1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/18
残り1週間
4・1・18
昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
先ず、一昨日の文章「直ぐに取り掛かれ」との文章に記した、内側に青い小石が挟まれていた大きな牡丹の花が、上向きで、天高く真っ直ぐに上って行って、雲間に消えて見えなく成ってしまう様子・場面が、映し出されて来た。
次に、左側の壁際に、花が飾られている小さな神棚が置かれていて、其の壁の中から、白地に青い縦縞のシャツの右手が出て来て、とても長く伸びて、右側の壁近くに立って居る人物の心臓の所を鷲掴みにする様子が映し出されて来て、其の心臓を掴まれた人物は私である事が、感覚的に伝わって来た。
そして眠りに落ちてから、私の自宅の神棚が設置されている部屋に入る為の、黒い(通常は白い)襖の丸い取っ手の部分が外れて、穴が空いて中の裏紙が見えている様子・場面が映し出されて来た。
そして「残り一週間しか無い」との言葉が告げられて来た。
其れから、以前の私の自宅が有った安房川の桟橋に、「日高雲平氏」が運転する船外機が何処からか帰って来る場面が映し出されて来て、私は其の船の舳先に後ろ向きで座って居り、船が着岸した時に、私は向きを変えて、自分の右手で岸辺の枠を掴まえて、船を引き寄せなければ成らない事に成った。
私は其の場面から、神道の儀式で奏上される大祓祝詞の言葉に有る船出の文言と、反対の場面が示されて来ており、私の長い旅は終了した事を意った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時48分・7時12分前」であった。
其れから再び横に成り、今朝のビジョンの意味に付いて考えて居ると、今朝船外機を運転して居た日高雲平氏は、私が「大文字のファーザーである」との夢告を受けた人物であるので、私は自分の意識の旅が終わったとの事だけではなく、大文字のファーザーとして戻って来た事に成る事を意った。
其処で起きて時計を見ると、時刻は7時7分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず「日高雲平氏 大文字 ファザー」で検索すると、次の文章が出て来た。
2003/7/1今日は、梅雨の晴れ間で天気が良いので、梅雨の間の湿気を、全部戸外に追い出そうと意い、朝7時に家中の戸を開けていると、隣に住む、安房区の区長さんが遣って来て、「自適さん、お早うございます。今日は、初めて不思議な夢を見た」と云う。
私が「え、どんな夢だったのですか」と応えると、「隣りの家に『Father・ファーザー』が居ると告げられ、其のファーザーの頭文字は 大文字であった。」との事である。
私は、それを聞いて、愈々神の作戦が始まるのだと感じた。
今年の4月13日に「残り80日」とメッセージが有って、日付を計算すると、7月2日である事が分かった。
其のメッセージが有ってから、7月2日迄は、何かを始めたりしては成らないのだろうと想い、出来るだけ、物事を考えない様にして来た。
その7月2日を、明日迎える事になって、今朝の区長さんの出来事である。
安房区の、区長さんをされている「日高雲平氏」は、安房では一番由緒ある家柄の方で、昭和38年4月より安房中学校の教師となられ、平成元年に26年間の教職を辞められ、現在は、屋久町の公の役を、数多く成されて、多忙な日々を過ごして居られる方である。
私は、屋久島に帰り一年経つが、日高雲平さんは、「日吉眞夫さん」と並んで、私を理解して下さっている貴重な存在である。
私の父が、生前云って居た事に「雲平とは、良い名前だ」との事がある。
父は、「雲平」の名にすごく感銘をしていた。
私の名の「自適」も、父にとっては自信作だったのだろうが、「自適」は中国の「悠々自適」の「自適」なので、人間の暮らし方を言った言葉だが、「雲平」とは、大自然の雄大な風景を言い表しており、その情景を想うだけでも、人間の心の情景が豊かになり、善い方向に誘われる物である。
私が、雲平さんの御尊父・日高純夫さん(明治22年〜昭和63年)に、「私の父が、生前『雲平』という名前は、とても良い名前だと言っていました。」と伝えると、お父さんは「中国の古典の、ある文章の中に載っていたので、それが気に入ったので付けた。」と、応えられた。
雲平さんの父親の日高純夫さんは、長い間、屋久町(旧下屋久村)の町議会議長を務められた方で、現在の屋久町町長の「日高十七郎氏」は、純夫さんの御孫さんに当たられる方である。
日高純夫さんの父上で、雲平さんの御祖父にあたる方は、「日高小三」と云って、下屋久村の村議会議員を長く務められた方で、90歳まで長生きをされ、村の為に尽されたとの事。
