2014/10/29 2:44
干支印セール! 篆刻
日展落選作家による干支印「乙未」をあなたの年賀状に!!
平成二十六年も残す所あと二ヶ月となりました。恒例の干支印セールを今年も開催いたします。
11/2NEW!一文字干支印「羊」「未」追加しました!
日展落選作家による干支印をあなたの年賀状にも! 本年希夷斎は特選よりも価値があると言われている日展落選を、なんと無派閥無会派、初出品で初落選を頂きました。日展落選作家の実力ある干支印をあなたの年賀状に捺してみませんか?!印は全て日展落選作家kiisaiが一つ一つ丁寧に磨き上げ、一つとして同じもののない世界に一つだけの印。その貴重な印をなんと一顆3000円という前代未聞のお手ごろ価格でご提供。御注文から梱包、発送まで日展落選作家本人が責任をもって対応いたします。この機会を是非ともお見逃しなくw
src="http://kiisai.thebase.in/items/857826/widget/small" >
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平成二十六年も残す所あと二ヶ月となりました。恒例の干支印セールを今年も開催いたします。
11/2NEW!一文字干支印「羊」「未」追加しました!
日展落選作家による干支印をあなたの年賀状にも! 本年希夷斎は特選よりも価値があると言われている日展落選を、なんと無派閥無会派、初出品で初落選を頂きました。日展落選作家の実力ある干支印をあなたの年賀状に捺してみませんか?!印は全て日展落選作家kiisaiが一つ一つ丁寧に磨き上げ、一つとして同じもののない世界に一つだけの印。その貴重な印をなんと一顆3000円という前代未聞のお手ごろ価格でご提供。御注文から梱包、発送まで日展落選作家本人が責任をもって対応いたします。この機会を是非ともお見逃しなくw
src="http://kiisai.thebase.in/items/857826/widget/small" >

2014/10/19 20:27
希夷斎日展に応募するの巻 篆刻
結果発表!!
日展、落選ゲットーーーッ!
以下のような書類が送られてきました。誠に遺憾であります(笑)取り急ぎここに晒します。
本展を拝見してから、どのような作品が入選したのか、その感想などは後ほど。
しかし、いくら落選者だからアルバイト使ってやらせてるとはいえ、一応改組第一回目の天下の?日展なんですから、もう少しマトモな文字でおながいしますよ┐('〜`;)┌

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
さてさて、以前にも希夷斎HPトップにて、私希夷斎は今年は日展に初めて応募してみようかな…と宣言しましたが、予定通り作品は仕上がり10/6に搬入するつもりでおります。
募集要項には作品は展覧会などに過去に出品したものはNGとありますが、ウェブupについては明記されていませんので、どうせ入選せずに日の目を見ないことは解かっているので、ここでチラ見ということでお披露目したいと思います。取り急ぎ以下写真を。

とりあえず三点清書して裏打ち完了。会派に所属していれば業者に一括して渡し、後は裏打ち額装して搬入までやってくれるのだそうです。私は個人ですので全て自分でやらなくてはなりません。当たり前ですが…

全体像。印の大きさは3.5p角。
大規模展覧会の篆刻としては極小でしょうか。皆さん7cm、8pは当たり前ですからね。
落款には「秋山明浄にして粧うがごとし」を秋が重なりすぎるので、山沢にしました。
於秋海堂は今、拙宅周辺の山はシュウカイドウのピンクの花で満ち溢れているのでそれに因んで♪

「田舎漢」田舎のオッサンという意味ですw漢は男ということ。まぁ田舎の偏屈ってくらいですね。極々普通にふつ〜うに満白漢印で入れました。印泥は箭鏃。
こんな平凡なもの面白みも何もないって言われれば、「はいそうですね」と言うしかないですね。まぁでもよくよく線を観てもらえばわかる人には解かって貰えるとは思うんですが…

陶淵明の詩です。この詩から「田舎漢」を自分に喩えて刻したわけですが、もうここ奥武蔵の山に庵を構えて15年が経とうとしているのですが、世間から隠遁して生活しているとやはり陶淵明の詩にとてもシンパシーを感じてしまいます。自分の心情と重なる部分が多いからでしょう。
こうして多字数の細朱文を坦々と刻してみると、今まで自分のデフォは趙之謙、呉譲之だろうと思っていたのですが、いかに徐三庚に影響を受けていたかが丸分りで、改めて吃驚しました。
これも、ただ坦々と篆を刻したものです。文字本来がもつ美しさ味わいを最大限に活かせるように塩だけで味付けした感じです。
「自分らしさ」とかそんな雑念は入れない方がいい。印泥は鶴泉印泥の硃磦。

