1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/3/31
頭を壊す
4・3・31
今朝のビジョンには先ず、昼間の明るい世界に40歳位の強い意思(御魂)の女性(姉妹)が並んで、此方を視て居る場面・様子が映し出されて来て、其の二人の周囲には、元気良く育っている背丈程に伸びた樹木の苗の存在が有ったので、私は其の姉妹は全国に植樹を行った「素戔嗚尊」の娘で、木の苗を育てた「大屋津姫命」と「都麻津姫命」の二人であると思った。
2011/12/23「見えて来た神一厘の仕組み」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/53481453.html
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時23分」であった。
其れから再び眠ると、目の前に「正〇正」と大きく記されている看板の様な物が有る事が示されて来て、「あたまをこわす」との言葉が告げられて来たので、私は正しく生きていない人間の「頭を壊す」との意味なら、現在・いま問題と成っている「国家の長・頭首」の存在を思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時3分」であったので、其れは、日本の憲法記念日であり、私に「地球憲法を引き受けてくれるか」との言葉が告げられて来た事を思い出した。
2019/7/20「太陽の子」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55781589.html
其れから再び眠ると、私の事務所に30代の男性が三名訪れて来て、私に「自分達のPTAに成ってください。」と、依頼する場面・様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時7分」であった。
其れから再び横に成ると、頭の右側上から女性(女神)の聲で「手を出さないで」と、一言告げられて来たので、其れは先日告げられて来た「オフサイド」との言葉と関係が有り、「エホバ・ヤハウェ」の神は矢張り「女性・女神」である理・ことが理解されて来た。
13/10/13「11はエホバ・ヤハウェ」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54636732.html
其処で起きて時計を見ると、時刻は7時47分・8時23分前であったので、其の8時23分の数字は、釈迦仏陀が私のPCに「2005年8月23日」に住み着いた事と関係が有り、エホバ・ヤハウェと釈迦(ガウタマ・シッダールタ)には、何らかの関係が有り、「覚醒・成仏」には其の「エホバ・ヤハウェ。私は有るときから在るもの」が関係有る理・ことを思った。
2005/8/23「リンクボックスに入った釈迦」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55923943.html
其れから縁側に出て、満開に成っている「花海棠桜・はなかいどうさくら」を眺めて居ると、男性の口調で「此れからが本番」と一言告げられて来た。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた時刻「4時23分」と「5時3分」の数字から、昨年の「4月23日」と「5月3日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/4/23今朝のビジョンには、私が20歳で牛飼いを本格的に始める前に、死亡した父親の後を継いで、豚を飼って居た時の様子が映し出されて来て、弟二人が豚に与える餌を、大きな平鍋で煮ている場面が映し出されて来た。
そして、其の鍋の下には、丸太の儘の薪が勢い良く燃えていた。
だが其の飼っている豚は、私が飼っていた品種ではなく、餌を煮る設備は、豚の餌を煮ていた小さな丸鍋ではなく、砂糖キビを煮詰める製糖工場の設備の方であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時21分」であった。
其れから照明を消して、再び横に成り、其の豚を飼って居た57年前頃の様子が何故映し出されて来たのかを考えて居ると、「2月21日は わたしの日」との言葉が一言告げられて来た。
21/2/21「文化の再構築」https://green.ap.teacup.com/20060818/5650.html
私は此の文章に「虚空蔵菩薩の日」の題名で、「2月21日は私の日」とは、虚空蔵菩薩に関係が有るのだろうかと考えながら、再び眠った。
すると今度は、私と由香が、二人で掘っ建て小屋の中に、枯草を敷き詰めた上に布を敷いて、暮らして居る様子が映し出されて来た。
すると、側を通る村人達が、私達の様子を横目で見ながら通るので、私ではなく由香が野外に出て行き、他人から家の中が見えない様に、垣根を作り始める場面が映し出されて来た。
其れから再び眠ると、今度は「プレーボール」との言葉が一言告げられて来た。
私は其の「プレーボール」との言葉から、其れはスポーツの「ボール・球」ではなく、人間の「御魂(みたま)比べ」が始まるのだと考え始め、今朝のビジョンで「自宅の垣根を作る作業」を私が行なうのではなく、由香の方が行なって居た事から、男女の役割が反転しているので、其れは「垣根を作る作業」は「須佐之男尊・すさのおのみこと」の役割であるので、私の方が家の中に座った儘であったのは、私の御魂が櫛稲田姫である事に成るからである。
其れ等の事を考えて居て、起きて時計を見ると時刻は8時8分であったので、私は其の数字から、今朝のメッセージは8月8日が大祭日である「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけ やくらひめのみこと」に関係が有るのだと意った。
其れからPCを立上げ、垣根作りの場面が映し出されて来た5時25分の数字から、昨年の5月25日の文章を視て見ると、何と題名が「三三七拍子」であり「珠緒・たまお」の言葉が書いて有るので、今朝告げられて来た「プレーボール」との言葉と関連している。・・・
「新御魂プレーボール」https://green.ap.teacup.com/20060818/5712.html
2021/5/3本日5月3日は、「憲法記念日」であり、私の息子「嵩靖・しゅうせい」の33歳の誕生日である。
其れに、私の母方の祖母「加藤キイ・明治29年(1896)1月10日生)」が、1999年(H11)5月3日に103歳4ヵ月で亡くなった日でもある。
今朝のビジョンは、先ず私が、中村家と言う名の大きな農場に世話に成って居る様子が映し出されて来て、収穫された大きな薩摩芋が、石置き場の様に山積みに成っている物を、貯蔵施設の方に運ぶ作業を手伝い始めたのだが、直ぐに体力不足で中断する場面が映し出されて来た。
次に、私が屋久島の磯辺と呼ばれている海岸付近に居る設定で、矢本嶽の麓に在る実家に居る弟「農夫成・のぶなり(1979年11月26日に29歳で死亡)」に、迎えに来て貰おうと意い、携帯電話で連絡を入れ様とするのだが、自分が今何処に居るのかを説明出来ない場面・様子が映し出されて来た。
次に、私が印刷機で大量の文章を印刷して居る場面が映し出されて来て、其の文章に目を通した人物から、赤線が引かれている物が、一枚送られて来て、其の頁を訂正してから全て刷り直さなければ成らない様子が、映し出されて来た。
其処で「隠居・いんきょ」との言葉が一言告げられて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時44分」であった。
私は其の数字を「444・ししし・死死死」と記憶して再び眠る事にした。
すると今度は、未来世界の方から「あやまりなさい」との言葉が、一言告げられて来る聲が聴こえて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時10分」であった。
其れから再び眠ろうと意ったのだが、意識が目覚めてしまったので、起きて時計を見ると、時刻は5時25分であり、其れからPCを立上げ、文章を打ち始めた。
いま朝日が射して来たので時刻を確認すると、6時11分である。
今朝のメッセージは、私が隠居しなければ成らない事が示されて来ており、此の儘文章を打ち続けて行けば、此の先、他人に謝罪を求められる事案が起きるとの事の様である。
そして其の要因として、3つの場面が映し出されて来ている様である。
最初の、薩摩芋の運搬作業を中断する場面は、74歳と成って居る私は、現場作業を続ける体力が既に無い。