前町長の「泊 義文氏」の御母堂は、小三氏の娘さんである。
現在は、小三氏の血筋は町長の他に、町議会議員を二名が務めて居られるので、日高家は、屋久町でも力の有る家系と言う事が出来るだろう。
私は20歳代の時、農業を営んでおり、黒毛和牛を多い時は40頭近く飼っていた。資金繰りに困った時、雲平さんのお父さんに、大金を貸して貰ったりした事がある。
「純夫おじさん(屋久島の人達は尊敬出来る親しい目上の方を、○○おじさんと呼ぶ)」は、私をとても気に入って下さって、大事にされた事に、今でも感謝している。
私の父親「礒邉 勲(いさお)」も、純夫おじさんと、良い交流をしていたので、父親の信用が、私の人生にプラスと成っていたものと考えられる。
私が、20年振りぐらいで町役場に行くと、年長者の方々が、私の父や母の事を直ぐに話題にする。
それは、皆さんが私を見ると、死んだ父や、福祉の仕事をしていた母親の姿を思い出すからだろう。私の背景に、生前の父親や、良心的な母親の姿が在る事は、間違いの無い事実の様である。
私が、常識的では無い行動を起こしても、何とか、社会的に相手をして貰っていられるのは、両親の徳の力が作用しているからだと想われる。
今朝、雲平先生(私達は雲平先生と呼び慣れているので、そう呼ぶ)に、現れた「ファーザー」のメッセージで、父を課題にする文章と成って来たが、雲平先生へのメッセージの裏には、私の父親や、雲平先生の御祖父・御尊父が霊界に在って、関係して来ているものと考えられる。
「ファーザー」を辞典で調べて見ると、
@ 父 。Aカトリックの神父や修道院長。 (有紀書房・カタカナ語辞典)
@ 父。A神父。 (広辞苑) と 載っており
「父」を調べると、@親・父親・実父の総称
@ (キリスト教)㋐神 ㋑三位一体(さんみいったい)の第一の位格。
(広辞苑)
@両親のうちの男の方・実父・継父・養父の総称。父親。
A キリスト教で神をいう。
B 新しいものの開祖。先駆者。また偉大な貢献者。
(言海社・最新式字典)
@ 父親。子のある男子。
A(キリスト教)天帝。 と、載っている。
この中で、気に成るのは、言海社の字典には、@は「father」で頭が小文字なのに、Aは「Father」で頭が大文字に成っている事である。
雲平先生の話では、どうして頭が大文字なのかが分からないとの事だったが、言海社の字典からすると、「父親」と「天帝」との違いが、有る事になる。
大文字のファーザーは、「天帝」や「天神」との意味であり、小文字のファーザーの「父親」とは、区別が有る事になる。
この事からすると、私が、言海社の字典を持っている事を、知っている何者かが、今朝のメッセージを送って来た犯人なのかも知れない。
それが、何者かを考えて見ると、佛教の開祖・偉大な人類の貢献者(ファーザー)である、「釈迦仏陀」の教えの言葉に「三世(過去・現在・未来)に 私の存在があり 衆生一切我が子」と有る。
これは、自分が天帝と一体であるとの自覚が無ければ、出て来る言葉ではない。ブッダに成る(成仏)事とは、宇宙意識を自分の物とする事である。
日本の、天皇家の元(はじまり)も、「皇御祖・すめみおや」の概念が根本の処にあり、「スメラのミコト(天皇)」は、国民(民草)全体の、平和と安定・調和を願うのが役目である。
これも「f」ではなく、「F」の頭文字の「ファーザー」であろう。
「イエス・キリスト」は、自分を子の位置において「天の父よ」と言っているので、自分の父親を、天に在る「神・天帝・ファーザー」としているのだから、「F」の「ファーザー」を呼んでいる事に成る。
私も、1984年(昭和59年)6月4日に、佛教で云う処の、虚空界の体験をして、全ての人類や、生物を救わなければ成らないとの、使命感に満たされた。
虚空界とは、イエスがヨルダン川で禊ぎの後、精霊に満たされキリストとして目覚めた時の状況と同じで、霊界に存在する高い次元の霊団が現れて、その者の守護に付く事を意味している。
日本の、天皇家の代替わり時の大嘗祭の儀式も、同じ意味を伝えるものであり、全ての国民の源である先祖の霊が、子孫を守る為に、総動員されて現われ出て来るのである。
其れ等が、先祖と、天帝とを認識する、大文字のファーザーの意味なのであろう。
「ファーザー(Father)」https://wave.ap.teacup.com/20060106/139.html
2008/12/24本日12月24日は「クリスマスイブ」で、世界中で多くの人々が、浮かれ騒ぐ日である。しかし、其れは、イエスの本意からは大きく外れているだろう。
何故なら、神に感謝する事は、静かに過ごす事だから、飲み食いをして大騒ぎをする事は、イエスの意いに沿うものではないのである。
