1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/5/10
岩ちゃん
4・5・10
今朝は男性の聲で「いわちゃん」と、寝て居る人を起こす様な聲が一言告げられて来たので、誰かが一緒に居るのかと意って意識が目覚め、其れは自分の寝所である事が判ったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時24分」であり、長短の針が重なっていた。
其れで、4月24日は先日文章に記した、私が屋久島に18年振りに帰って、生活を始めた日であり、1946年4月24に私の両親が満州から日本に引き上げて日付である事を考えた。
そして、本日の日付「5月10日」は、私が太陽(天照神)から「写真を撮れ」と告げられ、1997年5月10日に京都の大徳寺の境内で杖を突いた写真を撮った日である。
其れに、私の誕生日「1月29日」から、妊娠期間「29・5日×9カ月=265日」を差し引くと、其の5月10日と成る日でもある。
私は其の事から、今朝時計の長短の針が重なっている4時24分に「岩ちゃん」と告げて来た男性の存在を考え始め、何故「岩ちゃん」であったのかを考え始めると、徳島県と高知県の間に存在する平家の落人村「木頭町北川村」に存在する、朝日を遥拝する場所に有る大岩に「日照磯(ひでりいそ)」と彫られており、「岩」が「磯」と記されていた事を思い出した。
2010年08月05日「様々な人々への対応」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55928555.html
すると、男性の聲で「2013年5月4日」との日付が告げられて来たので、其の日付けを忘れない様に、枕元の紙に記して再び眠った。
すると今度は長い時間、私が此れ迄には行った事が無い「仕事・趣味・社会活動」等などの場面・様子が、次々に映し出されて来て、其れは、75歳を超えた私には不似合いな活動なのだが、私(意識)はとても活力的で楽しく自分が動き回っている事から、此のまま隠居して動かなく成れば、毎日10万個消滅して行く脳細胞の影響を諸に受けて、シナプスの再生が行われ無く成り、老いが急速に迫って来る理・ことを考え、人間の寿命・全還暦「12干支×10還=120歳」を、出来るだけ長く生きる努力をしなければ成らないのだと想い始め、其の姿・努力こそが、人間界だけではなく神霊界に対しても、貢献を果たす事に成る理・ことを考え始めた。
其れから、「平安時代」との言葉が告げられて来たので、歴史に疎い私は何の事だろうかと思い始めると、意識が目覚めたので起きて時計を見ると、時刻は「7時54分・8時6分前」であった。
其れから洗面を済ませ、穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べて、8時9分にPCを立ち上げ「2013年5月4日」の文章を視て見ると、何と題名が「生涯現役」であり、内容には人間の壽命の事に付いて記して有るので、今朝のメッセージは、地球生命のプログラムに関係している神様(男性神)からのモノの様である。
2013年05月04日
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が極寒地の真冬の凍結時に、暖地に避難していて、暖かく成ってから帰宅して見ると、大型の冷凍ストッカーにストックしていた、トナカイらしき食肉が、全部無くなっていた。
どうやら、留守中に、誰かが盗んで食べてしまったらしい。
次の映像は、何組かのシニア夫婦が、社会活動の為に集まって居て、私も其の中の一人であった。私は、自分の車を其の中の男性に貸すと、其の男性が歩いて帰って来て、「ギアボックスの 上から二番目のシグナルが点灯しないので 集落の入り口に有る集会所の庭に 置いて来た」と言うのである。
其れを聞いて、私が歩いて車を取に行く処で、其の映像は終わった。
今朝のメッセージの内容を要約すると、人間は生涯現役である事を旨としなければ成らない理・ことを意味しており、多くの蓄えをしていると、他人に狙われて、盗まれてしまう事が示されているのであろう。
其れは、戦争が、物の無い国が、物の有る国を、侵略する事で始まる理・ことを示唆しているのではないだろうか。・・
今朝の映像では、私が貸した車のセカンドギアのシグナルが点灯しないと言う事は、セカンドの行動をするべきではないと言う理・ことであろうか。
「セカンド」を検索すると、次の様に辞書に載っている。
