1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/5/5
ボロ布
4・5・5
本日5月5日は「子供の日」であり、旧暦は「4月5日」である。
今朝のメッセージは、其の「子供の日」には不似合いであるビジョンが映し出されて来た。
其れは、「ボロ布」との言葉が一言告げられて来てから、日本語の横書きの説明文の下に、小さな升目の中に澤山の写真が並んでいる画像・様子が映し出されて来た。
そして、其れは、現代社会の中で繁栄している「企業・会社」等の存在を示唆している事が判ったので、昨日の「商業ベースで生きて居る人達」の続きが示されて来ている事を理解した。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時15分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は「7時30分」である。
其れから洗面を済ませ、穀物コーヒーを飲みながら、今年の蓬を摘んで作った団子を食べてからPCを立ち上げ、起こされた1時15分の数字から、1月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2022年01月15日本日1月15日は「成人の日」である。
其の事と関係が有るのか、今朝のビジョンには「聖者の日」の言葉が当て嵌まる様な映像が映し出されて来た。
先ず、日本の木造建築の建物に、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵が、白い服装で登場し、お茶を出してくれて「4000万円が必要な時が来ましたね」と謂ってから、「7000円の幕の内弁当を用意している」との事を謂った。
次に、何処かの廃村の様な村に、夫婦が暮らして居る様子が映し出されて来て、私が訪れると、丼に注がれた玄米の雑炊の様な食事を用意してくれた。
私は其の夫婦の暮らしぶりに興味を覚え、再び訪ねると、奥さんは故郷の沖縄に帰ってしまったと謂って、食事を出してくれたのだが、其れを見ると、野草を捏ねて蒸した様な物なので、私が手を出す事を躊躇して居ると「口に合いませんか」と謂って下げてしまった。
其れから、私が退屈なので、テーブル板をトントンと叩き始めると「止めてください。此の村は 音を発する事が禁止されていますから。」と謂うので、私は野外に出て其の村の様子を見ながら、此処の人達は老子の謂う「私の理想郷」の様な生活を送っている事が判った。
其れから、私は其の男性に、「いま何歳ですか」と訊くと、其の男性は自分の年齢が判らないのか、戸惑っている様子であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時00分」であった。
其れから再び横に成って、其のビジョンの意味を色々考えて居て、時刻が気に成ったので、起きて時計を見ると、時刻は「8時7分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、起きた「8時7分前」の数字から、昨年の8月7日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/8/7今朝のビジョンは、先ず私が、棺の中に寝かされている霊魂(死体)に抱き付くと、此れまでに感じた事が無い至福感に包まれ、其の寝かされている死体は過去の自分自身である事が判った。
其の場面は、とても明るい世界で、暖かくて優しい世界であり、此れまで宗教や映画等で説明されて来た、暗くて怖い陰性の世界でもなく、夏間の暑さもなく、春に日向ぼっこをしている時よりも、ふわっとした柔らかい感じの世界であった。
私は其のビジョン・世界から、古代の人達が大きな墓を建設したり、ミイラを作ったりして、霊魂の再来・復帰を待望していたのかという理由が解った気がしていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時18分」であった。其の「3・18」の数字は、私が土肥無庵に找し出された1983年3月18日の日付の数である。・・
今朝は、此れまで聴いた事が無い男性の聲で、「目隠しを外す」との言葉が告げられて来た事は、明日8月8日が「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭である事に掛けて、無明の人々の目・意識が開き、新時代が始まるとの事が示されて来ているのかも知れない。
「目隠しを外す」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55896190.html
此の「目隠しを外す」の文章には、「土肥無庵」の事が記して有るので、今朝のビジョン・メッセージは土肥無庵の御魂が関係しており、私に手渡した「ナニモナサザルナ」のメモ書きの解除を示唆して来ているのかも知れない。
キー「 ナニモナサザルナ 」