其の理に付いて、今朝のメッセージは、伝えられて来たモノだと考えられる。
今朝の映像には、安房の「日高雲平氏」が出て来て、内観に付いて指導をして居た。日高雲平氏は、中学校の教師を長らく務めていた方で、教師に成って一年で「日教組」を脱退し、お寺で断食や座禅等の修行をしたりした御仁である。
現在は、県立の学校ではなく、屋久島に出来た「おおぞら高等高校」の理事に就任して、社会貢献を為さっている。
其の日高雲平氏に、平成15年7月1日「ファーザー (Father)」との、神のメッセージが有ったのである。
03/7/1「ファーザー (Father)」http://star.ap.teacup.com/170606/173.html
此の文章を、読んで貰えば解かるのだが、1985年7月2日に、私の日本一周の旅が終り、7月3日から新しい人の縁が始まっている。
其の7月3日は「悦子さん」の誕生日で、前田氏が屋久島に来る事を決め、キップを購入したのも7月3日である。
文章の続きには、・・・今年の4月13日に「残り80日」とメッセージが有って、日付を計算すると、7月2日である事が分かった。其のメッセージが有ってから、7月2日迄は、何かを始めたりしては成らないのだろうと想い、出来るだけ物事を考えないようにして来た。その7月2日を、明日迎える事になって、今朝の区長さんの出来事である。・・・
と有り、其の4月13日は、私の長男「海生」の誕生日で、岡山市の「スーリアさん」の誕生日でもある。
其の様に、私の旅のエピソードと日付を調べて行くと、確かに、私の身体と行動は管理されている事が解かる。其の、日付の管理を、誰がしているのかを考えると、宇宙に、何等かのシステムが存在する事は、明らかである。
其れが、私に「紀・トキの祭り」を行えと告げて来た、「大山祇神・おおやまつみかみ」の存在なのであろう。
今朝のメッセージには、私が「ファーザー (Father)である」と告げられた日高雲平氏が現れて、瞑想の一方法である内観を指導していた。
其の内観は、言葉を現す記号が書かれて有り、其の紙を捲って行くと、一番奥に、赤い色で書かれた文字が有り、其れが、自分の意識の本体と言うか「命持ち・使命・さだめ・運命」である事が理解された。
そして、其の赤い部分は、全体の20%であり、表面の部分70%が、此の三次元世界の情報である理・ことが知らされた。
そして、残りの10%が、神の言葉・情報の世界であり、其の次元には、並みの内観や瞑想では、辿り着けない事が理解された。
そして、其れ等の言葉は、皆「エピソード」である事が告げられた。
エピソードを、辞典で調べると次ぎの様に載っている。
エピソード【episode】
1 小説・劇などで本筋の間にはさむ、本筋とは直接関係のない、短くて興味ある話。挿話。
2 ある人について、あまり知られていない興味ある話。逸話。
3 ロンド形式の楽曲などで、二つの主部の間に挿入される部分。挿入句。
此の意味からすると、我々が、此の三次元にて生きて居る事は、神の世界での単なるエピソードであって、本論と言うか真実の路線ではなく、或る神の物語の一部分であると言う事に成る。
其の真実と言うか、本論は何処に有るのだろうか。
其の事に付いて、ヒントの成りそうな事が、今朝の出来事である。
今朝、私が事務所に出て来てPC前に座ると、例の女神の言葉が告げられて来て、其の言葉を記した。
「行方知れずの愛が還って来た」http://moon.ap.teacup.com/20060103/225.html
其の言葉に拠ると、私の24年半もの「精神・こころ」の「家離・たび」は、其の真実と言うか、本論を理解する為の物であった様である。
そして今日、12月24日のクリスマスイブに、其の答えが告げられて来たのである。其れは、私に対する、神の「クリスマスプレゼント」と成る物ではないだろうか。
今朝は、其の他にも「北島さん」との言葉が告げられて来た。
北島さんとは、出雲大社の横に有る「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」を斎祈する「北島家」の名前である。
其の「饒速日命・にぎはやひのみこと」は、大国主命から国を譲り受ける条件として、大国主命の御霊を、永遠に斎祈する事を約束し、出雲大社を建築したのである。
現在は、出雲大社の宮司は「国造家」であるが、北島家と国造家は、本来同じ血筋であり、交互に出雲大社の「大国主命」の御霊を斎祈していた家柄である。
何故、イエスキリストに関係有る今日の日付に、北島さんの名前が出て来たのであろうか。若しかしたら、饒速日命は、大陸からの渡来系である天津神の子孫だから、ユダヤ一族と関係が有り、其れが、イエスに関係が有るとの事かも知れない。
其れは、昨日のメッセージに有った、女性の情念の世界とは違う、男性の政(まつりごと)の世界である。