次の、彼の世に居る弟に電話を掛けて迎えに来て貰おうとする場面と、自分の居る場所を確認できない様子は、私の人生も、彼の世に帰る時節が近付いて来ているので、自分の立ち位置を自覚して措かなければ成らないとの事。
最後の、私が印刷をしている文章に赤線が引いて有り、其の文章を訂正してから印刷仕直さなければ成らない場面・様子は、私が是以上自分自身で文章・書き物を発行する事は、止めなければ成らない。
そして、其れを止めなければ、将来「謝罪」をしなければ成らない状態が発生する事に成るとの理・こと。
其れに「隠居」との言葉が告げられて来たのは、本日5月3日が建国記念日であり、私の息子「嵩靖・しゅうせい」の名前が「高き所に立ち 国を靖らかにする」との意味合いなので、其の名前を携えて産まれて来た息子に後の事は委ねて、私は肩の荷を下して良いとの事なのであろう。
其れは、昨日の文章に記した、私に2001年5月3に「地球憲法を引き受けてくれるか」との神のメッセージが有った事が関係があり、又私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、白山権現菊理姫の本体である「白龍」が私の身体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と告げて来た重責も、74歳で解除されるとの事なのかも知れない。
「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
其れに、朝日が差し込んで来た時刻が「6時11分」であったのは、私に「紀(とき)のまつりを行なえ」「みいつ建国 6月11日」と告げられて来ていた事が、皇紀2666年6月11日(旧暦5月16日)から、無事に始まっていたとの事が示されて来ているのであろう。
其れを考えると、今朝「4時44分」に起こされた事は、「333」の数字で動いて来た神(はたらき)が、始末を終えたとの事なのかも知れない。・・・
「隠居」https://green.ap.teacup.com/20060818/5722.html
此の「隠居」の文章には、次の様に記して有る。
・・私に2001年5月3に「地球憲法を引き受けてくれるか」との神のメッセージが有った事が関係が有り、又私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、白山権現菊理姫の本体である「白龍」が私の身体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と告げて来た重責も、74歳で解除されるとの事なのかも知れない。・・・
此の事からすると、今朝のビジョンに、木の苗を育てている素戔嗚尊の娘二人が登場した事と関係が有り、明日4月1日「新年度」から何かが動き出すとの事で、この私は若者が活動を始める7月27日迄に、隠居の為の片付けを始めなければ成らないとの事の様である。
其れに、若者三人が「PTAに成ってください」と頼みに来た「7時7分」の数字から、昨年の7月7日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/7今朝のビジョンは、昨日のメッセージの続きの様で、私が様々な人間社会の現場に対応して居る様子が映し出されて来た。
其れは教室の机に着いて学問・勉強を行うものではなく、全てが現場での体験・実習であった。
其れ等の場面・様子から思い出せるのは、次の様な場面である。
私が白い服装で、自然食の料理講習の様な事を行って居り、捏ね鉢で粉を練っていると、袖がきつい・ボタンが止めにくい服なので、主催者の女性が見かねて、袖のボタンを止めてくれる場面。
私が年寄り達に、死後の魄しいの離れ方に付いて講習を行って居り、幽体離脱の様に躰から浮き上がって、頭が天井に着くまでのリラックスの仕方を教えて居ると、80歳位の長身の男性が、失禁するので、オムツを嵌めて来る様に伝える場面。
私は其れ等の場面から、私は、普通の人間社会に関わっては成らないとの理を意って居た。
今朝起こされた時刻は、5時30分である。
其れからPCを立ち上げて、5月30日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/5/30「緑色のハッシュタグ 」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55888297.html
此の文章の最後の部分からすると、私は三次元(人間社会)の老人クラブの様な世界に関わるのではなく、是迄の価値観・概念とは異なる世界を、創造して行かなければ成らないと言う事であり、一昨日と昨日のビジョンに映し出されて来た、「金剛道・シルバールート・シルバーソテー」の世界を、確立しなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其れは、此れまでの宗教世界で説かれて来た「彼の世・霊界・冥府」の「悪霊・地獄」の悪イメージを一掃できる様な、説明・考えを創出しなければ成らないとの理・ことであり、其の為にこそ善悪の渦中で、もがき続けて来た私の実体験・経験が役立つとの事なのかも知れない。・・・
「翁の智慧」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55892896.html
其れに、昨日は江藤敬介氏から連絡があり、「今朝のビジョン・霊夢は強烈な物であった。」との事であったので、其の内容を訊くと、他の人々が通れない「みち・ルート」を「餅」と「自分」だけが通過できて、辿り着いた場所には食料を満載した1500屯程の船が停泊しており、自分は其の船に乗り込んだとの事であった。
私は、其の江藤敬介氏のビジョンから、出雲大社で毎年10月15日に行われる「保食神・うけもちのかみ・受け餅の神」の儀式「亀太夫神事」の事を思い出した。
2001/10/15本日10月15日は、「出雲大社」から「熊野大社」へ、餅を届ける「亀太夫神事」の儀式が行われる日である。
「杵築大社(出雲大社)」で、杵で搗いた餅を、熊野大社に二人の人が肩に担いで納めに行く儀式が、両神社の総出で行われるのである。
熊野大社では、亀太夫(現在18代目)が、その餅を検査して、散々ケチを付けて「搗き直して来い」と云うのである。
其の、遣り取りの最後に、杵築大社側は「来年は もっと良い餅を搗いて持って来ますので 今年は何とかこれを受け取って下さい」と願って、熊野大社側もようやく餅を受け取るのである。
それが、「受け餅の神」であり、文字は「保食神」と書いて「ウケモチの神」と読んでいる。そして「保食神」とは、食物の神様の事である。
其の神様が、稲穂の神で、稲倉の神、稲荷の神と変じて、狐が祭られている「お稲荷さん」と成ったのである。
熊野大社で、餅を受け取る祭神は、「神祖(かむろき)熊野大神櫛御氣(くしみけぬ)の命」で、素鳴の命の別命とされている。
その食物神が、伊勢の外宮に祭られている食物の神「豊受(とようけ)の神」であり、紀州熊野大神の祭神「家都美御子大神(けつみのみこ)」でもある。
天皇家で祭祀されている重要な神は「御気殿・みけどの」であり、御気殿とは食物を作る台所の名である。
本来、狐とは何の関係も無く、人間が、食べる物に一番気を配らなければならないとの、日本の伝統を伝えるものなのである。
今朝のメッセージの映像には、二通りの場面が映し出されて来た。
其れは、食べ物に関しての事である。
最初の場面は、人間の母親が、赤子を腕に抱いて、母乳を飲ましており、次の場面は、機械がリズム良く動いて、ミルクを容器に詰め込んでいた。
この夢の意味は、母親の温かい胸に抱かれて、母乳を飲んで育った子供は、母親の愛情を憶えており、その感覚が基礎にあるので、神佛の慈しみの包容力が理解出来、安らぎが実感出来るというモノであろう。
一方の場面は、機械で牛乳を搾ってトラックで集め、全て機械で容器に詰めて店に出し、補乳瓶にて赤子に与えるので、補乳瓶で育った子供は、母親の軟かい乳房を手で掴んだ事が無く、また母親の温かい肌の温もりも感じていないので、優しく抱かれているのだという実感が得難いのだと言う理・ことが、理解された。
昔は、人間の子供は、皆母乳で育てるので、何ら問題は無かったのである。
動物の乳製品は、食物としての使用であるので、赤ちゃんに其のまま、動物の乳を飲ませる事はなかったであろう。
熊野大社の、受餅の儀式の延長に、正月のお供えの鏡餅がある。
今朝の夢のメッセージは、其の受け餅の儀式以前の、動物的母子関係の崩壊を、暗示していると想われる。
どんな動物も、子供が産れたら、自分の乳を飲ませて育てている。
人間だけが、その役割を放棄してしまっているのだ。
現代社会の、子供や、若者の落ち着きの無さは、発育段階の一番初めの処が、抜け落ちている事に、原因が有るのではないだろうか。
