1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2015/10/27
「軍神が付いて居ます」
27・10・27
今朝のメッセージの映像は、明日28日が台所の「竈の神」である「荒神様」の日である事と関係が有るのか、農業や食べ物の世界に関係が有る「セミナー・講習会」が、数カ所で開催されている場面が映し出されて来た。
そして最後の会場で、古い時代の服を着た30代半ばの丸顔の日本人の女性が、私の所に遣って来て、私に「軍神が付いて居ます」と云った。
「軍神」を検索すると、次の様に載っている。
【軍神】(ぐんじん、ぐんしん、いくさのかみ、いくさがみ)とは:
軍事・戦争を司る神。武神ともいう。(英: god of war, Mars)
壮烈な戦死を遂げて神格化された軍人。(英: war hero)
概要(編集)
軍神とは戦勝や武運長久を祈願し、聞き届けてくれるといわれる神を指す。
日本では、天照大神が皇孫瓊瓊杵尊を葦原中国に降されるにあたり、武甕槌神と経津主神が先発して平定したという故事が『日本書紀』に記されており、その二柱の神をそれぞれ祀った鹿島神宮、香取神宮は、古くから軍神として崇められた。
また平安時代後期から中世にかけて、武家の筆頭であった清和源氏が石清水八幡を氏神とし、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ各地に勧請したことから、八幡神は広く武士達に軍神として崇拝されるようになった。
近代以降になると勇猛な戦死者の美称としても用いられるようになった。西住小次郎中尉以後は軍が公式に指定する事になる。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
だが、今朝のメッセージの映像では、戦争の事は全く関係が無いので、「軍」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「軍・グン」【解字】会意。「冖(勹)+車」。勹は包むで、かこむの意味。車は、戦車の意味。戦車で方位する、いくさの意味を表す。
【字義】@いくさ。㋐つわもの。兵士。㋑軍隊。㋒たたかい。戦争。Aたむろする。陣取る。B陣営。C軍隊の編成上の名。
漢語林
此の軍の意味からすると、今朝のメッセージは、食べ物の世界を護る為に、台所の神の陣営が、動くとの事なのではないだろうか。
荒神様の説明には、次の様に有る。
【荒神】・・御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其れに、私に4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、最初に姿を現したのが、マクロビオティックの世界を創出した「桜澤如一」であり、次が大本教の「出口王仁三郎」で、次が剣豪の「宮本武蔵」であった。
2009/12/30・・其の順番の意味は、「桜沢如一」は食の世界で、能く噛む事の修行。「出口王仁三郎」は足の世界で、正しく歩く修行。「宮本武蔵」は二刀流であり、左右の腕をバランス能く使う事で、左右の脳の働きを良くする修行だったのである。其の後にも、ゲーテや、ピカソや、一休禅師や、利休や、松尾芭蕉などの霊魂が、次々に私の身体を交代で使用し、其の有様を4311体の霊魂が、全部で見詰め、総合的な体験・智慧を積み上げて行ったのである。
そして、有る程度の修行が済んだら「猿田彦神」等の神霊が身体を使い始め、全国の旅が始まったのである。・・・
「除夜の鐘と初詣」http://green.ap.teacup.com/20060818/1388.html
其れと、私が東京の「オオサワジャパン」の事務所を初めて訪問した時に、「此処がお前の仕事場だ」と、桜澤如一の言葉が告げられて来てもいる。
2006/12/15「シンクタンク・トップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
其れ等の事を考えると、昨日のメッセージに「萌・ミョウ」の文字が示されて来た事と、両目の瞳が無い男性が登場した事が関係有り、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという猿田彦神が、目の輝き・光を取り戻して、動き出すとの事なのかも知れない。
其れは、日本の伝統である「食国政事・おすくにのまつりことの」の復活であり、天皇家の一番重要な台所の「御餉殿・みけどの」の神(はたらき)が、力を取り戻すと言う事でもあるのだろう。
2005/10/29・・昨日10月28日は、阿蘇の山里で「荒神様」の儀式が行なわれる日である。