今朝現れた、「70=20=10」の割合の「言葉・情報」の世界は、男性の役割が、情報の処理活動にあり、女性の世界とは違う理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、子育てや育児の世界は女性に任せて、男性は、神の存在を追及して行かなければ成らないと言う事に成る。
其れは、過去の世界を調査したり、神仏を相手に祈ったりする事では、解決できないことである。
インドの釈迦牟尼佛の言葉には、「本当に頼れる物は おのれの此の肉体だけである」と有る。其れは、神仏を拝んで居ては、何にも解決しない。真実を知りたければ、自分の生命・いのちの記憶を遡るしか、他に方法が無いとの意味である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、人間が100%悟る為の、思考の割合を、示して来ている事に成る。
そして、私が「ファーザー (Father)」であると告げられた、日高雲平氏が今朝現れて、内観の方法を指導して居たのは、「神・天帝・ファーザー (Father)」の意識が、今日のクリスマスイブを祝っているとの事ではないだろうか。
昔のエピソードの神話ではなく、未来に伝え続けられるエピソードを、是からどう組み上げて行けば、良いのだろうか。
其れを考えると、もう私には、内観をしている時間は無いと、言う事に成るのだろう。
昨日は、私の弟から午前中電話が有り、「屋久鹿が 罠に掛かって居るので 処理してくれ。」と云って来たので、包丁やロープ等の道具を持って行って、捌いてから自分の分け前も貰って来た。
そして、昨日の昼食と夜食には、捕り立ての鹿肉を食べた。
しかし、今朝のメッセージには、肉食をした影響は、其れ程見られない様である。
私も、肉食も許される時期に成ったのか、其れとも、自然の中で生きている野生の鹿だったので、情報の乱れを起さなかったのだろうか。
御陰様で、正月の食料を買いに行かなくて良い様である。
神の僕として、生きて居れば、其れなりの物は、与えられる様である。
「エピソード」https://green.ap.teacup.com/20060818/988.html
2015/4/6・・其の様に考えると、今朝の映像の四つの場面では、私自身は何もしないで、様子を視て廻って居ただけなので、大文字の「Father・ファーザー」である「天の父」の意思が、私の潜在意識と言うか、「カルマ・業・背景」に在ると言う事に成る。
其の様に考えると、私が今朝「胸・懐」から取り出して、台の上に置いた透明な三個の球体は、造化三神である「天御中主神・あめのみなかぬし」「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の三体を、意味しており其の造化三神の働きは、私の胸の内に在ると言う事になる。
其の様に考えると、昨日の「ポート・プレリウム」との言葉や、一昨日の「結束された靴下」の映像の意味も理解されて来るし、私は、自分の足で歩かないでも、自分の役割を果たしている事になる。
否、歩かないからこそ、此の様な文章を書けると言うか、メッセージが届くのであろう。
其れを考えると、如何に、エジプトのトト神である「書記官」の存在が貴重なモノであったのかが、能く理解されてくる。・・・
「国常立神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3417.html
2012/10/23本日10月23日は、私の父親の48回忌であり、祖父の月命日でもある。今朝のメッセージは、3日続けて「父」の立場に関係する事が伝えられて来た。・・
今朝のメッセージでは、現在の経済システムが崩れても、無線通信は残されていると言うか、使用可能だったので、宇宙衛星通信システムと、地上の電気システムは維持される事を示唆しているのであろう。
其の通信システムを使って、どの様な人間の暮らしを維持するかを、考えなければ成らない様である。
其れも、今朝の映像で、私の側に寄って来たのは、若い女性だったので、若い女性の協力が必要である理・ことを示している。其の若い女性は、私の長女や次女と同世代なので、自分の娘達の事も考えなければ成らないのであろう。
其れは、私自身が、子供の父親である事を、取り戻す作業でもあるのだろう。
其れを遣らなければ、彼の世に居る父親や祖父も、本当の安らぎを得られないのかもの知れない。
「尚 社会派父社」https://wave.ap.teacup.com/20060106/487.html
2008/10/13「マーモット」https://star.ap.teacup.com/2006413/246.html
『大祓祝詞』
