暗い世界(冥府・黄泉・霊界・四次元世界)に、善悪に関係が無く、全ての人間のファイルが記されている「ノート・帳面」が映し出されて来た事と関連が有り、此の人間社会は善人だけでは成り立たず、善悪(良し悪し)が入り乱れている事と関係が有り、人間の善悪の価値観では、とても計り知れない世界が存在するとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、旧約聖書に記されている「蛇が食べる様に勧める林檎(知恵)」が、「神の様に善悪が判断できる物」である事と関係が有り、我々人間は自分の価値観で「善悪」を判断しては成らないと言う理・ことが示されて来ている事に成りそうである。・・
「ひのもとのみかどのくに」https://green.ap.teacup.com/20060818/5273.html
此の文章の題名である「ひのもとのみかどのくに」からすると、ローマ皇帝の我儘から、太陽惑星の運航から外れてしまっている現代の西洋暦で生活を続ける事は、「天意・宇宙意思」に合わないとの理・ことが示されて来ており、新しい御代の創造には、「日本・ひのもと」から、正しい暦・カレンダーを立ち上げなければ成らないと言う事であろう。
其れを考えると、終戦日に奈良の矢追日聖法主に神が告げて来た、冬至を元旦とする正しい暦・カレンダーを、早急に此の日本国から発信しなければ成らないと言う事に成る。
03/4/7「正傳矢追日聖」https://star.ap.teacup.com/170606/210.html
昨夜は、4月29日に私のパソコンのキーボードの「時間・自適」を打つ為に必要な「J」が全く反応しなく成る出来事の続きで、パソコンの写真のソフトをアンインストールしてから再起動を掛けると、長時間掛かった上に、壊れてしまった。
其れ等一連の出来事から、私は1984年6月4日(旧暦5月5日)に、自分の頭脳を空・無にした事を「もう一度復活しなければ成らない」との事を考え、其れから37年が経過して、其の時に起きた4311体の「御魂の思頼・みたまのふゆ」が終了・完了し、私は過去のどんな事も頭脳から外して、ゼロから「土肥無庵」が私に謂った「自適さんは想った事が現実に成るでしょう。だから自適さんが想えば良いのですよ。」との事に、此れから真剣に取り組まなければ成らないと言う事の様である。
其れを考えると、「釈迦仏陀」の言葉に有る「私は過去・現在・未来に在り 衆生一切わが子」との言葉や、禅宗で謂う所の「今此処・いまここ」との言葉を、自分の事として此れからの日々を過ごさなければ成らないと言う事に成る。
其れに「土肥無庵」は、私に「自然無為」の極意を教え、他人に会う事や・電話のやり取りも固く禁じたので、過去の情報しか持たない人物とは決して会っては成らないと言う事にも成る。
其れに、今朝の文章は既に30ページを超えているので、ブログにアップする事は、読む人に多大な負担・迷惑を掛ける事に成るので、先日ブログに文章をアップする事が禁じられて来た理由が解るし、HPであれば、1日分が小冊子一冊分と成っても差し障りが無いので、HPに集中しろとの事も能く理解されて来る。
其れを考えると、私に告げられて来ている「風 麥東 陶・ふうれんとう=讜逓聖・とうていせい」の言葉が関係が有り、「みいつは君の光」のHPに「風 麥東 陶・ふうれんとう」の項目を準備している事と関係が有りそうである。
此の「讜逓聖・とうていせい」の文章の内容からすると、其の窓口の管理を由香に任せて、私は此れまでの自分の体験・経験・修行から、自分なりの「文・あや」を纏める必要が有ると言う事であり、自分に残されている此の世での時間を、有効活用しなければ成らないと言う事に成りそうである。
「闇の記録簿」https://green.ap.teacup.com/20060818/5748.html
今此処で・12時00分に由香の新しいPCが届いたので、神棚に供えて柏手を打とうとすると、男性の聲で「全てが済んでから」と一言告げられて来た。
其の言葉からすると、全ての準備・プログラムが天界・四次元世界では整っている様である。
此の「闇の記録簿」の文章には、次の様に記して有る。