家の主人が、川に行って小石を拾って来て、屋敷の裏庭に積み上げ「荒神様」に祈りを捧げるのである。
荒神様は、カマドの神様で、奈良県の三輪山から奥に入った村に神社が有る。
広辞苑には、「かげにいて それぞれの人を保護すると信じられていた神、西日本で祭る屋敷神。同族祭祈のことが多い。」と 載っている。
「三宝荒神」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1062.html
今日は、1943年3月18日に私を捜し出して、屋久島に自宅を建てて引っ越して来て、1984年6月4日(旧暦5月5日)に私を此の世界に送り込んだ、土肥無庵の誕生前夜・イブの日である。
其の土肥無庵は、2001年11月7日に身罷って14年が経過しようとしている。
今朝のメッセージの内容から考えると、其の土肥無庵が、彼の世・四次元世界で「食国の政・おすくにのまつりごと」の復活に、動いている可能性が高い。
そうであれば、明日のメッセージで、其れらしき事が映し出されて来るかも知れない。
平成27年10月27日
礒邉自適
2007/5/15
食国の祭り事
19・5・15
昨日は、昼前に宮崎県のえびの市を出発して、熊本県湯山町の市房山に在る、「市房神社」に始めて参拝して来た。
私は二度道路の終点までは来て居たが、三度目にして市房神社に、参拝出来た事に成った。
初めて市房山に行ったのは、今年の3月1日で、其の時は夕方だったので、車が行ける道路の終点まで行って行き返し、二度目は4月18日で、其の時は雨だったので、麓の鳥居の所に在る祠にお参りして帰って来た。
今回は、天気も快晴で、新緑に被われた山肌は光り輝いていて、とても気持ちが良く、弾んだ心で4合目に在る市房神社にお参りする事が出来た。
そして、境内に立っている、木柱に書いてある祭神の名を見ると、主座は「穂穂手見尊・ほほでみのみこと」で、相殿が父親の「天津日高彦火瓊瓊杵尊・あまつひだかひこほのににぎのみこと」であった。
それからすると、市房山の祭神と、一昨日参詣した鹿児島神宮(山幸彦・ひこほほでみ)・霧島神宮(ににぎのみこと)の祭神は、同じ祭神である事に成る。
どうやら、鹿児島から人吉くらいまでの地域は、同じ文化圏だったらしい。
其れが、「熊襲」後の「隼人」の文化圏ではないだろうか。
一昨日、鹿児島神宮で買って来た、週刊「神社紀行33」霧島神宮・鹿児島神宮を見ると、霧島神宮のお田植え祭は新暦の6月10日に行われ、鹿児島神宮のお田植え祭は、旧暦の5月5日に行われる事に成っている。
其の、日付の違いは、祭りが重なり合わない様にするために、本来同じ日付であったものを、新暦と旧暦に違えているのだと思われる。
私には、其の日付で思い当たる事が有る。
其れは、「日月神示(ひふみ神事・日継神事)の岡本天明氏が、始めて千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る、「天之日津久神社」の社の前で、神掛かりに成った6月10日と、関係が有ると言うことだ。
其の日は、新暦の6月10日である。
何故、其の日に岡本天明氏に「日月神示(天津日継神事)」の神示が始まったのか。其の原因が、日本の皇室の始まりである「瓊瓊杵尊」に関係が有るからではないのだろうか。
日本は「瑞穂の国」と言って、稲穂に因んだ名前で呼ばれていた。
其の元を辿れば、瓊瓊杵尊が日本の国土に天下る時に、天照大神に稲穂を授けられた事に、あるのではないだろうか。
其の事を考えれば、岡本天明氏に憑依した神は、お田植え祭りに関係が有り、稲穂に関わる神である事になる。
霧島神宮では、稲に関わる行事が年間100回にも及ぶらしいので、稲作中心の文化の源は、南九州にあると考えても間違いではないだろう。
其の文化を表す言葉が「食国の祭り事・おすくにのまつりこと」で、其の意味は「稲穂の御霊をつなぐスメラノミコトの治める国の祭り事」である。
だからこそ、天皇家で一番大事にされているのが、台所の神である「御餉殿・みけどの」なのであろう。
そして、其の儀式で降臨して来る神が、「天津霊継・あまつひつぎ・天之日津久神」の霊魂なのである。
その神を、自分の身に受体して、国を治める働きが「スメラの命・スメミマ」なのである。
私が、神の世界に入り、神霊の思頼(みたまのふゆ)が起きたのは、1984年の6月4日だったのだが、其の日は旧暦の5月5日であった。
今年の旧暦5月5日は、新暦の6月19日である。
其の日に、私の身は、何処に在るのかは判らないが、何かの働きは、示されて来るだろう。
平成19年5月15日
礒邉自適
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