・・朝の御霧夕の御霧を 朝風夕風の吹き払ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く・・・
あしたのみぎりゆふべのみぎりをあさかぜ ゆふかぜのふきはらふことのごとく おほつべにをるおほふねを舳(へ・前綱)ときはなち 艫(とも・後綱)ときはなちて おほうなばらにおしはなつことのごとく・・・
今朝のビジョンに映し出されて来た、神棚が設置されている部屋に入る襖の「丸い取っ手」の部分が失われていた事は、先ずは、神(はたらき)が降臨する部屋を、各自が準備する必要が有り、「受け皿・受信アンテナ」を有しない人間達は、天神(はたらき)も救いようが無い・手立てが出来ない、との事であろう。
其れと「残り一週間しかない」との言葉は、私し向けではなく、由香の昨日のビジョンで、「私が創造、構築した事を土台・基盤として、受け継いで新たな創造・デザイン・再構築をするという場面」と関係があり、由香の決断を意味しているのかも知れない。
其れを考えると、一昨年の11月27日に「由香に渡す」と告げられて来た事と関係が有り、由香の新しいPCが今月「1月10日正午 事代主命祭日」に届き、翌日、10年前に亡くなった母親の枕元に到着した「1月11日午後1時11分」の時間に合わせて開封した事と関係が有り、其の由香のPCが黒い襖の取っ手の役割を果たす事に成ると言うことなのかも知れない。
何故なら、今朝の襖を開けた部屋には神棚だけではなく、由香の母親の位牌を立てている仏壇が有るからである。
次に起きた「6時53分・7時7分前」の数字から、昨年の「7月7日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/7今朝のビジョンは、昨日のメッセージの続きの様で、私が様々な人間社会の現場に対応して居る様子が映し出されて来た。
其れは教室の机に着いて学問・勉強を行うものではなく、全てが現場での体験・実習であった。
其れ等の場面・様子から思い出せるのは、次の様な場面である。
私が白い服装で、自然食の料理講習の様な事を行って居り、捏ね鉢で粉を練っていると、袖がきつい・ボタンが止めにくい服なので、主催者の女性が見かねて、袖のボタンを止めてくれる場面。
私が年寄り達に、死後の魄しいの離れ方に付いて講習を行って居り、幽体離脱の様に躰から浮き上がって、頭が天井に着くまでのリラックスの仕方を教えて居ると、80歳位の長身の男性が、失禁するので、オムツを嵌めて来る様に伝える場面。
私は其れ等の場面から、私は、普通の人間社会に関わっては成らないとの理を意って居た。
今朝起こされた時刻は、5時30分である。
其れからPCを立ち上げて、5月30日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/5/30「緑色のハッシュタグ 」https://green.ap.teacup.com/20060818/5764.html
此の文章の最後の部分からすると、私は三次元(人間社会)の老人クラブの様な世界に関わるのではなく、是迄の価値観・概念とは異なる世界を、創造して行かなければ成らないと言う事であり、一昨日と昨日のビジョンに映し出されて来た、「金剛道・シルバールート・シルバーソテー」の世界を、確立しなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其れは、此れまでの宗教世界で説かれて来た「彼の世・霊界・冥府」の「悪霊・地獄」の悪イメージを一掃できる様な、説明・考えを創出しなければ成らないとの理・ことであり、其の為にこそ善悪の渦中で、もがき続けて来た私の実体験・経験が役立つとの事なのかも知れない。
キー「 智 知+曰 慧 」
16/5/11「経験智」https://green.ap.teacup.com/20060818/3849.html
15/7/5「だんだん」http://star.ap.teacup.com/170606/497.html
15/6/8「万歳三唱」http://green.ap.teacup.com/20060818/3491.html
「知恵と智慧の違い」https://wave.ap.teacup.com/20060106/584.html
17/12/25「神官と斎宮」https://green.ap.teacup.com/20060818/4476.html
此の「経験智」の文章には、次の様に記して有る。
「・・今朝のメッセージの内容は、どんなに優秀な人物でも、年齢には逆らえないと言う事であり、政・まつりごとには年齢制限が必要であり、一人の人物が長期間に 亘って政・まつりごとを行う事は、色々な問題・弊害・停滞が起きると言う事であり、複数の人物が、智慧を出し合う事が必要である理・ことが示されて来てい るのであろう。・・・」