・・4月29日に私のパソコンのキーボードの「時間・自適」を打つ為に必要な「J」が全く反応しなく成る出来事の続きで、パソコンの写真のソフトをアンインストールしてから再起動を掛けると、長時間掛かった上に、壊れてしまった。其れ等一連の出来事から、私は1984年6月4日(旧暦5月5日)に、自分の頭脳を空・無にした事を「もう一度復活しなければ成らない」との事を考え、・・・」
此の「4月29日」の日付は、倭姫命の御魂であった井上佳子の葬式をした日であるが、身罷った日の夜中に私の心臓に飛び込んで来て、御大葬日の朝「わが身すでにとおく、よき世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の誕生日でもある。
本日、正午丁度に届いたPCは、今朝「9999・・・」の数字がキーと成って開く「薄紫色の斑模様の明るい空間・天幕・スクリーン」が、地球の回転軸の北に存在する「紫微垣・しびえん」の世界を示唆している様である。
何故かと謂うと、私がPCを供えた神棚は由香の母親が熱心に信仰していた「白髭様。御祖神。」の祭壇であり、其の「御祖神・みおやかみ」は、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の守護神であるからであり、御祖神を祭祷する小倉の妙見神社は「北斗神」であるからである。
其れに、本日1月10日は、10年前の2012年1月10日に、由香が大洲市の「少彦名神社」の近くに有り、毎朝「少彦名神社」にお参りして祝詞をあげていた亀田宅の神棚(少彦名神)の部屋に宿泊をしていた時、私が事務所兼寝泊りしていた亀田氏のアパートに、夜中に由香が遣って来て、「母親が亡くなったとの知らせが来た。」との事で、由香は其のまま岡山の自宅に立ち寄って葬式の準備を整え、母親の枕元に到着した時刻が「1月11日午後1時11分」であり、明日で丁度11年と成る。
其れで、キー「由香 母親 枕元 1月11日午後1時11分 」で出て来たのは、2年前の本日の日付の文章である。
2020/1/10今朝のメッセージの映像には、先ず、黒塗りの大きなパラボラアンテナの様な物が、此方側を向いているのが映し出されて来て、其のパラボラアンテナの使用は2000年12月6日から始まっている事が示されて来た。
次に、私が旅先で何処かの日本家屋に泊めて貰う場面が映し出されて来た。
其の家の主は、30歳半ばの一人暮らしの独身女性であり、私より先に40歳位の長身の男性が宿泊して居る事が判った。
そして、私が其の女性と話し始めると、其の女性はとても優秀な人物で、食生活を始め、全てが完璧である事が理解されて来た。
其れで私は、其の女性を仲間に引き込もうと説得を始めると、「貴方は 神武天皇に傾倒している様だから 無理だ」との事を謂うのである。
私は、其れは全体の一部であり、人間は此れから何が有っても、智慧を出し合って生きて行かなければ成らないとの理・ことを、力を込めて話していた。
其れから、自分の部屋に移って眠って居ると、喉に乾きを覚えて目が覚めたので、起きて台所に向かうと、居間で長身の男性の方が、机に向かって何かの書類作りを行っているので、こんな夜更けまで何を書いて居るのだろうかと意い、質問して見ると、其の男性は「貴方が話して居た事を 企画書にしている」との事であり、畳の上には、既に十数枚の紙が重ねて置いて有る事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分」であったので、其の数字は神武天皇祭日である4月3日の日付であるので、少し驚いてしまった。
其れから再び眠ると、今度の私の内側から、光エネルギーの球が、泉で湧き出す水中の気泡の球の様に、次々に湧き出して来る様子・場面が映し出されて来た。
そして、其の事に関係が有るのか、「此れから○○は○○に」との言葉・文章が、連なって、幾つも現われて来る場面が続き、其の世界が広く拡散して行く場面が映し出されて来た。・・
其れから、由香に「今朝は重要な日付だけが強調されて来た」と謂うと、「今日は18年前に、スーリアサロンで私と握手をして、帰宅した後、悟りの状態を体感し、号泣して涙が止まらなく成った日」だと謂い、夢には9年前の1月11日午後1時11分に亡骸に対面した母親の「城戸初美」が登場したとの事である。