印材側面に6mmの枡を切って詩全文を刻しました。私は篆刻の師匠が居ないので側款の手解きを受けたこともなく、ただ古典に頼るしかありません。
学生時代北魏から唐に至るまでの墓誌銘をひたすら臨書していたので、側款を刻すとどうしても六朝楷書風の匂いが出てきてしまいます。一刀彫りですが、横画などの収筆には別の角度で刃を当てて突き上げています。
最後の枡は5mm角の穴を開けて希君手拓の5mm角の印を捺しました。今考えるとアトランダムに磨耗や欠けを入れて碑文拓に押印した収蔵印の如くにしてやればよかったかな…
詩の内容は、「世の中慌しいことばかりだけど、月日が経つほどに世間とは疎遠になっていくよ。日常畑仕事くらいで事は足りるから、別段それ以上のことももう求めなくなったね。百年くらい月日が過ぎちまえばもうこの身体も名前も綺麗さっぱり亡くなるんだからさ。ってな感じでしょうか。山居していると結構こんな達観にも似た想いになるもんです。
本来であれば、第46回日展になるはずが、今年は篆刻の部にての不正が明るみに出たので、「改組第一回日展」なんだそうですw
改組ってことは組織改革したってことですからね?不正の問題はもう皆さんご存知でしょうから詳しく書きませんが、各会派に入選者が予め割り当てられていたとか、天の声が存在したのしないのと、そんな事はもうどーでもいい。
私が最も問題だと思うのは、無所属で個人で応募していた人は10,000円という出品料を払いながら、審査の土俵に上がることもなく、搬入した作品は山積みされて日の目どころか審査員の目にも触れなかった可能性があるということです。
会派に属していなければ、いくら応募しても一生入選しない。それってトンデモないことでしょう?今まで個人で出していた人には、全てその回数分だけ日展は出品料を返却すべきですね。審査してないんならね。
私は今まで一度も日展に触れたことすらないですが、本当に聞くに堪えない全く腹が立つ話しです。
特選受賞者には受賞理由だのと、朱白のバランスがよいとか、知的な空間処理だとか、なんとなく耳障りのよい、よく読めば詰まらない寸評をしていますが、受賞者に寸評するなら、落選理由を言ったほうが余程教育的ですね。落選理由言うには全ての作品をちゃんと審査しなくちゃならないですからねw10,000円という破格の金額取ってるんですから、そのくらいの仕事をしやがれよと言いたいです。
兎にも角にも、組織改革したというのですから…、んじゃその改革振りを見て差し上げようじゃございませんかw
まあ、日展出品の大先生方や所謂日展作家先生方の多くは、猫も杓子も古典古典と仰られるにも関わらず、その作品群を見るに、総じてお師匠の臭いはキツイなと思うほど臭いますが、純粋に古典が薫る作品ってあまりないですね。師匠の臭いがしちゃいけないなんていいませんけどね。
しかし、皆、横並びに版画板のようなデカイ板石に刻すのが当たり前のようになっていますが、本来の小さな印材に彫るのと、板状の石に彫るのとでは、自ずと刀の入れ方や角度に差異が生じてくるはずで、そういうのってどーでもいいんでしょうかね?板に彫ったら確実に鋒は開かないですから。
これって本当に篆刻なの?これで本当におーけーなの?と自問自答したことはないんでしょうか。皆同じことやってるからもう麻痺してわけ分らなくなってしまっているんじゃないでしょうかね。所謂日展様式、展覧会様式みたいなものが確立し過ぎちゃってて、畢竟その中でしか仕事をしてない。
今回の私の作品なんて、小さな通常サイズで目立たず、ごく普通の何の面白みもない平凡な作品なんでしょうが、ある意味もう一度篆刻ってナニよ?あんた方そんな版画みたいな巨大なものばかり拵えてて本当にそれでいいの?という問いかけでもありますし、モノの見れる人間が見れば何処まで神経を差し込んだ仕事なのかは分るはずですから、この作品が落選して飾られないとなると、はっきり言わせて貰いますが、改組も糞もやはり日展終わってる…と私は明言させていただきます。ま、そのくらいの自信はもって臨んでおりますよw
組織ってのは、大きければ大きいほどそこには無言の圧力みたいなものがどうしても出来上がっていきますからね。それはトップダウンによる圧力だけじゃなくて、組織の内部の人間の多くが組織の考えを忖度して何故か一つの方向に誘っていく。昨今の政治情況を見ればよく分りますね。内部の人間が進んでパワーハラスメントのようなものに自ら娶られていくんです。
そして、ものが言えなくなるというよりも、寧ろ自ら本質的多角的に物を考えなくなって行くんです。芸術に関わる人間が組織化していくというのは、はっきり言えば最早自殺行為に等しくて、本来ならば己だけを信じ切って自分の足だけで立ってなきゃおかしいんですよ。群れたら実は終わりなんです。
日展という組織は単なる法人としての営利団体ですから、それは別に在って当たり前ですが、そこを会派という様々な団体が寄って集って入選や入賞という権利、また文化庁からの補助とかそういうものを独占していく姿というのは「芸術そのものの終焉」を示していたに他ならないんですよ、実は…。
ああ、なんかとんでもなく偉そうに、久しぶりに希夷斎節を炸裂させて頂きましたわ。ここまで喧嘩売ってるの見られたら。こんな奴絶対に入選なんかさせませんね。ギャハハ!!
果てさて結果はいかなるや、乞うご期待ww
16
日展、落選ゲットーーーッ!
以下のような書類が送られてきました。誠に遺憾であります(笑)取り急ぎここに晒します。
本展を拝見してから、どのような作品が入選したのか、その感想などは後ほど。
しかし、いくら落選者だからアルバイト使ってやらせてるとはいえ、一応改組第一回目の天下の?日展なんですから、もう少しマトモな文字でおながいしますよ┐('〜`;)┌

