屋久島生命研究所
世界自然遺産に登録された屋久島から 世界に向けて 人類の未来社会を創造する情報を発信して行く為に 作成しました。
青い海に囲まれ 美しい緑の山岳と清い水と風の島。其の島から人類が幸福に成る情報を発信します。
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2009/6/6
「国の政(おすくにのまつりごと)」
祭り
食国の政(おすくにのまつりごと)
21・6・6
今朝のメッセージの映像は、昨日の「祭・まつり」のテーマに続くものの様である。
今朝の映像の場面は、色々様々な食べ物が盛られた食器が、幾つも映し出されて来た。其れは、人間が食べる物であるが、神々にも御供えされる物でもある事が理解された。
今朝の映像は其れだけで、他には言葉が聞こえず、文字も現れなかったので、食べ物の世界に付いて考えれば良いのであろう。
先ず、「まつり」の漢字を調べると、「祭・祀・祠・奠・禋」の漢字が有る。
「祭・サイ」は「示+又+肉」の組み合わせで、いけにえの肉を手で神にささげる、まつるの意味を表わす。甲骨文は、血のしたたるいけにえを、手でささげる形にかたどる。
字義 まつる。神や先祖を、物を供えてまつる。また、まつり。(祭祀)
国語・記念-祝賀などの為に行う行事。(港祭)
「祀・シ・ジ」は「示+巳」の組み合わせで、音符の巳は、神としてのへびの象形。
蛇を祭るの意味を表わす。
字義 1、まつる。神としてまつる。また、祭り。(祭祀)2、とし。(年)殷代は祀。夏代は歳。周代は年といった。
「祠・シ・ジ」は「示+司」の組み合わせで、示は神事に関することを示す。音符の司は、神意をことばによって察知するとの意味。春の祭りの意味を表わす。春には牧畜に支障をきたさないように、いけにえを用いず、のりとを主としたからという。
字義 1、ほこら。やしろ。神を祭っている所。(祠堂)2、まつり。春のまつり。3.まつる。ア神を祭る。イ願いのかなった札として祭る。4、おたまや。先祖の霊を祭ってある所。5、ことば。誓いのことば。また、祭りのことば。
「奠・テン・デン」は「西+一」の組み合わせで、西は酒の意味。一は台を示す。神に酒を供えてまつるの意味。
字義 1、まつる。神仏に物を供えて祭る。2、すすめる(薦)。そなえる。神仏に物を供える。またその供え物(香奠・コウデン)。3、置く。すえおく。安置する。4、さだめる。位置を決める。決定する。
「禋・イン・エン」は「示+垔」の組み合わせで、音符の垔・インは、けむりの意味。火をたき煙りをあげてまつるの意味を表わす。
字義まつる。身を清めて祭る。誠意をこめて祭る。
是等の文字の意味からすると、古代中国の風習や文化の様子が見えて来る。其の風習を簡単に言うと、「祭」は、肉を神に供える。「祀」は、神は蛇である。「祠」は、言葉・祝詞をあげる。「奠」は酒を神に供える。「禋」は、煙りを神に供える。との人間の行為を示している。
其の風習が、現在日本に伝わってどうなっているかと謂うと、
「祭」の肉は、魚や穀物や野菜・果物に代っている。
「祀」の蛇は、大山祇神・海神・大己貴(おおなむち)・大物主の名前が付いているモノであり、十五夜の綱引きの綱であり、祖母山の神木に巻き付く大蛇として、現代でも姿を留めている。
「祠」の言葉は、祝詞であり、御札・絵馬・七夕の短冊である。
「奠」の酒は、今でも同じである。
「禋」の煙は、儀式で蝋燭を立てる事や、山岳信仰の護摩焚きとして残っている。
此の5文字の「まつり」の意味からすると、神とは「祀」の文字で示されている様に、「巳・蛇」だけであり、獅子(ライオン)や、虎・狐・熊・鹿・馬・牛・山羊・亀・鯨・鶴・鷹・隼・等は対象ではない。其れに、太陽・月・星・星座等の天体の存在も関係がない。其れを考えると、古代中国でも、マヤ文化やアステカ文化と同じく、「蛇・巳・大蛇」が信仰の対象であった理・ことが解かる。其の大蛇が、龍神と成り皇帝の守護神とされたのである。