セカンド【second】1 第2のもの。2番目。「―クラス」「―カー」2 野球で、二塁。または、二塁手。3 自動車で、前進第二段のギア。4 ⇒セコンド
此のセカンドの言葉の意味からすると、私の乗る車は、二番目のギアが動かないとのことなので、私の存在はセカンドに成る事は許されないとの事であろう。其れは、私の働きは絶えず一番前・トップで在らなければ成らないと言う理・ことである。
其れが「御稜威・みいつ」の役割であるとの理・ことなのだろう。
私は、自分の出来る事として、30年間を掛けて、最初の道を付けて来た。既に、未来への入り口の扉の設定は済ませている。
此れからは、私の車に便乗するのではなく、其々が自分の乗り物・意識で未来に進まなければ成らないのだ。
私自身も、此処でリタイアするのではなく、自分の肉体を構成する「DNA・遺伝子」の仕組みに従いながら、人類のゲノムの更なる進化の為に、邁進しなければ成らないのであろう。
其れが、絶えずファストであると言う理・ことなのだろう。
其の様に考えると、私が此の世界に入った時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば「新しい神の座標軸」で在ると、神に告げられた事を、引き続き守る事に繋がるのであろう。
そして、其の事こそが「生涯現役」と言う理・ことなのであろう。
私は、現在66歳である。人間の寿命は「12干支×10還=120年」とされている。私は、其の誕生から、死までの、120年の折り返し地点である「60年・半還暦」を、6年過ぎている。此れから、「肉体の死・DNA崩壊」に向かって、まっしぐらに老化して行くであろう。
しかし、現代医学で解明されて来た事は、脳内の「シナプス」は植物の枝の様に、絶えず枯れては、再び新芽が伸び始めるとの事である。其シナプスが、人間の意識を絶えず進化させているのだ。
其の理を考えると、私は息を引き取る瞬間まで、人間の意識がどの様に変化して行くのかを、確かめなければ成らないのであろう。
其れは、他人や他国との戦いではなく、自分自身のゲノムに対しての兆戦でもある。ゲノムの世界では、120歳の寿命まで、私は未だ54年も有る。其れを、何処まで運転出来るかが、私の是からの勝負である。
其れは、他人の乗り物であるDNAやゲノムは、関係無いのである。
私は、絶えず、自分の意識の乗り物である「DNA・いのちのシステム」を、トップギア・ファストで進み続けなければ成らないのである。
其れこそが、「生涯現役」の言葉に、一番相応しいのではないだろうか。
「生涯現役」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/54476447.html
此の「生涯現役」の文章の内容を考えると、今朝、時計の長短が重なっている4時24分に「岩ちゃん」との言葉で起こされた出来事は、日本の国歌である「君が世」に「巌(いわお)と成りて」と有る事と、関係が有りそうである。
きみ‐が‐よ【君が代】 コトバンク
日本の国歌である歌。「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の歌詞は和漢朗詠集にあるが、その原型は古今集に見いだされる。明治13年(1880)、宮内省伶人長の林広守が作曲。明治26年(1893)、祝日大祭日唱歌として公布され、事実上の国歌となった。平成11年(1999)8月施行の「国旗国歌法」で法制化された。
[連語]《「よ」は寿命の意》
1 あなたの寿命。
「―もわが代も知るや岩代の岡の草根をいざ結びてな」〈万・一〇〉
2 主君の栄えているとき。特に、天皇の御治世。
「―は限りもあらじ長浜のまさごの数はよみつくすとも」〈古今・神遊びの歌〉
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
「古今和歌集 こきんわかしゅう」
平安時代初期に成った、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集。略して『古今集』ともいう。
此の説明には「 よ は寿命の意」と記して有るので、今朝のメッセージの主題は「壽命・じゅみょう」に付いてであり、君が代の歌詞は、「平安時代初期に成った、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集。」と有るので、今朝「平安時代」との言葉が告げられて来た事と符号しているので、平安な時代でなければ「12干支×10還=120年」の壽命などの事を考える余裕は、無いと言う理・ことにも成る。