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
さてさて、以前にも希夷斎HPトップにて、私希夷斎は今年は日展に初めて応募してみようかな…と宣言しましたが、予定通り作品は仕上がり10/6に搬入するつもりでおります。
募集要項には作品は展覧会などに過去に出品したものはNGとありますが、ウェブupについては明記されていませんので、どうせ入選せずに日の目を見ないことは解かっているので、ここでチラ見ということでお披露目したいと思います。取り急ぎ以下写真を。

とりあえず三点清書して裏打ち完了。会派に所属していれば業者に一括して渡し、後は裏打ち額装して搬入までやってくれるのだそうです。私は個人ですので全て自分でやらなくてはなりません。当たり前ですが…

全体像。印の大きさは3.5p角。
大規模展覧会の篆刻としては極小でしょうか。皆さん7cm、8pは当たり前ですからね。
落款には「秋山明浄にして粧うがごとし」を秋が重なりすぎるので、山沢にしました。
於秋海堂は今、拙宅周辺の山はシュウカイドウのピンクの花で満ち溢れているのでそれに因んで♪

「田舎漢」田舎のオッサンという意味ですw漢は男ということ。まぁ田舎の偏屈ってくらいですね。極々普通にふつ〜うに満白漢印で入れました。印泥は箭鏃。
こんな平凡なもの面白みも何もないって言われれば、「はいそうですね」と言うしかないですね。まぁでもよくよく線を観てもらえばわかる人には解かって貰えるとは思うんですが…

陶淵明の詩です。この詩から「田舎漢」を自分に喩えて刻したわけですが、もうここ奥武蔵の山に庵を構えて15年が経とうとしているのですが、世間から隠遁して生活しているとやはり陶淵明の詩にとてもシンパシーを感じてしまいます。自分の心情と重なる部分が多いからでしょう。
こうして多字数の細朱文を坦々と刻してみると、今まで自分のデフォは趙之謙、呉譲之だろうと思っていたのですが、いかに徐三庚に影響を受けていたかが丸分りで、改めて吃驚しました。
これも、ただ坦々と篆を刻したものです。文字本来がもつ美しさ味わいを最大限に活かせるように塩だけで味付けした感じです。
「自分らしさ」とかそんな雑念は入れない方がいい。印泥は鶴泉印泥の硃磦。