其れ等は、キリスト教の「イエスキリスト」や、イスラム教の「マホメット」や、仏教の「釈迦牟尼佛」や、道教の「老子」や、儒教の「孔子」や、日本の「天皇」等の、人間を祭る事ではない。
日本の「まつり」の源語は「まつはる(纏わる)」「まつろふ・(従う)」であり、自分の身体に巻き付いて来る気配の何者かに対するモノである。其の原形は、京都の「下・上加茂神社」の祭神「賀茂別雷大神・かもわけいかづちのおおかみ」に有るらしい。其れは、自分の身体に巻き付いて来る「雷・いかづち(電磁気作用)」の存在である。
其れは、神武天皇の祖母である、海神の娘である「豊玉姫」が原形であるのだろう。現在でも、宮崎県・熊本県・大分県の3県の県境に有る祖母山では、山の峰の水分け峠の御神木に、稲藁で編まれた大蛇が7回半巻き付けられ、四方に注連縄が張られ、竹筒に「白酒・どぶろく」を注いで下げられている。其の大蛇が、満月の日に里に降ろされて、綱引きが行われるのである。
だから、神武天皇が奈良に持ち込んだ「祖母神・豊玉姫」は、奈良・大和に住む事を嫌がって、垂仁天皇の御世に、東風が吹き、波の音が聞こえる伊勢に逃げ出したのである。其の「海神・わだつみ」の巻き付く杖の代りを努めたのが、倭姫命であり、其の神の名は海神の娘である「豊玉姫(神武天皇の祖母)」である。
「祖母が大日如来を地に降ろす」
http://star.ap.teacup.com/170606/931.html
「祝詞の言葉」
http://green.ap.teacup.com/20060818/766.html
「帰る所の無い者達」
http://star.ap.teacup.com/2007313/506.html
其の「海神(海の巳)=大山祇神(山の巳)」の祭りが、今年も明後日に迫って来た。今年の旧暦5月16日の祭りは新暦の6月8日である。其の日を直前にして、今朝何故祭りの供物・食べ物が映されて来たのであろうか。其れは「巳神・大蛇」が、供物を要求して来ているのであろうか。其れとも、大蛇が「まつろうふ」為の、人間の身体の質を確かめるとの事であろうか。
日本の神社の祭りでは、「直会・なおらい」と言って、神事・儀式で神に捧げた酒や供物を、拝殿で飲食する風習が有り、宮崎の高千穂や、熊本の山都町では、夜通しで33番のお神楽が行われている。其れは、神々と人間の「直会・コミュニケーション」の有り様を、現在まで伝えているモノ・文化である。
屋久島は、丸い島の海辺に小さな集落が点在しているだけなので、お神楽を維持するだけの人口や経済が無い。だから、太鼓や笛を伝える文化も維持できてはいない。其の代りに、純粋な岳参りや綱引きの行事が各集落に細々と伝えられて来ている。
其れに、350年前に、安房出身の「泊如竹翁」が、島津藩から退職して島に帰って来て、島民に屋久杉を伐って金にする様に薦めるまでは、島の屋久杉は神の棲む木として一切伐られる事はなかったのである。其の屋久島の山岳も、世界自然遺産に登録され、再び木が伐られる事がなくなり、神の棲む山として復活して来ているのであろう。
今日は先ほど、明日今回の大山祇神の祭りの為に始めて来島する、宮崎県の県境に位置する、熊本県山都町の蘇陽に住む「本田順子さん」に電話して、祖母山の祭りで神木に巻き付けられている大蛇神の藁を、7・5・3本抜いて、屋久島の大山祇神の神木に奉納してくれる様に頼んだ。すると返事が返って来て、「神木に巻き付けられている藁は、古く成っている。今日注連縄を作る方が茶園の手伝いに来ていて、今夜新しい注連縄を作ってくれる事に成ったから、明日持参する。」との事である。