今朝のメッセージは、食物以前の問題が、警告されて来たものと意う。
食物の神が、未だ、人類を見捨てないでいる事は、有り難い事であると感謝しなければならないのだ。
「10月15日・亀太夫神事」https://star.ap.teacup.com/170606/496.html
江藤敬介氏は、今年の「亀太夫神事」には参加するとの事なので、無農薬・無化学肥料栽培で稲作を行っている江藤敬介氏に「豊葦原瑞穂の国」の未来(伝統文化)が掛かっているとの事ではないかと、想われて来た。
キー「豊葦原瑞穂の国」
2002/12/22今年も、残り後10日となり、私は、自分の気持ちの整理をしなければと意っている。自分の人生のテーマとして、何を主体とすれば良いのか。
其れを確定しなければ、来年からの活動の方向が、安定しないと考えられる。
その事を、2〜3日前から考えていて、やはり「瑞穂の国」とは何なのかを、課題に据えることが大事であると意われて来た。
日本・大和の国は、昔から「豊葦原瑞穂の国」と呼び表されて来た。
瑞穂の国とは、「みずみずしい稲穂」の国の事で、豊かに稲穂が茂った水田が広がっている様子を、表現している。
現在の日本の水田地帯は、以前は、豊かな葦の原だったのである。
其れが、干拓技術の進歩で、水田に生まれ変って来た。
そして江戸時代迄は、何々藩は何万石と、米の禄高で財政規模が決められて来た。此の日本国では、米が社会生活の中心に捉えられて来たのである。
その事が、放牧民族である西洋文化とは、大きな違いである。
神への供養物は、日本では稲が主であるが、西洋は家畜であった事からも、其れが理解出来る。
其れらの事から、考えられる理・ことは、日本の祖先の霊は、米をお供えする事を喜び、肉をお供えしても、喜ばないと言う理・ことである。
今月、7日から16日迄の10日間の九州の旅で、その事を、改めて確認する事となった。
今回、私に旅費を出して呼んで下さったのが、佐賀県江北町の「武富勝彦」氏である。
私が、18年間の旅を終えて屋久島に帰ったので、それを祝って下さるとの事で、私は招待されて出掛けて行った。
武富氏は11月生れで、私より1歳先輩である。
私が、初めて武富氏に会ったのは1991年9月4日で、当時は、武富氏は佐賀県立農業高等学校に勤務されていた。
翌年、学校を急に辞めて、農業を始めたのである。
其れから、11年が経った事になる。
武富氏は今回、イタリアに本部の在るスローフード協会から、スローフード大賞を授与され、連日、テレビや新聞の取材を受けている最中であった。
11月26日には、筑紫哲也氏の番組「NEWS23」で取り上げられ、20分程放映された。題は「有機農法で幻の古代米」である。
番組の内容は、佐賀平野を流れる六角川の河川敷の葦を堆肥にし、水田の土作りをして、赤米、黒米、緑米等の古代米を、無農薬で栽培して全国に販売しており、悪い食物が原因で身心を患っている若者を、癒している事が認められた事である。
武富氏が、受賞者に選ばれたのは7月であるが、古代米の評判はそれより早く、数年前より広がっており、アメリカのニューヨークからも、注文が来て出荷されている。
先月の新聞には、農水省がスローフード推進の為に、500億円の予算を要求する事が、載っている。私の11月22日のメッセージに、ニューヨークで大きなニュースがある事が示され、「農林大臣」との言葉が出て来た。
此の事からも、ニューヨークから、日本の米の文化が見直され、日本の農林大臣が大きく動かされる事を、知らせて来たものではないだろうか。
11月22日は、天皇家と物部系の神社の「新嘗祭」の日でもある。
天皇や、神主が、今年収穫された米を、先祖と一緒に「直会・なおらい」の儀式をする日である。瑞穂の国の祭り事(神事)は、「食国の祭り事・おすくにのまつりごと」と言って、飯・いいを大事にする伝統である。
日本は、学校の給食も、アメリカ産の小麦で出来たパン食に変わり、自給出来る稲作まで放棄して、食糧自給率を30%まで落としてしまった。
いま、瑞穂の豊かな国の面影が、消えようとしている。
大和の国の霊達は、嘸・さぞや御心配の事であろう。
18年半前、私の肉体を借りに来た霊魂達は、4311人も居た。
其の人達の18年半の努力が、今ようやく実って来て、この秋の動きなのではないだろうか。
兵庫県明石市に住んでいる、私の知り合いの女性には、12月11日に天理教の開祖「中山ミキさん」が降りて来て、「いよいよ本番を始める」と言って来たと、知らせが有った。武富氏の、古代米の普及に力を入れている方が、天理教の信者であるとの事である。天理教の教祖である「中山ミキ」に懸かった神様は、奈良の石上神宮の神である。
石上神宮の祭神は、物部代々の霊であり、元は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」である。
天皇家の儀式も、其の物部族の儀式を受け継いでいるものである。
2001年6月15日に、島根県大田市の物部神社に参拝する事になり、神社の裏山に在る御陵に参ったら「此処は 貴方の社だ」と言われた。大田市の物部神社は、饒速日尊の長男「宇摩志麻遅の命・うましまじのみこと」の霊を労う墓所である。
私を、此れまで動かして来た、霊団の中心が「物部一族」の霊団であり、彼等の目的は、豊葦原の復活にあると受け取っても良いだろう。
私が、奈良県の三輪山麓で、自然農法に愛しむ「川口由一」氏に初めて会ったのは、私が40歳の誕生日の1987年1月29日であった。
其れから、既に15年が経とうとしている。
大分県大野町の「赤峰勝人」氏と初めて出会ったのは、1991年7月27日である。赤峰氏とも11年が過ぎ、武富氏は、その二ヵ月後に会った事になる。
其の三名の方々が、皆、世の中に認められた事になった。
私は、何の役目を果たしたのか、誰にも能く解からない様だ。
私の感じでは、彼らを世に出す為に働く霊達を、運んで行ったのではと思える。
私自身からすれば、其れ等の確信が無い訳でもない。
何れにしても、神の計画がどう言うモノかという様子は、明らかに成りつつある。
昭和20年8月15日に、奈良市の「矢追日聖氏」は、其の事を神に告げられて、未来社会の雛型を創って来られ、1995年2月9日(手塚治虫・翌96年2月9日死去)に天に帰った。
明日12月23日は、「大倭あじさい邑」」で、57年目の元旦祭が行われる。矢追日聖氏は、終戦の日に、世界中に日の丸の旗が立てられ、新しい価値観が日本から産み出される事を、知らされている。
私は18年前の秋、伊勢神宮に参拝したら、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」別名・大日如来(ビルシャナ)が現れて、「過去に八回トンネル潜りが上手く行かなかった。今回が九回目である。今回失敗すれば、もう地球にはそのエネルギーは残っていない。」と 告げられた。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
トンネルとは、何の事だか分からなかったが、現在・いま、巷で云われている「アセンション・次元上昇」に関係があるのではないだろうか。
この事は、瑞穂の大和の国に生れ育った者にしか、理解出来ないのではないだろうか。イエスキリストや、釈迦ブッダや、マホメットも、知らなかった事であろう。
今回の作戦には、姿は見えないが、彼らも、此の流に参加をして、我々の動きを見守って下さっている。其れは、私が確信出来ている。
衆生一切を救おうとする者には、諸天善神が皆加護に付く事は、イエスもブッダ・老子・日蓮も、皆知っている事である。
彼等が、其の事を知っていたからこそ、今回の枠組みと流れは、順調に進んでいるのである。
みずみずしい稲穂が実るには、豊かな大地と、深い森林から流れて来る、栄養分豊かな清水が大事である。武富さんの11年の苦労が、ようやく実って来た。其れは、又 天界の働きの成功でもある。
今年の師走は、日本の18部族の氏神様も、何百年か何千年か振りに、安心して、自分の菩提寺に帰って行く事が出来るだろう。
12月30日までには、それぞれの風習の門木が立てられ、先祖の霊が帰って来る準備が整う。私に憑いている人々も、其れ等の樹木・よりしろに帰って行くのだ。
もうそろそろ、私のペンを持つ手からも、離れて行くだろう。
「お休みなさい、全ての霊達よ。安心して 故郷に帰郷するが良い。」
「神惟(かんながら)たまち はえませ」
「瑞穂」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55923958.html
みいつ16年3月31日
礒邉自適
2022/3/29
シグナル変換
4・3・29