其れで、今朝のメッセージの状況は、私一人の事(世界)ではなく、由香の背景・業とも同調しているモノ・世界であり、私達二人の事だけではなく、全体的に総纏めの出来事が起きている理・ことが理解されて来た。
其れに、本日1月10日は「10日恵比寿の日」であり、大国主命の長男である「事代主命」の祭りの日でもある。・・・
「総纏め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5237.html
此れだけ、年月日と時刻、其れに私の意識と文章の内容を、的確・詳細に管理できる物の正体は一体全体何と名付ければ良いのであろうか。
其れは「御祖神・みおやかみ・天の父」だけで片付く物でもないし、「万物の母神」は人間の肉体を含む宇宙全体の物質の管理者であるので、何か総合的な呼び名を考える・与えなければ成らない事に成る。
其れは、例えて言えば「万物の母神」の存在はパソコンの「ハード」であり、私が37年間取り組んで来た「情報の処理」の世界は日本の「御祖神・みおやかみ」、中国の「青龍・せいりゅう」、インドの「虚空蔵菩薩(アーカーシャガルバ)」、エジプトの「トト神の書記官」が関わる「ソフト」である事に成るので、其れを合わせた言葉・文言が必要である事に成るのだろう。
其れは、今朝示されてビジョンの若い女性の涅槃姿(遺伝子DNAの保全)と、永久を示唆する「紫微垣・しびえん」の世界の「9999・九九九九」の数字がヒントに成るとの事であり、「マトリックス」の言葉が関係が有りそうである。
2013/11/26・・天神の取り継ぎが「理佐」であるとの事であり、其の理佐の「理・リ」は、日本語では「ことわり」と読む。其の「ことわり」とは「事割・ことわり」であり、宇宙の「法・ダルマ」「道・タオ」の理を、理解・分析する理・ことである。其れが、日本語の「分けを知る」との意味でもある。
処が、10を3で割ると、333333・・・で何処までも割り切れないし、20を3で割ると、666666・・・で何処まで行っても割り切れない。
しかし、30を3で割ると、答えは10であり、一度で割り切れてしまう。
其の数字を考えると、此の世界・宇宙の絡繰・からくりは、在るべき状態が三・3方向に分裂して行く事で、膨張を続けており、其れは「3×3=9999・・・」で無限に拡大している事に成る。
処が、其れに「0、・・・・1」を何処かで加えると、此の宇宙は瞬間に消えてしまうと言うか、将棋倒しが起きて閉じてしまう理・ことに成る。
其れが「無」の世界であり「空」の概念なのである。
「30を3で割ると、答えは10」との事は、10は完数なので、悟りに関係があり、人間の行為を閉じ「空・無」の状態に成れば「三十・30」を「三・3」で割り切れるのであろう。
そして、其処に、「自分」に成功した事になり、「空・無」が生じ、「自由」な精神が訪れるのである。
今朝のメッセージの映像で、拝殿に立って居た神霊は「書いて有る」と示唆して来た。其れは、人間が神社の拝殿で行うべき事柄か、拝殿に参拝する時の気持ちの在り方を示唆しており、其れ等に関する事は、既に、私に書かせているとの事ではないだろうか。・・・
「大君の役割」http://green.ap.teacup.com/20060818/2883.html
キー「マトリックス」
2009/3/26・・そして、其の世界に、重要な働きをしている物が、言葉の様な、脳にプログラムを生起させる記号や音である。
音と言っても、其の音が、単なる小鳥の鳴き声や、風や波の音では、脳に言葉としては反応しないので、音にも、決った記号・語が設定されていなければ成らないのである。
其の様に考えると、人間社会は、言葉と言う記号が誕生した事で、お互いのコミュニケーションが生まれて、文化文明が発達し、其れに因って、更に大脳皮質が発達して来た事に成る。
昨日のメッセージは、此の世界を構成している四大元素の「地水火風(ちすいかふう)」の世界と、言葉の絨毯が澤山重ねられて、部屋中に広げられている場面であった。