印材側面に6mmの枡を切って詩全文を刻しました。私は篆刻の師匠が居ないので側款の手解きを受けたこともなく、ただ古典に頼るしかありません。
学生時代北魏から唐に至るまでの墓誌銘をひたすら臨書していたので、側款を刻すとどうしても六朝楷書風の匂いが出てきてしまいます。一刀彫りですが、横画などの収筆には別の角度で刃を当てて突き上げています。
最後の枡は5mm角の穴を開けて希君手拓の5mm角の印を捺しました。今考えるとアトランダムに磨耗や欠けを入れて碑文拓に押印した収蔵印の如くにしてやればよかったかな…
詩の内容は、「世の中慌しいことばかりだけど、月日が経つほどに世間とは疎遠になっていくよ。日常畑仕事くらいで事は足りるから、別段それ以上のことももう求めなくなったね。百年くらい月日が過ぎちまえばもうこの身体も名前も綺麗さっぱり亡くなるんだからさ。ってな感じでしょうか。山居していると結構こんな達観にも似た想いになるもんです。
本来であれば、第46回日展になるはずが、今年は篆刻の部にての不正が明るみに出たので、「改組第一回日展」なんだそうですw
改組ってことは組織改革したってことですからね?不正の問題はもう皆さんご存知でしょうから詳しく書きませんが、各会派に入選者が予め割り当てられていたとか、天の声が存在したのしないのと、そんな事はもうどーでもいい。
私が最も問題だと思うのは、無所属で個人で応募していた人は10,000円という出品料を払いながら、審査の土俵に上がることもなく、搬入した作品は山積みされて日の目どころか審査員の目にも触れなかった可能性があるということです。
会派に属していなければ、いくら応募しても一生入選しない。それってトンデモないことでしょう?今まで個人で出していた人には、全てその回数分だけ日展は出品料を返却すべきですね。審査してないんならね。
私は今まで一度も日展に触れたことすらないですが、本当に聞くに堪えない全く腹が立つ話しです。
特選受賞者には受賞理由だのと、朱白のバランスがよいとか、知的な空間処理だとか、なんとなく耳障りのよい、よく読めば詰まらない寸評をしていますが、受賞者に寸評するなら、落選理由を言ったほうが余程教育的ですね。落選理由言うには全ての作品をちゃんと審査しなくちゃならないですからねw10,000円という破格の金額取ってるんですから、そのくらいの仕事をしやがれよと言いたいです。
兎にも角にも、組織改革したというのですから…、んじゃその改革振りを見て差し上げようじゃございませんかw
まあ、日展出品の大先生方や所謂日展作家先生方の多くは、猫も杓子も古典古典と仰られるにも関わらず、その作品群を見るに、総じてお師匠の臭いはキツイなと思うほど臭いますが、純粋に古典が薫る作品ってあまりないですね。師匠の臭いがしちゃいけないなんていいませんけどね。
しかし、皆、横並びに版画板のようなデカイ板石に刻すのが当たり前のようになっていますが、本来の小さな印材に彫るのと、板状の石に彫るのとでは、自ずと刀の入れ方や角度に差異が生じてくるはずで、そういうのってどーでもいいんでしょうかね?板に彫ったら確実に鋒は開かないですから。
これって本当に篆刻なの?これで本当におーけーなの?と自問自答したことはないんでしょうか。皆同じことやってるからもう麻痺してわけ分らなくなってしまっているんじゃないでしょうかね。所謂日展様式、展覧会様式みたいなものが確立し過ぎちゃってて、畢竟その中でしか仕事をしてない。
今回の私の作品なんて、小さな通常サイズで目立たず、ごく普通の何の面白みもない平凡な作品なんでしょうが、ある意味もう一度篆刻ってナニよ?あんた方そんな版画みたいな巨大なものばかり拵えてて本当にそれでいいの?という問いかけでもありますし、モノの見れる人間が見れば何処まで神経を差し込んだ仕事なのかは分るはずですから、この作品が落選して飾られないとなると、はっきり言わせて貰いますが、改組も糞もやはり日展終わってる…と私は明言させていただきます。ま、そのくらいの自信はもって臨んでおりますよw
組織ってのは、大きければ大きいほどそこには無言の圧力みたいなものがどうしても出来上がっていきますからね。それはトップダウンによる圧力だけじゃなくて、組織の内部の人間の多くが組織の考えを忖度して何故か一つの方向に誘っていく。昨今の政治情況を見ればよく分りますね。内部の人間が進んでパワーハラスメントのようなものに自ら娶られていくんです。
そして、ものが言えなくなるというよりも、寧ろ自ら本質的多角的に物を考えなくなって行くんです。芸術に関わる人間が組織化していくというのは、はっきり言えば最早自殺行為に等しくて、本来ならば己だけを信じ切って自分の足だけで立ってなきゃおかしいんですよ。群れたら実は終わりなんです。
日展という組織は単なる法人としての営利団体ですから、それは別に在って当たり前ですが、そこを会派という様々な団体が寄って集って入選や入賞という権利、また文化庁からの補助とかそういうものを独占していく姿というのは「芸術そのものの終焉」を示していたに他ならないんですよ、実は…。
ああ、なんかとんでもなく偉そうに、久しぶりに希夷斎節を炸裂させて頂きましたわ。ここまで喧嘩売ってるの見られたら。こんな奴絶対に入選なんかさせませんね。ギャハハ!!
果てさて結果はいかなるや、乞うご期待ww

2014/10/13 0:17
新作17顆up! 篆刻
先月からの依頼印の一部、をアップいたします。いつものように説明などつけませんが、ご高覧頂ければ幸甚です。

25mm

12mm

5mm

7mm

15mm

15mm

10mm

23mm

23mm

25mm

15mm

15mm

20mm

15mm

23mm

10mm

12mm
2

25mm

12mm

5mm

7mm

15mm

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10mm

23mm

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25mm

15mm

15mm

20mm

15mm

23mm

10mm

12mm