其れに、「平安時代」との言葉が告げられて来た「8時6分前」の数字から、昨年の8月6日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021年08月06日
明後日8月8日は、徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭日である。
今朝のビジョンには、其の事と関係が有りそうな場面が映し出されて来た。・・
其れに私が、1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に飛び込んでから、会社の車である黒いセドリックを弟に運転させて尾ノ間に向かって走って居る時に、突然、高平岳の方から強烈な神のエネルギー(磁場)が降りて来て、弟に車を急停車させた場所でもある。・・
そして、2003年4月24に屋久島帰島してから、様々な事が起き始めて、其の場所で2006年1月17日に屋久島自適塾を開設する事に成り、3月19日に「紀(とき)の祭りを行え。6月11日。みいつ建国」と告げられてきて、6月11日(旧暦5月16日)に「第一回大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭り(集会・会議)を行う事に成ったのである。
其れから、屋久島の「地質調査」の会(クラブ)が発足し、屋久島全体の地質を調べ始めると、其の場所が1400万年前に屋久島が出来た時に、上昇して来たマグマ(花崗岩)の頭(鼻先)の部分が、其の場所である事が判明したのである。・・
私は其の事から、自分に起きた・始まった事が、何であるのかが理解されて来て、今度は由香に導かれて2010年6月徳島県に向かうと、「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」に辿り着き、夫である「手力男命」と共に岩戸開きを行った「八倉比売」の息子である「天日鷲命」の霊魂にまで辿り着いた。
其して、私が神の世界に飛び込んだ時に、屋久島中の小石を集め始め、其の小石をメビウスの輪の様に並べて、両方の中心に石柱を立てると、時空が歪み始め、アインシュタインが説明している現象が始まった事に、其の天日鷲命の御魂が関係していた事が判ったのである。
其れ等の事を考えると、一昨日のビジョンで、矢追日聖が「私の車のタイヤを新しい物に変えなければ成らない。」と謂って、知り合いの整備工場に案内し、道路の左側に在る工場に停止して、お金を手にして半地下の事務所に降りて行き、其の儘の姿を見せなかった事は、5月10日のビジョンに登場した「マントルの緑色の橄欖岩の神(はたらき)」の存在と関係が有り、私の乗り物のタイヤ(車輪)が「スーリア・太陽」から、「地球のマントル」に変わるとの事なのではないだろうか。
2021/5/10・・良く晴れた日の朝、朝廷(議事堂)の入り口階段(西洋風の広い石造り)で、左側から遣って来た「矢追日聖法主」だとの設定の宇宙神と遭遇し、私は自分の旅(役割)を終えた事を話し始めた。
すると矢追日聖法主は、私の謂う事を納得して、自分のエネルギーを全て明け渡した。
すると、私の身体には物凄いエネルギーが漲って来て、両手の間に強力な「重力・圧力」が満ちて来て、私の意識次第で物凄い稲光が発生し始めた。・・
「矢追日聖法主を超えて」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55885968.html
其れに日本国に当て嵌めると、「肇国知らす天皇」との言葉が有る。
はつくに−しらす−すめらみこと 【初国知らす天皇・肇国知らす天皇】
初代神武(じんむ)天皇、または十代崇神(すじん)天皇の尊敬語。◆初めて国を統治した天皇の意から。
其れに天智天皇も、和風諡号は「天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)」と、同じ様な意味合いの名前が付けられている。・・・
「肇国知らす天皇」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55896111.html
此の「肇国知らす天皇」との題名からすると、私の役割は此れからが本番であると言う事に成りそうである。
其れにしても、今朝「2003年5月4日」の日付を示して来た男性神の存在は、一体何者であり、どの様な頭脳・意識を持っているのであろうか。
みいつ16年5月10日
礒邉自適
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