此の内容は、私の年齢が既に満74歳を経過している事と関係が有り、私自身が若い時の様に、幾つもの仕事を抱え込む能力が無い事や、記憶力の低下を実感している事と関係が有り、社会に対して自分の考えを述べる事は、余計な事であり、間違いが有れば、此れまでの神示・神事を駄目にしてしまう恐れも有る事に成る。
其れに、次の様にも記して有る。
・・ 私が、今朝の文章の題を「知と考え」にしようかと意ったのは、「知・チ」の漢字は「神のメッセージを受ける」意味であり、「考・コウ」の漢字は「長生きした老人の知識」の意味だからである。
「知」は、神・天からのメッセージを受け取る意味だから、三歳の幼児にも起きる事だし、耄碌・もうろくした老人にも起きる事である。
処が、其の者達には、自分の考え・判断力は無いのである。
其の意味では、「知」と「考」の両方を完璧・パーフェクションに行うのには、相当な実力と修行が、必要であると言う理・ことに成る。・・・
此の文章は、現在74歳と成っている自分自身にピッタリの内容である事に成り、私は「いま・現在」の自分の脳細胞の減少度合を、調べなければ成らない様である。
其れとも、脳細胞の減少にて、意識が子供(三歳児・三つ子)の状態・次元に還るので、柵(しがらみ)が消えて解き放たれるから、楽観的に成れるとの事であろうか。
そうであれば、昨日の「シルバーソテー」の言葉の意味は、違う解釈ができる事にもなる。其れは、「老害・ろうがい」との言葉が適用されない前に、私を第一線から外すとの神の配慮なのかも知れない。
「翁の智慧」https://green.ap.teacup.com/20060818/5849.html
次に起こされた「7時12分前」の数字から「7月12日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/12今朝のビジョンには、先ず、全面が柄の無い一色(複雑の色合い・上手く表現できない)の仄明るい紅い空間が映し出されて来た。其の空間は、奥深く濃いエナジーが満ちた世界である理・ことが認識できた。
そして其の空間・世界が拡大されて近付いて来ると、其の中央に紫色掛かった土色の右巻きの渦が一つ有る事が映し出されて来た。
其の渦巻が更に拡大されて来ると、其れはとても長い蛇の様な生物の躰が蚊取り線香の様に丸まっている物である事が判り、其の生物の躰には毛虫の様に、躰全体に細い産毛・羽毛の様な物が生えている事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「0時47分・1時13分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が山岳から傾斜の緩い麓に降りて行くと、「大山椒魚」の様な姿形の生き物に遭遇した。
其の生物は、躰全体が山吹色で、平な胴体の頭には黒い両目が付いているので、私は、是が噂に聞く「ツチノコ」だと意って写真を撮ろうとしたのだが、私が右手でポケットから取り出したカメラは、通常の私のカメラではないので、取り扱いが判らないで居ると、其の生き物は、手足は無く、蛇の様な鱗も無いらしく、ヒラメが泳ぐ様に、躰を上下に動かして落ち葉の上を左方向に逃げて行った。
私はカメラを操作しながら、暫く後を追い掛けて行ったのだ、結局は一枚も撮影出来ないまま諦めて、「一枚でも撮れれば証拠に成ったのに」と、残念がっていた。そして私は、其れは粘菌の様な生き物の存在・生体を意味しているのだと意った。
次のビジョンは、私が町の中に到着して、港の建物の中に入って行くと、待合室に数人の男性が居て、私の到着を持っていたらしく、直ぐに乗船する事に成った。そして、船が走り始めると、運転しているのは40歳位の女性(女神)であり、窓の外の波飛沫の様子から、其の船は小型の水中翼船である事が判った。
そして行先には、とても大事・重要な仕事・役割が待っている事が理解された。
次のビジョンは、「土肥無庵」らしき男性が登場して、「夕食迄には時間が有るので 汗でも流してゆっくりしなさい。」と謂うので、私は手ぶらで建物の通路を歩き始めると、其の通路はとても長い物で、歩き続けるとやがて建物の反対側に出てしまった。
其れで私が戸惑って居ると、中年の紳士が二人遣って来たので、私が風呂場の場所を訊くと、其の二人も風呂場の方に行くとの事なので、後を付いて行く事にした。すると其の建物には、一階には小学校の教室が有り大勢の子供が通学している事が判り、其の建物施設はとても巨大な物である事が判った。
