2013/6/19  13:33

和名倉山トレイル  マラソン

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2013/6/17  13:44

希夷斎オリジナル一文字雅印  篆刻

終了いたしましたm(_ _)m

            ついに出ましたっ!廉価版
    希夷斎オリジナル一文字雅印

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「一文字雅印」は墨運堂さんが既製品化し廉価での販売に好評を得て久しいところですが、既製品と言っても手彫りで2650円という破格での提供は企業努力の賜物と言えます。個人の篆刻家としては到底ここまで廉価での提供は余程の多売でなければ採算が合わず難しいところです。

さてでは市場経済はといえば、昨今のアベノミクスのお陰かはあからさまに上と下に二極分化し、当工房もご他聞に洩れず下極に放り投げられ、喘ぐこと久しい日常が続いております。

そこで、一念発起!当、希夷斎も世に倣い、価格破壊か自己破壊か(爆)既製品ではなく完全に注文品としての、「希夷斎オリジナル一文字雅印」の販売と相成りましたっ!

価格はなんと墨運堂さんの一文字雅印よりも廉価な2500円ポッキリっ!(送料込み)しかも既製品ではないので、どのような文字にも対応出来、朱白はもちろん、篆書、隷書、楷書、行書、仮名、甲骨文、金文など、書体のカスタマイズにも対応いたします。また、仮名書道専科の平安仮名調印もご用意できます。ただし印材の磨きや袴はさすがに付けられませんが、できる限り良材を使用するつもりでおります。サイズは1cm角内外。

また、どうしても二文字入れて欲しいといお客様にも追加料金500円にて二文字雅印3000円にてご提供させていただきます。

いかがでしょうか?とりあえず実験段階ですので、時間と注文個数とで採算が取れなくなる場合もあり、継続できるかどうかは定かではありません。従って6月中までの期間限定としてのセールとして立ち上げてみたい思います。また送料などの問題もありますゆえ、書道教室の方の御注文などの場合は、まとめて御注文頂ければ幸甚です。

御注文は

メール iwanami-k@mtf.biglobe.ne.jp または
携帯メール kiisai762783@docomo.ne.jp

FAX 042-978-2511   まで。

またお紙お葉書の場合は

357-0215 埼玉県飯能市坂石420-4 篆刻工房 希夷斎まで

以下作品例をご参照下さいませ。



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おまけ動画↓「希夷斎の誰でも簡単に作れる印袴」

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2013/6/13  22:32

伝え方の次元  篆刻

もう五年も前に書いたエントリーなのですが、意外と殆ど自分の考え方が変わっていないなと、ブレてないことに気付きまして、もう一度読んでいただければとアップしました。まぁブレてないと言うより、成長してないと言ったほうが早いかもしれませんがw

最近『墨』誌など書に関する物の本を読んでいると、あちらこちらに展覧会批判や書道界批判、技術偏重批判が繰り広げられており、旧来の伝統書道からの解放や、大衆にも理解しうる可読性を謳い、何を書くのか、その想いが明確に書に乗せられるべきであり、書は時代を映す鏡であるはずだ…云々。のような論が散見されます。そして書を通して自己を表現することこそが藝術としての書のあり方と結ぶのです。

私はこの物言いに両手を挙げて賛成はしかねます。師匠の実力にもよりますが、師のモノマネが悪とは決して思えないし、某世界的天才書道家坊やが呪文のように唱える、「書は自己の想いを伝えるコミュニケーションツールだ」などとは口が裂けても言えません。
「愛」だの「希望」だの「癒」だの陳腐な想い?を伝えたいならどうぞご自由になされたらよろしいが、何も「書」などという分かりにくいもので伝えなくても、直接言った方がナンボか速いだろうし、愛や希望を与えるのは書道家の役目ではないでしょ。そんなことは宗教家にでも任せておけばいい。あぁ、ご本人は教祖様気取りかもしれませんがね。私自身愛だの希望だのとこれっポッチも想っちゃいませんが、書を愛する気持ちは持ってるつもりではいます。だからこそ世の中に汚いものだけは撒き散らすまいと苦心はします。まぁこういった言論で以って口汚く人を貶めてはいますが…

本当に書かれた言葉によって想いを伝えなくてはならないのか?
意味ある事を書かなくてはならないのか?
大衆に分かりやすく可読性が問われるのか?
もっと書は時代に敏感に応じて姿を変えて行かねばならないのか?
自己表現に行き着いた先の、そこに見える自己とは本当にあなたなのか?
書技向上に腐心するはそんなに愚かなことなのか?
下手でもいいのか、想いが詰まってれば?

以上の様な事柄を全く無視した形で下の四点を実験してみました。
文字は刻していません。全くのデタラメです。伝えたいキーワードもありません。
もしここに私の想いが乗っているとしたらそれは「私の身勝手な書への愛」と「反逆」です。

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もともと、印なんて他人の姓名を刻す事が殆どですから、言葉としては伝えたい「想い」も糞もないんですよ。では何に心を動かして作るのか?
悠久の歴史を掻い潜り現代に伝わる普遍美をこの小さな石に刻み込む。それが印人の仕事です。

こういう作品はともすると篆刻の前衛なんて言い方も出来るかもしれませんが、あえてそんなものじゃありません。アプローチは完全に古典からですから。
以前毎日展の前衛部門で、毎日賞を取った宮村弦氏の作品を見たときには、前衛などというチープな枠でカテゴライズ出来ない、墨のアヤ、筆の息遣い、古典美、普遍美ets…書の醍醐味を咽ぶばかりに感じたのを思い出す。
武田双雲の「愛」っ書いて愛情を伝える?馬鹿馬鹿しいにも程があるw
そんな低次元な所作のために書を利用する事自体がすでに書を冒涜していることに気付かぬ愚かしさ…

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