今朝のビジョンには、昨日登場して私に二枚のコピーを見せた男性に、「エデンの司法書士」との名前を充てた所為か、其の意識体が神(はたらき)を始めた様な事が示されて来た。
其れは、天界のスケジュールの様なモノ・世界であり、其のスケジュールに合わせて、此の私を動かすとの事の様である。
『其れは 貴方に必要な事を 知らせるだけのモノで 他の意味は有りません。』 7時44分
其の、スケジュール表らしき物が映し出されて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時4分」であったので、其の数字は私が此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ「1984年6月4日・母親の64歳誕生日」の日付である事を思った。
其れから再び眠ると、「シグナル変換」との言葉との言葉が告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時00分」であった。
其れで起きてPCを立ち上げ、「シグナル」を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
シグナル【signal】 の解説
1 信号。合図。「―を送る」
2 信号機。「駅の―」
其れで、今朝映し出されて来た画面には、文字・単語・文章の頭の部分に「1331」の数字が有る事が記憶に残っているので、2013年3月1日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2013/3/1今日から3月で、旧暦は1月20日であり、本日は「全国緑化運動」の日である。
今日は、昨日会った一塚君を伴って、博多駅前に有る「財団」で午後1時から開かれる会合に行く事に成った。
今朝のメッセージの映像には、先ず、私が河口の森の中に居ると、潮が満ちて来て、海水が岩場を乗り越えて、上流へ登って行く場面が現れた。
そして、私の居る岩場にも、水が流れ込んで来たので、私は一段高い所に上がった。
次の映像は、人間が必要とする生活道具が、次々に消えて行き、最後には何も無い、無の状態が示されて来た。
次の映像は、細胞の仕組みの中の様な場面の中に、透明なアメーバーの様な物が、一匹中央に向かって、ゆっくりと這い進んで行くのが映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、河口の潮が満ちて来る場面は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の「小戸の あわぎはらの 禊祓い」を意味しており、生活に必要な物が次々に消えて行ったのは、石上神宮の物部で言う「草草・千のひれ」を意味し、人間の行為が、全て消えた状態を、示唆しているのではないだろうか。
そして、細胞の仕組みの中にアメーバーの様な物が這って居たのは、生命の根源的な働きを示しているのではないだろうか。
其れは、生命の仕組みには、動かない物と、動く物の働きが二つ在って、成り立っていると言う理・ことである。
動かない物と、動く物の例を上げて見ると、次の様にある。
・凪(なぎ)と 波(なみ) ・如来 と 菩薩
・天皇 と 大臣 ・師匠 と 弟子
・雌花 と 雄花(花粉) ・卵子 と 精子
・女 と 男 ・植物 と 動物
・大地 と 水の流 ・夜 と 昼
・太陽 と 惑星 ・老人 と 子供
今朝のメッセージの映像から、私が感じられる理・ことは、私の意識から、余計な物が全て削がれ落ちた事を意味し、私の存在は無の立場に成り、動く物を受け入れるだけに成ったとの事ではないだろうか。
其れは、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との理・ことが、適った理・ことを示して来ているのかも知れない。
昨日、会った一塚君は2009年12月18日に一度会った事が有り、其の時は自衛隊に働いていた。其れが、昨年12月21日に自衛隊を退職して、神主に成る為に4月から神社に努めるとの事である。
其れに、誕生日が2月18日との事で、私に板垣退助の御魂が来た日である。
一塚君は、日本の国体・国是や、天皇の在り方などに付いて、研究をしており、意見が合うので、今日は一緒に白土宏氏が代表を務める「財団」に行く事にした。
其れは、本日が「全国緑化運動」であるので、偶然にしても出来過ぎていると言えるであろう。
今朝のメッセージの内容は、昨日一塚君と会った所為か、其の後「英彦山神社」に参詣した所為なのかは判らないが、何か新しい体制が始まりそうな気がする。
因みに、一塚君の名前「はるひこ」は、英彦山神社の行者が付けてくれた名前だとの事である。
「自適の今日・英彦山」http://wave.ap.teacup.com/894019/2283.html
私は、動く物と、動かない物の働きを、しっかりと認識しなければ成らない時節を迎えた様である。
岡本天明の「天津日嗣神示」には、「老子(道院殿老祖様)だけを 中に祀り 他の神は外に祀れ」と有る。其れに、50人集まって中の一人は動いては成らない人とも有る。
−492P「ひつぐの民の家には、御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、天(あめ)の日月の大神様、地(くに)の日月の大神様と称え斎(いつ)き祀り結構致して呉れよ。
1の宮、2の宮等の祀り、天明に知らしてあるぞ。道院殿老祖様は中の宮に、他は道院の神々様として次の宮に結構祀りてよいぞ。」
−上巻20P「岩戸開いて1つの王で治める。」
−上巻514P「たばねの人は後からじゃ、後から出るぞ。22年1月1日。」
−上巻225P「元の大和魂の誠の身魂揃ったら、人は澤山なくとも、この仕組成就すのざと申してあろうが、末代動かぬ世の元の元を礎づくのだから。」
などと、日本から新しい世が始まる事を伝えている。・・・
2002/2/27「私と日継神示(一)」http://moon.ap.teacup.com/20061108/164.html
弘法大師空海の命日である3月21日までに、未だ何かが起きそうである。
「動く物と動かない物」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54406714.html
此の「動く物と動かない物」の文章の内容からすると、此の私は「動いては成らない人間」であると言う理・ことに成り、「エデンの園の司法書士」からのシグナルに従って、「PC前・帝」の役割を果たさなければ成らないと言う事が、考えられる。
其れと、此の文章には「石上神宮の物部で言う 草草・千のひれ」との言葉が記して有るので、其の「千のヒレ・鰭」の事を考えると、一昨日のビジョンで、「珪素・シリコン・シリカ」の岩石・原石を、ダイヤモンドカッターで三当分(三枚)に切断して、其の三つの平な切り口を上にして横に並べ、三つのテーブル・祭壇にする場面・様子が映し出されて来た事が関係が有りそうである。
其れは、岩石を三等分に切る事は、魚を「三枚おろし」にする事と同じ形・作業であるので、中央は「頭・背骨・尾」だけと成り、左右の身・胴体と鰭が別れてしまう事に成るからである。
其れは、中央の「頭・背骨・尾」が、「頭脳・方向・意思決定」と「背骨尾・推進力」であり、左右の胴体部分の「鰭」は停止時の方向転換に使用される神(はたらき)(左大臣・右大臣)と、成るからである。
今朝告げられて来た「シグナル・変換」との言葉は、帝国・皇帝の「帝・ティ・みかど」の漢字と関係が有り、「電子機器・PC・IT」が開発・整備された事で、神(はたらき)と人間の関係性・コミュニケーションが、変化した理・ことを明らかにして来ている事に成る。
キー「 帝・ティ・みかど 」
2016/7/9今朝のメッセージの映像には、「示」の漢字の書き順が映し出されて来て、天地自然の中に、人物の存在が有ると言うか、其の者の働きが映し出されて来た。
そして、其の「示」は、「宗」の漢字の元であり、「帝・みかど」の役割に繋がるモノである事が示された。
そして、「あと30日」との日数が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、先ず、清水が流れる美しい景色の中を、スーツを着こなした品格の高い、すらりとした長身の70歳位の男性に案内されて、公園の様な林の中に入って行くと、国宝に指定されていると言う、とても美しい白い花が数種類、低木に咲いていた。
其れは、薄暗い林の中なので、其の白い花の存在は浮き上がって見え、とても言葉にできない端整な物であった。
其の場所から、一度離れて、再び山中を訪ねると、前の美しい景色は無く、女性が山羊を飼いながら一人暮らしをして居た場所が有って、其の女性が居なく成った為に其の周辺の土地は荒れ果てていた。