そして、其の紳士が到着した場所は、数階上のホテルのロビーの様な所であり、カウンターの男性が、二人に入浴料金が「510円」であると云っているので、私は自分の右のポケットを探ると、ばら銭が有るので、私は百円玉5個と10円玉を用意していた。
そしてカウンターの右端を視ると、何処かで会った事が有る鼻髭を蓄えた50歳くらいの男性が居て、其の人が支配人である事が理解されて来た。
其れから「8月3日」の日付が示されて来た所で意識が目覚め、起きて時計を見ると時刻は7時43分・8時17分前」であった。
其れから縁側に立っと、蝉が庭木で激しく鳴いているので、其の蝉の鳴き声を全身で受け止めて居ると「松尾芭蕉」の世界が思い出されて来た。
其れで、パソコン前を始める気がしないので、朝風呂に入る事にした。
そしてゆっくりと浸かって居ると、今朝映し出されて来た最初の渦巻は、私が「土肥無庵」に找し出されて一緒に食事を初めてから、初めて書いた渦巻模様と関係が有る事が理解されて来た。
其れは、1984年3月5日から三か月間、土肥宅で一緒に食事をする事に成り、食後の会話の途中で土肥無庵が30分程で中座して森の中に逃げる様に成り、数日後に「もう堪らない 私は書いた文章なら どんな量でも見るだけで頭に入るので書いてくれ。」と、謂うので、「一生文章を書く事は無い」と思っていた私は戸惑ったのだが、仕方が無いので本屋に行ってノートと鉛筆を買って来た。
そして、1ページ目に書いた物は、頁全面に右巻きの渦の図であった。
すると、土肥無庵は驚い様子で「これは何だ」と謂うので、私は自分の意識で書いた物ではないので「蚊取り線香ですかね」と答えると、土肥無庵はずっこけた様な素振り・様子であった。
だが、翌日の朝、土肥宅を訪れると、私のノートを開いて、驚いた様子で「何故 此の字を書いて有るのか」と訊くので、私が其の漢字を見ると、其の字は私が知らない・読めない漢字であったので、私が無意識で書かされた物である事が判った。
其れで私は、何故、其の漢字で土肥無庵が驚いたのかを知りたくて、夜自宅に帰った時に辞典の調べると、其れは「隗より始めよ」の「隗・カイ」である事が判った。
隗(かい)より始(はじ)めよ の解説
中国の戦国時代、郭隗 (かくかい) が燕 (えん) の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から》大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ。 国語辞典より
此の説明を見ると、「土肥無庵」が何故此の私を、自分の生命(エネルギー)を賭けて育て上げたのかの切っ掛け・要因が理解されて来る。
其の「土肥無庵」は、私に「今日から自分で歩いて行け」と謂った時に、「私はもう疲れた 二度と人に会いたくない。」と謂って居たので、土肥無庵が60歳の若さで身罷ったのは、良し悪しの概念・判断を超えて、此の私の所為なのであろう。
だが今朝のビジョンでは、私を屋久島から連れ出したのは女性・女神であったが、到着した建物の玄関口に土肥無庵らしき人物が待って居て、私に「夕食迄には時間が有るので 汗でも流してゆっくりしなさい。」と謂ったのは、其の土肥無庵の霊魂が新しい御世創造の中心的役割を果たしている事は、間違い無い様である。
其れに、けさ「8月3日」の日付が示されて来たのは、其の日付は私の両親が屋久島に上陸した日が昭和21年8月3日であった事が関係が有り、私は其の時母親の腹の中で受胎3カ月の命であり、入浴料金が「510円」であったのは、私が誕生した1月29日から「29・5日×9ヶ月=265日」を差し引くと、21年5月10日と成る事と関係が有り、今朝のビジョンは、私の人生・いのちの理(ことわり)に付いて、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私が山岳から緩やかな土地を下って行く時に、ツチノコをイメージさせる様な生き物が居て、其れが粘菌の塊り・動きをして見せた事は、粘菌の存在は未だに「植物」か「動物」かの区別・判断が下されていない事と関係が有り、我々は人間の都合だけで動くのではなく、地球生物全体の生物有り様を、全て熟知した上で、政(まつりごと)を開始しなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして其の事が、「山神」と「海神」の世界の中間の森林の中に真理が隠されていると言う事であり、森林の中の湿った湿度を肌感覚で捉え、草木が放つオゾン(03)をお腹一杯に吸い込んで、頭脳に酸素を送り込んで、自分の遺伝子・DNA情報を蘇えさせる必要があるとの事なのではないだろうか。
其れに、今朝渦巻が映し出されて来て目覚めた時刻が「0時47分・1時13分前」であったのは、私が江藤敬介氏に始めた出会った時(2007年1月13日)に江藤氏の背後に花畑の存在が映し出されて来た日付と、符号する数字である。