2003/4/28「ほどく」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55924267.html
2013/12/28「無庵師匠の御魂」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54691731.html
2016/10/3「壮大な物語」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55551534.html
其れに、老子の「私の理想郷」とは、次の様な物である。
2003/10/29・・どうやら、私が訪ねた村、訪ねたと言うより迷い込んだ村は、文字やお金が無く、バスも通っていなくて、勿論、新聞もラジオもテレビも電話も無く、近代社会の情報が一切無い村の様である。
しかし、其の村の人々は、一つも無知な様子は無く、善良で笑顔が絶えず、健康で明るく病気も無いらしくて、真に平和な暮らしを続けて居る様子なのである。
私は、其の村を後にして歩き始め、ようやくバスが通っている道路に出て、長らく待った末に、遣って来た古いバスに乗り込んだ。走るバスの窓から、周囲の景色を眺めて居ると、荒れた土地と、木立の中に崩れかけた人家が所々に見えた。
道路が出来、交通の便が良く成ったら、町の情報が流れ込み、人々は、家を捨てて町の方に出て行ったらしいのだ。
今朝のメッセージは、交通が発達する事で、本当の平和な暮らしの村が、崩壊する事が知らされて来たのだろう。
私は、今朝のメッセージで、中国の老子の謂う「わが桃源郷」の文章を思い出した。
老子道徳経 第80章「我が理想郷」・・
「文字もお金も無い村」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55925108.html
2009/9/15「虚空見(そらみつ)日本の國」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55927928.html
これ等の文章からすると、今朝のメッセージは、昨日の「時から紀へ」との言葉の続きであり、此の私は岡本天命の「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」に「老院殿老祖様(老子から派生した概念)」だけを中に奉れ」と記されている事や、土肥無庵の「何も成さざるな」との「言葉・知識・記憶」を解除して、全くの自由に成らなければならないとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、確かに「本物の聖者」がどう言うモノ・世界なのかを能く考える必要がある事に成る。
「老子の理想郷と土肥無庵の比較」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55915475.html
此の「老子の理想郷と土肥無庵の比較」の文章の内容からすると、本日5月5日が男子の為の「端午の節句」の日である事と関係が有り、此の文章が「1月15日 成人の日」である事は、男子が本物の「成人・大人(タイジン⇔小人)」に成る事とはどう言う理・ことであるかを、考えろとの事が示されて来ている様である。
其れを考えると、今朝の「ボロ布(襤褸)」との言葉は、昨日の「商業ベースで生きて居る人達」との言葉と関係が有り、「儲かりまっか」との言葉・挨拶で生きて居る人達は、一生懸命に生きても、魄しいが「襤褸布」の結果にしか成らないとの理・ことが、示されて来ている事になる。
キー「自然と遊ぶ子供達」
2001年01月21日 随筆
私達人類は、永い永いトキを掛けて、森林の中で育って来ました。
森は、水を蓄え、大地と海を豊かにし、生き物達を育んでくれました。
そして人間は、文化文明を築き、都会を作り出しました。
其れは、人間の進化であり、力であります。
しかし、此処に来て、都会で生まれ育つ子供達は、自然とは離れ、もはや森の中の子供達とは言えません。其の様な子供達が、大人に成っても、自然と生き物達の関係性は、理解できません。
其の、自然の生命の営みの関係性を、理解していない大人達が、考え出す人類の未来など、地球で生まれた生物の、生活する場所であるとは云えないでしょう。
IT社会が進めば進む程、その乖離は大きくなります。
自然は、人間が管理するものではなく、生物を育てる母体である理・ことを認識しなければなりません。
其の為に、一番大事な事は教育です。
子供達が、学習する真っ当な環境と、教育が出来る人達・教師の準備が必要です。新しい時代には、新しい教育が必要です。IT革命による未来は、自然教育と両輪で進めて行ないと、大変な事に成ります。
私達の未来は、野山や、川や、海で、遊ぶ子供達のイメージが、何人の人の頭に存在しているかに、掛っているのです。
「森を学ぶ子供達の世界」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55923781.html