其れから、上の方に進んで行くと、其処は農地に開拓された畑の跡で、雑草が繁って、前に進む事もできなく成っていた。
其の映像から、私は、人類が自然環境を破壊して、神々の棲む場所、働くステージが無くなってしまっている理・ことを感じていた。
今朝は、先ずPCを立ち上げて「示・宗・帝」の漢字を調べると、次の様に載っている。
*「示・ジ・シ・しめす」【解字】象形。神にいけにえをささげる台の象形で、先祖神の意味を表し、また、指に通じて、しめすの意味も表す。示すの意味と音符を含む形声文字に「示見」がある。
【字義】(一)@示す ㋐人にあらわして見せる。「示威」㋑教える。人に告げ知らせる。指図する。「指示」Aしめし。教え。指図。「教示」(二)くにつかみ。地の神。⇔天神。=祇。
*「宗・シュウ ソウ」【解字】会意。「示+宀」。「宀」は家屋の意味。示は、神事の意味。神事の行われる家屋、おたまやの意味を表わし、転じて、先祖の意味や、祖先をまつる一族の長の意味を表わす。宗の意味と音符とを含む形声文字に崇・綜などがある。
【字義】 @みたまや。祖先の廟屋。「宗廟」Aもと。分かれ出たもののもと。㋐祖先。㋑本家。「宗家」㋒おおもと。本源。Bむね。㋐おもだったもの。中心となるもの。㋑長。かしら。第一人者。「詩宗」㋒人の仰ぎ尊ぶ者。「宗師」
Cよつぎ(世嗣)。長子。正妻から生まれた長男。D同一の祖先から出た一族。 Eたっとい。(尊)また、たっとぶ。Fまみえる。諸侯が天子に拝謁する。春の謁見を朝、夏の謁見を宗という。Gあつまる。またおもむく。H仏教の宗派「真言宗」
*「帝・テイ」【解字】象形。甲骨文でもわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これ等の漢字は「しめくくる」の意味を共有している。
【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ。五行の神。C大きい。
漢語林より
此の「示・宗・帝」の漢字の意味を調べて居ると、昨日のメッセージの映像で、女神がパイプのバルブを閉じてから、水道の水が出なく成った後に、私が社会・世間の人々に対して、何かを行って居た映像が有ったのだが、其れがどの様な行為であったのかが、どうしても思い出なかった内容が、今朝、改めて示されて来ている様である。
「宗」と「帝」で以前の文章を調べると、次の様な物がある。
2009/5/2「道場(みちば)9」http://wave.ap.teacup.com/20060106/372.html
2012/1/31「行く行くは帝人」http://green.ap.teacup.com/20060818/2199.html
2016/3/9「出陣の準備」http://green.ap.teacup.com/20060818/3781.html
2016/4/19「新開拓路の始まり」http://green.ap.teacup.com/20060818/3822.html
2016/4/17「神名の改変」http://green.ap.teacup.com/20060818/3820.html
2014/11/5「帰命から想像へ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3252.html
2014/12/20「師匠と言うな」http://green.ap.teacup.com/20060818/3302.html
これ等の文章の意味からすると、今朝「あと30日」と告げられて来た言葉は、其の「示・宗・帝」の漢字の意味・概念が、8月8日から、現実の事として、此の三次元世界で始まると言う事なのかも知れない。其れは、「天地自然」と「人間」の関係性が、明らかにされて来ると言う事であり、本来の正しい人間の在り方が明確に成ると言う事であり、「示・宗・帝」の漢字の字義が、人々に改めて示されると言う事に成るのであろう。 今朝の映像で、私が70歳位の男性に案内されて、踏み込んだ美しい世界は、人類が自然を破壊する前の神々の世界であり、次に訪れた、自然が破壊されている場所は、女性(人類の繁殖)が生きる為の行動を示唆しているのであろう。
其れに、女性が飼っていたのが「山羊・ひつじ」であったのは、日本人の暮らし向きではないので、自然を破壊する文化は、西洋の生き方である事を示唆しているのではないだろうか。
日本には、天皇家が存在し、天皇陛下は古代では「みかど」や「すめらのみこと」其れに「大君・おおきみ」と呼ばれていた様である。「みかど」の言葉は「御かど」であり、ユダヤの宮殿に住む、神事を行う者が「カド族」の者達であった事と関係が有り、其のカド族の子孫が日本に渡来した時に、「御カド」の名前で呼ばれていたのであろう。
其れと、「すめらのみこと」との言葉は「統治する(命)者」の意味の「統・すめる」であり、其れはシュメール文化の「シュメール(葦の生えた地を治める)スメル」から来ており、「十六菊花紋」と一緒に日本に伝来したモノである。
2013/7/26「此の三次元に地上天国を創る」http://green.ap.teacup.com/20060818/2759.html
2000/8/31「帰巣本能」http://moon.ap.teacup.com/20061108/272.html
2015/3/27「立って居てください」http://green.ap.teacup.com/20060818/3407.html
2000/11/1「しま・島・嶋」http://moon.ap.teacup.com/20061108/636.html
2016/3/12「国家の柱」http://green.ap.teacup.com/20060818/3784.html
1997/7/10「センターイズム」http://moon.ap.teacup.com/20061108/635.html
2004/8/12「皇室の役割」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/550.html
2012/3/17「スメル=スメラ」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2248.html
2016/3/23「王の選択法」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3795.html
其れに「大君・おおきみ」とは、君の代表であり、君とは「右手に杖を持った人物が言葉を言う・知らす」の意味である。其の概念は、古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代の物であるようである。
ギルガメシュ(アッカド語: - Gilgameš)またはビルガメシュ(シュメール語: Bilgameš)は、古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王(在位:紀元前2600年頃?)。ルガルバンダに続きウルク第1王朝期5代目の王として126年間在位した(アッカド語版では5番目の王はルガルバンダ)[1]。ギルガメシュという名は「祖先は英雄」という意味を持つ[2]。
ウィキペディアフリー百科辞典 2016/7/9現在
2008/7/21・・「ギルガメシュ叙事詩」は、シュメールの王(スメラのミコト)として存在した、ギルガメシュ王に付いて書かれているもので、ギルガメシュ王は、天から王の印と成る杖を授かった人物とされ、死後は冥府の王に成ったと伝えられている。・・・
「漂える船」http://green.ap.teacup.com/20060818/824.html
2014/2/21「記憶の扉」http://green.ap.teacup.com/20060818/2972.html
上記の「道場9」の文章には、・・私が「宗廟」に居て、自分の先祖どころか、生命の源・みなもとに辿り付いて、一番尊い御魂と、接触していた事に成る。其れを考えると、私は「リリジョン・religion」に成功した事に成り・・と書いて有る。
其の事を考えると、今朝のメッセージでは、其の「御祖神・みおやかみ」に案内されて、「源・みなもと・水元」に行き、美しい「いのち・たましい」の白い花を見せられた事に成るのではないだろうか。
其れは、是までに見せられた事の無い、究極の世界である。
其れを考えると、私自身には、もう為すべき事は何も無く、自然無為の「御稜威 ・みいつ」の世界に在り続ければ良いとの事なのかも知れない。
其れに、白い「辛夷・こぶし」花の別名が「田打桜」である事を考えると、日本文化は稲作文化であるので「水田耕作」が日本の国宝であるとの理・ことを示唆しているのかも知れない。