大山祇神の祠の祭りを始めて、今年は4回目である。過去の3回は梅雨の時期に当っても、1度も雨に見舞われた事が無いし、此処3年間は、台風の通り道である屋久島を、1度も強い台風が直撃していないので、地元の人達が不思議がっている。昨年は、大型でとても強い台風が、屋久島の側まで来てから急激に弱く成って、殆んど被害が出ない事もあった。
大山祇神は、雨を齎す為に祭られる神であるが、雨を止めたり、台風をコントロールする力も持っている様である。其れは、天候を管理する力を「大山祇神・海神」が持っている事を示している。
其の「神・力・働き」と、今朝のメッセージの映像の関係を考えると、今朝現れた食べ物は、人間が神に供える物ではなく、神の方が人間に食べ物を与えている理・ことを示すモノだったのかも知れない。
其の様に考えると、我々人間は神に養われている事になる。其の理・ことを、昔の人達は理解していたからこそ、恩返しと感謝の為に、御供えを奉納する様に成ったのではないだろうか。
其れに、いま私が気付いた理・ことは、26年目に入った6月4日の女神の言葉が、「貴方にも差し上げる 此の感動」であり、其の「差し上げるもの」こそ、食べ物の存在なのではないかと謂うことである。
何故なら、生命が存在するのは、其の生き物が何かを食べているからである。其の食べ物とは、水の循環に因り生じている物である。其の水の循環に関わっている神・働き
が「大山祇神・海神」の存在である。
其の様に考えると、天皇家の1番大事な祭りである「新嘗祭・にいなめさい」の「御饌殿・みけどの」の神も、本体は大山祇神なのではないだろうか。
だとすれば、日本の伝統である「政(まつりごと)」の神も、大山祇神の「まつり」であり「祀」の漢字の意味する処と成る。そして、私に「紀・トキの祭り」を行えと告げて来た大山祇神は、其の大本の神と成るのである。
だからこそ「紀元」を司る「トキの神」は、「大己貴・おおなむち」「大物主・おおものぬし」と呼ばれる蛇神であり、「ピラミッド・御室山・大山」を住まいとするのであろう。
祝詞に有る「低き山 高き山の 草々の蔭に住む神」とは、其の蛇神であり、インドの「シバの神」や、旧約聖書のモーゼの物語のシナイ山の「燃える柴の神」等も、同じ神の働きの1部なのではないだろうか。其の、尖った山にトグロを巻く蛇神こそ、事象を司っている「トキの神」なのである。そして、其の「トキの神」が、屋久島の花崗岩の「御室山・御岳」で、本格的な活動を始めているのである。
そして其の働きが、「一品宝珠大権現・いっぽんほうじゅだいごんげん」として、「私・吾・僕」を突き動かしているのだろう。其れが「まつはる(纏わる)」「まつろふ・(従う)」と言う日本語の本来の意味であり、英語の「リリジョン・religion」の本来の意味である「再び神と結ばれる」と言う事なのである。
是で、エジプトの王の額の「コブラ神」や、釈迦牟尼佛の守護神である「7頭の大蛇」や、マヤのピラミッドを下る「ククルカン・蛇神」や、アステカの「ケツァルコアトル」も、皆同じ神の働きである理・ことの、辻褄が合って来たと謂えるであろう。
南米の「ケツァルコアトル」の名は、古代ナワトル語で「羽毛ある蛇(ケツァルが鳥の名前、コアトルが蛇の意)」を意味し、対の「テスカトリポカ」は「煙を吐く鏡(蛇)」とされている。
是で、まつりの漢字の「祭・祀・祠・奠・禋」は、だいたい「背景・業」が記述できたのではないだろうか。後は、明後日の大山祇神の祭りを迎える準備をするだけである。
平成21年6月6日3時33分
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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