其れに、今朝起きた・起こされた「7時30分」の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021年07月30日 御稜威 未来創造
・・其れは、屋久島が2000m近い山岳島である事と関係が有り、日本列島の日本海側が冬間が気候的に寒い(陰性)事と同じく、暖かい(陽性)太平洋側とは違い、生活が厳しい事を示唆している理・ことを示して来ている様であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「0時31分・1時29分前」であった。其の「1・29」の数字は、私の誕生日の数字である。
其れから再び眠ると、今度は文章の存在が映し出されて来て、其の文章の中に「40年」と「70年」の年数が記されている事が判り、其れは、昨日告げられて来た「是がカレンダー だ」との言葉と関係が有る事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時15分」であり、其の「2・15」の数字は「釈迦仏陀の命日」である。
其れから再び眠ると、今度は、テーブル状の画面に、内側から次々に世界各地の地図が浮かび上がって来る様子・場面が映し出されて来た。
そして其の地図は、私の意識と直結している物であり、私が意識した場所・地域の地図が自動的に映し出される物である事が判り、其れは「万物を見通す目・ラビリンスの目」が、私の中にセッティングされている事を実感するモノであった。そして、其の地図の存在は、世界各地で神事が始まる理・ことを、示唆している事が理解されて来た。
其処で「ディスク・ロージャー」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「6時30分」であった。
其れからパソコンを立ち上げ、「ディスクロージャー」を調べると、次の様に載っている。
ディスクロージャー【disclosure】 の解説
企業が株主・債権者などの投資者や取引先を保護するために、経営成績・財政状態・業務状況などの内容を公開すること。企業内容開示。
今朝起こされた「1時29分前」と「2時15分」の数字から、1月29日・私の誕生日」と「2月15分日・釈迦の命日」を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/1/29「カルマ・業の処理」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55874383.html
2021/2/15「人間の能力と舞台」 http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55876307.html
此の1月29日「カルマ・業の処理」と、2月15日「人間の能力と舞台」の日付や言葉にどの様な意味合いが含まれているのであろうか。
はっきりしている事は、私の「誕生日」と釈迦仏陀の「命日」である事である。
其れは、人間の一生の事を示唆しているのかも知れない。
其れを考えると、「一世」との言葉が「世」の漢字が「三十」の漢字である事と関係が有り、40年と70年の間が「30年」である事が、関係が有るのかも知れない。
其の事が「カレンダー」に関係が有るとの事は、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」が30歳で出家して36歳の時に池で沐浴して「覚醒・成仏」した事や、「イエスキリスト」が30歳の時にヨルダン川で沐浴(禊祓い)して覚醒して布教を始めた事と、関係が有りそうである。
「ディスクロージャー」との言葉が告げられて来て起こされた6時30分の数字から、6月30日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/6/30「開始・はじまり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5836.html
此の「開始・はじまり」との言葉からすると、今朝6時30分に告げられて来た「ディスクロージャー」との言葉は、其の開始する事が何なのかを、世の中に公開する必要があると言う事に成り、人間界に対して私が何らかのディスクロージャーを行わなければ、此れから天神・宇宙意識が開始する出来事が、人類に理解されないので、神(はたらき)が人間に逆恨みを受けかねないとの事なのかも知れない。
其れに、今朝のビジョンで「万物を見通す目・ラビリンスの目」が私に内蔵されていた事を考えると、イエスキリストが謂う「神は 貴方がたの髪の毛の数まで知っている。」との言葉と関係が有り、一人漏れなく整理整頓されてしまう出来事が、此れから始まるとの事なのかも知れない。
「ディスクロージャー」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55895332.html
みいつ16年5月5日
礒邉自適
1 | 《前のページ | 次のページ》