其れに、明日7月13日は、1月13日から丁度半年であり、旧暦の6月4日である。
私は、新暦の6月4日(旧暦5月5日)母親の64歳の誕生日に、安房川の岸辺で「土肥無庵」が見守る下、禊祓いを行って覚醒し、20年前に死亡した父親の霊魂が4311体の霊魂を伴って来て、「お前に苦労をさせたのは、お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に躰を貸せ。だが仕事だとおもうな、遊びだ遊びだとおもって行け。」と謂われ、其の通りに行動し今日を迎えている。
今朝、入浴中に、私に覚醒・成仏が起きた後、土肥無庵の自宅の風呂に入って居る時に「宇宙戦艦大和」の歌が脳裏に聴こえて来た事を思い出した。
其の「宇宙戦艦大和」の歌の事を考えると、其の頃私を導いてくれた子供達が、現在40歳の年齢に達しているので、次世代の人達(若者)が自分達の「使命・運命・さだめ・みこともち」に目覚める時節に至っているとの事が考えられる。
私が何故、無意識で「螺旋」の図を書いたり「隗」の漢字を記したりした・出来たのかを考えると、私の背後には、確かに肉体の目には見えない「神・宇宙意識」のプログラム・計画が存在する事は100%間違い無いので、私が原点の「無・空」の意識状態と成って、「霊留・ひと」の役目を貫いて行かなければ成らないと言う事なのかも知れない。
其れを考えると、私が土肥無庵に「本が要る」と云うと、直ぐに飛行機で飛んで「捨てこそ得る」と「紙魚たちよ語り部と成ってほしい」の本を二冊買って来て私に渡した。
私は其の「捨てこそ得る」の本は、題名だけで其の意味が理解できたので、其のまま返して「紙魚たちよ語り部と成ってほしい」の本は、未だに手元に置いてある。
今朝は、其の「紙魚たちよ語り部と成ってほしい」との題名の意味・メッセージが、私に能く理解できそうな気がする。
今朝のビジョンに映し出されて来た、宇宙空間に浮かぶ「羽毛が生えている螺旋の生き物」の存在・姿は、生涯忘れない様にしなければ成らないのだろう。
「魂魄の完熟の背景」https://green.ap.teacup.com/20060818/5859.html
此の「魂魄の完熟の背景」の文章の内容からすると、此の私は、確かに自分に与えられていた役割を無事に果たしたとの事であり、精神・こころの旅が完了したと言う事に成りそうである。
最後に、本日のメッセージのビジョンから、私に考えられる事は、次の三項目である。
眠る前に映し出されて来た二項目
1内側に青い小石が挟まれていた大きな牡丹の花が、上向きで、天高く真っ直ぐに上って行って、雲間に消えて見えなく成ってしまう様子・場面が、映し出されて来た事。
*私の「思考の台座・蓮華台」であった物が、役割を果たして天上・雲上に返された。
2左側の壁際に、花が飾られている小さな神棚が置かれていて、其の壁の中から、白地に青い縦縞のシャツの右手が出て来て、とても長く伸びて、右側の壁近くに立って居る人物の心臓の所を鷲掴みにする様子が映し出されて来て、其の心臓を掴まれた人物は私である事が、感覚的に伝わって来た事。
*万物の母神が、私が1984年6月4日旧暦5月5日に安房川の岸辺で禊祓を行って覚醒した瞬間から、私の「心臓・こころ・ハート」を右手で掴んで、本日まで37年間コントロールして来ていた。
眠ってからのビジョンに映し出されて来た場面。
以前の私の自宅が有った安房川の桟橋に、「日高雲平氏」が運転する船外機が何処からか帰って来る場面が映し出されて来て、私は其の船の舳先に後ろ向きで座って居り、船が着岸した時に、私は向きを変えて、自分の右手で岸辺の枠を掴まえて、船を引き寄せなければ成らない事に成った事。
*私は「13743日・37年7カ月」掛かって、禊祓いを行った場所に自分の右手で本日着岸した。
其れは、私が「ソフト ランデイング」した事に成り、此れまで誰も行った事が無い・前例が無い事に、成功した事に成るとのことである。
2012/5/24・・イエスキリストの言葉には「そのトキには 一番さきの者が 一番あとに成る」と有るので、其のイエスが謂う「そのトキ」が近付いているのかも知れない。
イエスキリストの謂う「其の時期・そのとき」を、如何に、穏やかにソフトランディングさせられるか、其の事に、私の役割が、必要とされて来ているのであろう。
そして、十字架に着いている「瓢箪・ヒョウタン」は、キリストの御霊を意味しているのではないだろうか。
「政・まつりごと」https://green.ap.teacup.com/20060818/2318.html
みいつ16年1月18日
礒邉自適
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