世界自然遺産に登録された屋久島から 世界に向けて 人類の未来社会を創造する情報を発信して行く為に 作成しました。
青い海に囲まれ 美しい緑の山岳と清い水と風の島。其の島から人類が幸福に成る情報を発信します。
2009/1/26
自 覚
21・1・26
今日は、旧暦の元旦である。だが、残念ながら天候は曇りで、初日の出の太陽を拝する事はできない。今日は、山岳部には雪が降っているだろう。1昨日は、「船行(船雪)」地区では麓まで雪が降り、客人を空港に送った帰りに、屋久島の雪道に慣れない車がカーブで横転して、パトカーが来て交通整理をしている現場に遭遇した。
そんな状況での、旧暦元旦のメッセージは、誰かの履歴書みたいな紙が、1枚現れただけであった。其の紙の他には、何もメッセージは無かったので、其の紙の事だけを考えれば良いのであろう。何故、旧暦の元旦に誰かの履歴書が現れたのであろうか。日本の諺には、「1年の計は元旦に有り」と有るので、今朝現れた履歴書は大事な意味を含んでいるのだろう。「履歴書」を検索すると下記の様に載っている。
「履歴書(りれきしょ)」とは、学業や職業の経歴など、人物の状況を記した書類の事である。就職や転職時の選考資料として用いられる。また、学歴や職歴によって給与や資格等を決定する手続き(査定)において、それを証明する各種の書類とともに提出する。なお、アメリカ合衆国およびカナダの英語圏地域にて用いられるレジュメ(Résumé、日本では英文履歴書とも呼ばれる)は、JIS規格などで書式が定められている日本の履歴書とは異なり、書式が自由であり、むしろ日本でいう「職務経歴書」に近いものである。
日本で用いられている一般的な履歴書の様式はJISで定められており、これに従った履歴書用紙が市販されている。通例、履歴書を作成する時は、市販の履歴書用紙に必要事項を記入し、上半身を写した証明写真を貼付することが多い。ウィキペディア辞典
私は、今朝のメッセージの履歴書の事を考えると、昨日のメッセージの故郷の村名の事が気に成ってくる。何故なら、履歴書には産まれた日と、出身地を書かなければ成らないからである。其れを考えると、昨日のメッセージと、今朝のメッセージは続いている事に成る。
では、何故其れが続いているのだろうか。其の理由を私なりに考えると、人間の存在には自己認識が必要であるからではないだろうか。其れは、他の地球生命と同じく、自分が何者であるかの自己認識がなければ、自分の姿形を現象化できないからである。植物は、自分の姿や、花の形を自分で決める事で、他の植物と自分を変えて生をまっとうしているのである。其の植物と同じく、動物も全部・みな自分の特徴を現して、此の地球環境の中で住み分けているのである。
其の生命の中でも、特に人間は、生活をする為に就職をする必要が有るので、自分の経歴や有り様を他人に表明する事が必要である。其れは、人間は集団生活をする為に、複雑な社会構造を築き上げているので、仕方が無い事である。
しかし、今朝現れた履歴書は、単なる就職の為の履歴書ではないだろう。其れは、人間が人間として、此の地球に存在する意味を、確認する必要が有ることを、示唆して来ているのではないだろうか。
漢字の「自分」の単語は、「自」は鼻の象形で、「分」は「刀で 自分を左右に切り分ける」の意味で、自分とは「自らの内側を観て 自分の存在意義を自覚する」との意味である。其の「自らの分け」を知る為にも、自分の履歴を書き出す事は大事なことである事になる。
其れは、自分の行動に対する反省の意味も有るが、自分の両親や先祖の事も含まれているし、自分の生まれ育った環境全体の事も含んでいるのではないだろうか。
其の様に考えると、私の履歴書は莫大な量に成ってくると想われる。そして其の背景には、地球や、月や、太陽の運行までが絡んで来るし、137億年の此の宇宙時間までが関係して来る事に成る。其の、137億年の宇宙時間と、自分の関係性を自覚できれば、釈迦牟尼佛の言葉である「ブッダ・覚醒・悟り」も、理解できるであろう。