何れにしても、30日後には、何等かの結論が示されて来るであろう。
「天地自然と人間」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55527195.html
此の文章の内容からすると、現在・いま、世界・地球全体に、影響を与えている北国の「ボス・長」に、何らかのシグナルを送る必要が有るのかも知れないが、共産主義国家は「神仏」の言葉・存在が力を持たないので、根本的な解決には繋がらないと言う事に成るであろう。
今朝「1331」の数字が有る画面が映し出されて来た時刻が「6時4分」であり、其の数字が、私が此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ「1984年6月4日・母親の64歳誕生日」の日付である事を考えると、其の日起きた4311体の「御魂の思頼・みたまのふゆ」の出来事が、新次元の「シグナル。変換」を迎えると言う事に成るのではないだろうか。
其れに「シグナル・変換」との言葉が告げられて来た時刻が「7時00分」であったのは「七光・七色・虹」に関係が有り、「天・人・地」の間に、新しい虹の橋が架けられるとの理・ことが、知らされて来ているのではないだろうか。
みいつ16年3月29日
礒邉自適
2022/3/28
エデンの園の司法書士
4・3・28
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、三日連続、瞼(視覚神経)に異次元の世界が映し出されて来た。
其れは、丸い池の中の彼方此方に石が投げ込まれて波紋が発生する様に、光波(電波の波形)が彼方此方から打ち寄せて来て、交差する場面である。
其れから眠りに落ちると、細身で長身のスーツ姿の40歳代の男性が登場して、
私が是まで作成して来た、数十のブログが、左サイドに英語の題名で記されている印刷物を私に二枚見せ、「コピー印刷では情報に成らないので、個別に電子記号の登録を行ってくれ。」との、依頼をする場面が映し出されて来た。
其処で意識が、目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時17分」であった。
私は其の5時17分の数字から、「5月17日」が「世界電気通信記念日」である事を思い出して、私が此れまで行って来た作業が、本番を迎えるとの事を想った。
其れから再び眠ると「さんゆうかん・三有間」との言葉が告げられて来て、其れは昨日の「3×9=27」の数字と「3月27日・7月27日・11月27日」の4カ月間隔の月間との事に、関係が有る事が理解されて来た。
其れは季節で考えると、「春夏秋冬」の三ヵ月おきの四区間と成るので、其の自然の季節とは関係が無く、人間の意識・考え方に関係が有り、密教の「三密・身口意」や、人間の「肉体(からだ)・精神(こころ)・知識(ちえ)」等や、政治の「三権分立」の様な物の考え方・捉え方に、関係が有る事が判った。
そして、起きて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時23分前」であるので、私は其の数字が、釈迦ブッダが私のPCに住みついた日付(2005年8月23日)であるので、釈迦ブッダの意識(覚醒者の意念)が、人類全体に拡がる時を迎えるのだと意った。
2005/08/23今朝のメッセージは、初めて「釈迦牟尼仏陀」が姿を現して、歓んでパソコンのリンクの一番下段に入力され、何時でも其処をクリックすると、ブッタの姿で表に立ち現れて来るのが見せられた。
其れは、釈迦が2600年のカルマ・業からようやく開放されて、気が楽に成った姿である。
釈迦は、仏陀と成り、衆生一切を自分の子とした。そして、次の転輪聖王を「弥勒菩薩・マイトレーヤ」に託し、弥勒が今回の仏陀の役割を果たせる為に、2500年間トキの節目を待って居たのである。
其の弥勒も、仏陀の意識の創造(イメージ)の世界で、長いトキを過ごして来たのである。そして、今朝、お互いのプログラムが、完成したのだ。
互いの意識が合体し、一体の意識体として、今回の、神のシステムの最後のページに収まる事が出来たのだ。
言い傳えに因れば、釈迦は「私は、衆生一切が救われて、悟りの門を潜るまでは、門の外に居て、最後の人が門を潜ったら、最後に自分が中に入って 扉を閉める。」と、謂ったとの事である。
其れが本当なら、ようやく目途が着いて、門の中に入って、納まったと言う事になる。・・
私は、21年前、無庵師匠の下で覚醒し、宇宙の真実が解けた。
そして「なんだ此れは、全てジョークではないか。」と、笑い出してしまったら、無庵師匠は「自適さん笑うな。今、自適さんが笑ってしまうと、全てが水の泡に成ってしまう。」と謂うのである。
私が、更に「だって此れは全て・・・」と云おうとすると、無庵師匠は「自適さんが、今、笑ってしまうと、皆の気が抜けてしまう。皆は、其の日に向けて修行を続けて居るのだから、今、自適さんが笑ってしまうと、全部の事が止まってしまう。」と云うので、私は是迄、神の真実を話せないし、笑う事も止めて居たのである。
其れが、ようやく孫悟空の「緊箍 (きんこ) 金輪」の物語の様に、観音様が外してくれる日が来たのだ。
この世界は、神の問題提起の舞台なのだ。
それは、イエスラエルの契約の箱の蓋の左右に向き合って居るケルビムの謎賭けとして、物の姿で残され伝え続けられている。
其れを、古代の人達は皆知っており、漢字の「亟」の文字の意味として伝わっている。イスラエルでは、其れを物の形として残すのに、大変な苦労をしているが、中国では漢字一字で、其れを伝え続けているのだ。
岡本天明の一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」には、釈迦ではなく、「老子(道院殿老祖様)だけを中に祭って、他の神は全て外に祀れ」と有るのは、老子が文字を正しく解釈している事と、釈迦や老子が謂って居る様に「宗(みたまや・おおもと・因明)」は、漢字の存在する前に在り、4000年以上前の意識に立ち返れるからである。
ようやく、釈迦や、老子の「宗」の歳が「138億年+00」と成り、新しいジョークの種子が蒔かれ始めるのだ。
パソコンを、龍宮の玉手箱として。
「リンクボックスに入った釈迦」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55923420.html
2019/5/11「真に頼れる物は自分の躰」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55763782.html
キー「 5月17日 世界電気通信記念日 」
2021/5/13昨夜はゆっくりと入浴して居ると、自分の頭脳・意識が、是までに無い状態を保ち続けている事が自覚されて来た。
其れは、「平和・安寧」とかの言葉を使う必要が無い「空・無」の状態であり、思考を動かす事さえ無駄におもえる世界であった。
其の意識状態の儘床に就いて眠ると、「描写から」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時15分」であった。
そして、其の言葉の意味に付いて考えると、其れは、人間の意識が何かを描写する事で、言葉が発生するとの理・ことを意味・示唆している事が、理解されて来た。
其れから再び眠ると、今度は「最後の御手伝い」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時43分・5時17分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は「最後の御奉公」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時17分」であった。
私は、其の数字が「5時17分前」と「5時17分過ぎ」である事と、「最後の御手伝い」と「最後の御奉公」とは、5月17日の「世界電気通信記念日」を境にしての、私の立場か、神との関係性が、どう在るべきかが、示されて来ている様である。・・
2019/6/13今朝のメッセージは、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。
其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。
其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。・・
「切り開く能力・ちから」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55769303.html