其の昨日のメッセージと、今朝のメッセージの内容を合わせて考えると、此の人間世界は言葉の組み合わせで出来ている事に成り、人間の意識は、言葉の絨毯に乗って時空を旅している事に成るのである。
そして、言葉が存在するからこそ、此の世界を「地水火風(ちすいかふう)」等と言葉で分類できるのである。其れは、もし人間に言葉が無ければ、「思想」も「哲学」も「宗教」も生まれてはいないし、数学や科学も発達してはいない事になる。
そして、余りにも複雑に成って来た言葉や、情報に因って、人間は本来の自分の意識が立つ場を見失ってしまっているのである。其の事が、現代社会で一番の問題なのである。其の事は、今に限った事ではなく、古代社会でも都市が発達すると起きていたのである。だから、其の人間社会から離れた所に住み、言葉を使わないで生活する「仙人」や「聖者」が存在して、バランスを調整・はかっていたのだ。
そして、其の世界に、重要な働きをしている物が、言葉の様な、脳にプログラムを生起させる記号や音である。音と謂っても、其の音が、単なる小鳥の鳴き声や、風や波の音では、脳に言葉としては反応しないので、音にも決った記号・語が設定されていなければ成らないのである。其の様に考えると、人間社会は、言葉と言う記号が誕生した事で、お互いのコミュニケーションが生まれて、文化文明が発達し、其れに因って、更に大脳皮質が発達して来た事に成る。
処が現代社会では、仙人や聖者の存在が無く、其れらしき「法王」や「天皇・みかど」が、一般社会の中に溶け込んでしまっているので、バランスを計る天秤棒が成り立っていないのである。
其の天秤棒の喪失した世界こそ、大ヒットしたアメリカ映画のマトリックスの世界なのである。
マトリックス【matrix】
@母体。また、基盤。A母型。原型。B 行列(ぎょうれつ)。
本来は「子宮」を意味するラテン語( Mater母+ix)に由来する英語Matrixの音写で、そこから何かを生み出すものを意味する。この「生み出す機能」に着目して命名されることが多い。また、子宮状の形状・状態に着目して命名される場合もある。
日本語にあえて翻訳する場合は「基盤」「基質」などの訳語が当てられることがあるが、原語で強く感じられる「生み出す機能」や「形状」が伝わりにくく、必ずしも評判が良くない。例えば「母体」あるいは「子宮体」ならばニュアンスも伝わるのだろうが、このような訳語はほとんど採用されていない。結局、カタカナで表記されることが多い。
・マトリックス-りきがく【マトリックス力学】
座標・運動量などの物理量を行列で表し、その行列の間に交換関係を設定して解析する力学。ドイツのハイゼンベルクがボーアの理論をもとに作り上げ、のちに波動力学と同等であることがわかり、量子力学として統一された。行列力学。 ウィキペディア辞典 現在記載
此の説明に拠ると、正に今朝の映像で茶色(大地の色)に並んでいた記号は、マトリックスの「座標・運動量などの物理量を行列(記号)で表し、その行列の間に交換関係を設定して・・・云々」と有る意味を、現して来ていた事に成る。・・・
「支配人」http://green.ap.teacup.com/20060818/1089.html
2014/11/12「やまと言葉のことだま」https://green.ap.teacup.com/20060818/3259.html
此の「支配人」との言葉からすると、「支配神(はたらき)」との意味の言葉が必要であり、人類全体が共有できる過去の概念には無い・穢れ・柵が無い、新しい言葉を創る必要がある事に成る。
其れは、「ゴッド・天父」「アラー」「天御中主」「天帝」「ククルカン・ケツァルコアトル」に変わる物であり、「阿弥陀(人間には計り知れない光・祷命)や「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真理の本体の意味)」「エホバ・ヤハウェ(有るときから在る物)」「サムシング・グレート(偉大なる何ものか)」などの、不確定要素の名前ではない物である。
それと、其のモノと「同体」と言うか、現人神(あらひとかみ)と成った「覚醒者・ブッダ」「メシヤ・キリスト」の存在を、呼ぶ名前も必要である事にも成る。
みいつ16年1月10日
礒邉自適
1 | 《前のページ | 次のページ》