現代科学で判明して来た事は、人間の男性のY染色体が最大600万年で消滅してしまい、雄が居なく成った人類は、地球上から消えてしまうと謂う事である。人間が、アフリカで類人猿から分離したのは、約600万年前との事であるから、人類は時間的にはいま中間地点に居る事に成るのである。其の様に考えると、人間の意識は最も充実した段階になければ成らない事に成る。
経済の名に於いて、地球環境を破壊し続けている此の人類が、果たして、意識が充実していると謂えるのであろうか。其の事を再確認する為にも、自分の履歴を遡って検討する必要が有るだろう。
其の事の為にも、自分の先祖がどう言う流れを持っているのか、確認する作業が必要である。其の為に、昨日私の意識は、自分の故郷を辿ろうとして居たのではないだろうか。
「業・ゴウ・ギョウ」の漢字は、色々な楽器の板を掛ける、ギザギザの付いた家具の意味で、厳しい修行の背景を意味している。其れは、技を磨く為の条件・背景を意味しているので、其の修行が多岐に及べば履歴書も長い物と成るであろう。
其の様に考えると、1月20日のメッセージに有った「アンダーM塾」の車輪の回転や、積み上げるDVDや、其れに続く22日のボルトの螺旋の事柄も、みな関係が有る事になる。
其れ等の内容を考えると、今朝のメッセージは、人間に取って1番大事なコトは、自分の行為の履歴を自覚する事であることに成る。其れは、自分の遺伝子が進化を続けて来たのは、自分の環境に対する情報の整理と謂うか、認識や自覚に拠るモノであると謂うことでもある。其の様に考えると、是からも、人類が存続を続けて行く為には、自分自身を良く見詰める必要が有ると謂うことであろう。
其の様に考えると、今日が旧暦の元旦である事の意味も解けてくる。旧暦とは大陰暦の事であり、其れは月の運行に合わした暦・カレンダーである。月の運行と人間の関係は、卵子が受精してから、月の運行である29・5日に、9ヶ月を掛けた日付が265日で、其れが人間の平均分娩日と成っている事でも、明らかである。其れは、海のサンゴや、木登り蟹などが、月の運行に合わせて一斉に産卵する事でも解かる様に、地球生命と水と月の運行が関係有る理は疑いようが無いのである。
今朝のメッセージは、是から新しい御代を創造して行くに当り、月齢を大事に考えろとの事であろう。其の、生命のリズムを外した経済は、決して人類を幸福にはしないとの理・ことではないだろうか。
其の「理・ことわり」を自覚させる為に、昨日のメッセージの映像で、私の意識が海辺の村・故郷に帰ろうとして居たのであろう。
其の「いのち」のシステムを、老子は「タオ・道」と謂い、釈迦牟尼佛は「ダルマ・法」と謂ったのであろう。イエスキリストは、其れを「永遠の命・たましい」と説明しており、自覚に付いては、「今日の出来事の認識を正しく行ったら 何も考えずに眠れ 明日の事は 明日起きた時から始まる。」と謂っている。聖者と呼ばれている彼等の認識も、現在の私の意識と同じ次元に在ったのかも知れない。そして、彼等が積み上げて来たアカシックレコードの記憶が、新しく書き換えられ様としているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージに現れた1枚の履歴書は、人間の1個人の物ではなく、人類全体の履歴を意味していたのかも知れないのである。其れは、人類の未来が、履歴を確認する事から始まるとのメッセージなのかも知れない。
其の様に考えると、やはり今日が旧暦の元旦である事の意味は大きいのである。
平成21年1月26日(旧暦元旦)
礒 邉 自 適
投稿者: 礒 邉 自 適
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