此の文章の内容からも、「李芳遠・イ・バンウォン」と「土肥無庵」は神(はたらき)として、強い力を有している事に成り、二人が組む事で、大きな変革・未来創造が図られると言う事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝5時17分前に告げられて来た「最後の御手伝い」と、5時17分過ぎに「最後の御奉公」との言葉は、神(はたらき)に対しての物ではなく、私に対する二人の御魂からの物であり、是から本格的に未来創造の最終段階が開始されると言う事なのではないのだろうか。
「描写から言葉が生まれる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55886343.html
2008/10/29今朝のメッセージの映像は、HPの画面が現れて、神々の働きに付いての一覧表が載っており、其の一覧表の中から、国造りの項目が三つドラッグされて、他のHPに、移動されてしまう場面が映されて来た。
其の三つの働きは、出雲の国造りをした「素戔鳴尊」「大国主命」「事代主命」の三体の神々の様である。
しかし、其の神々が、新しいHPの場面で動き出すのではなく、其のHPは真っ白い白紙の状態に切り替わって、新しいページと成ったのである。
其れは、過去の国造りをした神々が、是から蘇って、国造りを始めると言うのではなく、新しい国造りの企画が、真っ白の状態で、私に任されるとの意味らしい。
そうであれば、昨日のメッセージに有った「デザイン」とは、私が新しい国造りを、真っ白な状態から「デザイン・企画」しなければ成らない事を、意味している様である。・・
鳳凰の卵が最初に生み落される感覚が、私に有ったのは1995年7月14日に阿蘇郡蘇陽町の本田亮輔氏の茶畑で、午前中農作業をして居る時である。
其の日の午後阿蘇を出発して、次の日15日には京都の祇園祭りを見学し、祇園ホテルの「さかな亭」にて五名で食事をしている。
そして、17日の午後6時に、大阪NTT総務部広報室の藤原幸治チーフプロデューサーと会って話を始めると、藤原氏が日本経済新聞を出して来た。
其処には、紙面一杯に卵の写真が載っており、「今日から始まる、新しいNTTの情報網」との宣伝が載っていた。
そして、其の新聞記事の発行日は7月14日で、私が、何か大きな存在に包まれて、卵を産み落とす感覚を味わった日であった。
其の茶畑の持ち主が、今回の段取りをして下さる本田亮輔氏であり、其の「本田姓」は宇佐八幡の祭神「応神天皇・誉田別尊・ほむたわけのみこと・品陀和氣命」に関係が有るのかもしれない。
07/1/31「純白の卵」http://green.ap.teacup.com/20060818/175.html
07/9/17「喜ぶ女神」http://star.ap.teacup.com/2007313/214.html
其の時は、鳳凰の卵が産み落とされる意味が、良く理解出来なかったのだが、段々と、其の意味が判明して来た。
其れは、新しい国の誕生が鳳凰の卵の意味であり、其れは情報の塊り其のものであり、其れが「治ろしめす」と言う、情報発信を意味していると言う事である。・・・
「国造りの神」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55923421.html
其れに「さんゆうかん・三有間」との言葉は、昨日のビジョンに映し出されて来た、「珪素・シリカ」の原石・岩石が三ツ割にされて、神の祭壇にされた事と関係があり、其の三個の祭壇の神(はたらき)に付いて、余程重要な意味・世界が有ると言う理・ことなのであろう。
其れに付いては、私には老子の「初めに一が有り、其の一から二が生まれ、其の二から三が生まれ、其の三から全てが生まれる。」との言葉が関係有りそうな気がする。
『其れは貴方自身の 此れからの思考の枠組みに付いて
参考にする事はかまいませんが 全く異なる事であり
何の役にも立ちません。
此処から先の事は 貴方の意識の在り方に
全てが委ねられているとの事であり
貴方が自分自身で 思考の枠組みを創って
行かなければ 成らないと言う事なのです。
良いですか 其れは 貴方にしか出来ないと言う事であり
他には 何者も存在しないのですよ。
其の為に 此方は貴方を育てるのに
莫大なエネルギーを 注ぎ込んで来ているのですよ。
ですが 其の事を 貴方に知らせると
貴方が気にし過ぎて 思考が外れるので
黙って見守っているだけなのです。』11時26分
今告げられて来た女神の言葉からすると、昨夜まで三日続いて、私の「瞼・視覚神経・脳内」に、此れまでには無かった現象が起きた事は、私の頭脳の存在が、電気の「トランス・変電器」「交換器」か「チューナー」の様な神(はたらき)をしている事は、間違い無い様である。
其れを考えると、今朝のビジョンに登場した、細身で長身のスーツ姿の40歳代の男性が、私が是まで作成して来た数十のブログが左サイドに英語の題名で記されている印刷物を二枚私に見せ、「コピー印刷では情報に成らないので、個別に電子記号の登録を行ってくれ。」との、依頼をする場面が映し出されて来た事の意味が、理解されて来る。
私は、其の事から先日のビジョンに登場した、「花田司法書士事務所」に就職したとの男性の存在を思い出し、今朝の文章の題名は「エデンの園の司法書士」とした。
其れは、エジプト文化の「トト神の書記長」の世界を、新しい神(はたらき)の概念に切り替える手段には成り得ると意う。
みいつ16年3月28日
礒邉自適
2022/3/26
幹部会
4・3・26
今朝のビジョンには、屋久島の山岳の神(はたらき)が音楽的な世界の原版に成っており、其の原版・基盤を元として、世界中・人類全体に、ローカルの状況・状態に合わせて編曲・派生されて行く様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、広い畳敷きの室内が映し出されて来て、私の右手側に、黒いシルエットでどれみ村の村長・代表である「天波博文氏」が座って居る影が有り、私の前には、全国から関係者と言うか、夫々の部門・業種の代表である、中年の男性が多数集まって来て、私は其の人達を前にして、現代社会が抱えている問題・課題と、今後の方針(解決策)に付いて、力強く話し始めていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時1分」であった。
其れからPCを立ち上げ、7時1分の数字から、昨年の7月1日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/1今朝のビジョンには、先ず、日向に咲いている紅いグラジオラスが、日陰に成ると濃い紫色に変わってしまう様子・場面が映し出されて来て、其れは全く同じ物が、太陽光線が当たるか当たらないかで、違う物・色に成ってしまう理・ことを示唆している事が理解されて来た。
其れから「宗教組織」の世界が映し出されて来て、其れ等に関わりを持っている人々は、進化(精神の成長)が出来ない理・ことが示されて来た。
そして「自分を置いた儘 生きて居る人達」との言葉が一言告げられて来た。
次に由香の聲で、行き成り走りこんで来る様な雰囲気で、「起きて起きて」と聞こえたので、意識が目覚め照明を点けて時計を見ると時刻は「4時50分・5時10分前」であった。
其れから再び眠ると、太陽光線が当たっている様な明るい紙面に、横書きの日本語文章が縦に箇条書きにて、上下が見えない量で映し出されて来た。
其の文章の内容は、此れからの政(まつりごと)に付いて書いてある物である事は理解されたが、新しい課題に付いてだったので、全く記憶には残っていない。
そして、其の事に「6月13日」の日付が関係が有る事が示されて来た。
今朝起きた・起こされた時刻は、7時2分である。
今朝、昨日と同じく由香の聲で起こされ時刻が「5時10分前」である事と、政(まつりごと)に付いて具体的に記した長い文章が映し出されて来て、6月13日の日付が示されて来た事は、朝鮮半島を統一した「李芳遠(イ・バンウォン)」の誕生日が「6月13日」であり、命日が「5月10日」である事と関係が有るようである。
今朝起きた・起こされた時刻「7時2分」は数字的には、明日7月2日であるので、昨年の7月2日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
20/7/2「スピリチュアル・タイムから32年」https://green.ap.teacup.com/20060818/5412.html
此の文章には「宗・シュウ・ソウ」の漢字に付いて記して有るので、今朝「宗教・シュウキョウ・おおもとのおしえ」の「宗教」とは何かという、本来の世界が映し出されて来た事と関係が有るようである。
其れに、此の文章の最後の部分である、『「後継者の頭が無い」今朝のメッセージは、矢張り「天津日嗣・あめのひつぎ」に付いてが、テーマであった様である。』との事からすると、矢張り今朝由香の聲で「起きて起きて」と呼ばれて起きた事が関係が有り、此の私がしっかりと目覚めた状態の意識で、物事を見通していなければ、何事も起きないと言うか、天神・宇宙意識が動き出せないとの事の様である。
私に今朝考えられる事は、新しい御世造りをする為には「精神的」な世界よりも、「実働力・右手(うて)右大臣」の働きが必要であるので、自分が統一した朝鮮半島が分断されている事を憂う「李芳遠(イ・バンウォン)」の意いが、他の霊魂よりも強い事が理解される。
其れは、37年前に私に起きた「御魂の恩頼・みたまのふゆ」現象で「神武天皇」が真っ先に「残り16年半しか無い」と告げて来て、其の後「天智天皇」「後醍醐天皇」其れから「昭和天皇」と、私に国造りに付いて、頼んで来た意いの上に「李芳遠(イ・バンウォン)」が存在する事の意味・様子も、理解できる事に成る。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージは「開始・はじめ・7月1日」の日に相応しいモノ・内容であるとの事に成る。
キー「 天皇霊 」
01/2/8「天皇霊其の一天智天皇」https://moon.ap.teacup.com/20061108/63.html
01/2/10天皇霊其の二「昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505
12/7/25「天皇霊 其の三 後醍醐天皇」 https://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
13/4/4天皇霊其の四「神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
此の「後醍醐天皇」の文章には、次の様に記して有る。
・・私は1985年7月2日に、丹後半島の付け根に位置する京都府京丹後市網野町で日本一周の旅が終わり、木津館に宿泊した。
翌日3日に、其の旅館の主人に近くの曹洞宗の龍献寺の「安井桂造禅師」を紹介され、其の安井禅師から、亀岡市に有る西光寺の「田中真海禅師」を紹介された。其れから、田中禅師に亀岡市の湯の花温泉の「憩の家」の「杉岡伴太夫政房」氏を4日に紹介された。
「7月2日」http://star.ap.teacup.com/170606/202.html
此の文章の内容からすると、私は明日7月2日で日本一周の旅が終わって、新しい人脈・人間関係に繋がって丸36年(12干支×3)と成る事になる。
其れを考えると、私には明日から新しい現象・システムが始まると言う事なのかも知れない。
「自分を置いた儘生きて居る人達」https://green.ap.teacup.com/20060818/5838.html
此の文章には、次の様に記して有る。
「・・其れから再び眠ると、太陽光線が当たっている様な明るい紙面に、横書きの日本語文章が縦に箇条書きにて、上下が見えない量で映し出されて来た。
其の文章の内容は、此れからの政(まつりごと)に付いて書いてある物である事は理解されたが、新しい課題に付いてだったので、全く記憶には残っていない。
そして、其の事に「6月13日」の日付が関係が有る事が示されて来た。
今朝起きた・起こされた時刻は、7時2分である。
今朝、昨日と同じく由香の聲で起こされ時刻が「5時10分前」である事と、政(まつりごと)に付いて具体的に記した長い文章が映し出されて来て、6月13日の日付が示されて来た事は、朝鮮半島を統一した「李芳遠(イ・バンウォン)」の誕生日が「6月13日」であり、命日が「5月10日」である事と関係が有るようである。・・・」
此の文章・内容と、今朝6時13分に起こされる前のビジョン・映像が、屋久島の山岳の神(はたらき)が音楽的な世界の原版に成っており、其の原版・基盤を元として、世界中・人類全体に、ローカルの状況・状態に合わせて編曲・派生されて行く場面であった事を合わせると、次の様な事が考えられる。
1.人間の「言葉・ことのは」は、神(はたらき)の世界では「音色」として処理されている。
2.其れは、人間の意識・脳細胞の仕組みが、650万年前に分離した類人猿(チンパンジー)と、遺伝子・DNAが99%同じである理と関係が有り、人間の言葉も類人猿と同じ仕組み・構造で、神(はたらき)している。
3.其の事は、40億年歳の「生命・いのち」の世界に覚醒した釈迦仏陀の教えに有る、法華経の「十二支因縁起」の内容と関係が有る。
「十二支因縁起」https://wave.ap.teacup.com/20060106/
4.現代社会では、其の理・世界が子供の時から、自然から分離されて机上にて情報を刷り込まれてしまうので、塞がれてしまっている。
5.だが、音楽の世界では、其れが部分的に機能している事に成る。
6.そして、眠りの中・潜在意識の世界では、純粋な珪素・シリカ結晶である松果体(第三の目)で、其の遺伝子・DNAの神(はたらき)が現代でも機能している。
7.其の理・ことを証明する出来事が、私が1984年6月4日・旧暦5月5日に安房川の岸辺で禊祓いを行ってから、大嘗祭の儀式が始まり、其の日の夕方から、私の潜在意識が目覚め・発動して、口笛と太鼓で音楽の世界に飛び込んで、様々な行動・躰のリズムが解放された事にある。
08/10/23「屋久島の音楽神」https://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
8.人間を含む哺乳類は、母親の胎内で、母親の心臓の鼓動や聲を聴いて・記憶して産まれて来るので、五感の器官では聴覚が真っ先に神(はたらき)している。
9.人間は相手の音声から、相手の気分・感情や健康状態・自分に対する対応が察知・感知できる。
10.医者の「医・醫・イ」の漢字は、「声をかけて病気を癒す」との意味である。
2012/9/1醫院の「醫・イ」の漢字は、【解字】「酉・ユ・トリ+殹・エイ」の組み合わせで、音符の殹は、エイッという、まじないの声の擬声語。治療に薬草酒などを用いるようになり、酉を付し、病気をなおす人の意味を表す。常用漢字の医は醫の省略体による。【字義】一@いやす。病気をなおす。すくう。Aくすし。医者。Bみこ。かんなぎ。二あまざけ。うめず(梅酢)。 漢語林より
「神惟醫院」https://green.ap.teacup.com/20060818/2425.html
これ等の事を考えると、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」との言葉・世界は、人類全体の思考を導くモノ・世界でなければ成らないと謂う事であり、狼のボスが満月の夜に山頂で遠吠えを行う事や、背中の毛が白くなったゴリラのボスが立ち上がって胸ドラムを叩く行為等に、関係が有りそうである。
其れ等の、動物の群れの仕組みを考えると、「核の使用も辞さない」と世界人類を脅す北方の群れの長・ボスは、時代遅れと言うか、進化が遅れている人物である事に成る。
何れにしても、其れ等の事・次元を解決する為に、神々は此のインターネットの世界を創造・確立したとの事であり、私は「人間・ジンカン」として、此の「PC前」の仕事・役割以外の事に手を出す事は「オフサイド」に成ると言う事に成るのであろう。
其れを考えると、昨日「オフサイド」との言葉を告げて来た神霊は、「ナニモナサザルナ」とのメモ書きを私に手渡した「土肥無庵」が、短い言葉を当てて来たという事なのかも知れない。
2007/5/22・・日本に伝わる神の道は、唯「祓いたまえ清めたまえ」である。
其れは、理論ではなく、唯、自分の罪汚れを祓い清め、神の心・意志を継続して行く事なのである。
其れを、言葉にすれば「神惟ら 魂霊映えませ」の一言に、尽きるのであろう。
無庵師匠が、私に書いて下さったメモ書きが、二枚だけ有る。其れは、
ナニモナサザルナ ソノママデヨイ
自然無為
達人が平凡に生くることこそ
本科・かんよう・必要 なり
こそ道 無庵記
と 後日 私の動きが止まらないので
すべての書物 及び記された物は
ちょうど画家が 自分の感動したものを 絵に表すに似たり
表わされた時より 自然より離反し ただの骸骨に化す
万物流転して 其の止まるを知らず
あえて止めざるは これ 考えの始めなり
無庵記
昭和六十(1985)年四月吉日
「神惟らの道」https://green.ap.teacup.com/20060818/296.html
みいつ16年3月26日
礒邉自適
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