2009/9/25
東海道丸子路散策090922
東海道丸子路散策
お墓参りと所用のため9月21日から25日まで静岡にいたが、前々から行こう行こうと思っていた東海道丸子路散策をして来た。
青百が子供の頃に行ったことのある丸子の印象しかなかったが、今では道路は舗装され、周りにお店も立ち並びすっかり奇麗になってしまった。
そのころは砂利道で道端は茶畑とみかん畑しかなかった谷戸風景だった。
丸子川で魚釣りをしていた懐かしいところでもある。

丸子路マップ
丸子までは車で行き、大きな駐車場へ駐車して散策開始。

吐月峰柴屋寺
今川六代当主義忠と七代当主氏親に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)55歳で草庵を結び余生をおくったところと記されている。
ここから眺める月は絶景だそうだ。

吐月峰柴屋寺本堂
京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示されている。

吐月峰柴屋寺庭
風雅な庭園は本堂の正面はるか南方にある「丸子富士」や庭の西方にそびえる「天柱山」など美しい自然をたくみに取り入れた借景園で、庵の背景となる枯山水の庭園と合わせ、国の名勝・史跡に指定されている。

歓昌院参道
お地蔵さんが参道の脇にずら〜っと置かれて、一つ一つの像が違うので見ていて楽しい。

歓昌院本堂
山間にあるひっそりとしたお寺です。

千手観音堂
歓昌院より少し下ったところに千手観音堂があるが、ここの参道わきに何の巨木か判らないが、かなり大きく真ん中なスッポリ開いていた。

丸子城城址入口案内板
今回の丸子路散策の一番の目的は丸子城城址である。
看板が判りにくいところにあるがやっと見つけスタートする。

ヒガンバナ
暫く山道を登ると辺り一面にヒガンバナが咲いている。
すっかり秋の気配がして来た。

丸子城城址(1)
泉ヶ谷から大鈩(おおだたら)へ向って縦断するが、暫く登ると急な階段を登って行く。
かなり整備が整った階段山道である。

丸子城城址(2)
土橋

丸子城主郭見取り図

丸子城城址(3)
北曲輪(きたくるわ)
今川氏時代の本丸。
ここが龍王丸と北川殿のいた時代の丸子城中核部です。

丸子城城址(4)
尾根道
樹木の間を蛇行して歩く

丸子城城址(5)
二の曲輪

丸子城城址(6)
本曲輪(一の曲輪)
武田氏時代の本曲輪はひょうたん状の形状。
通称千畳敷と呼ばれる広大な曲輪。

丸子城城址(7)
馬出曲輪
本曲輪(一の曲輪)の端に馬出曲輪もあった。

誓願寺(1)
源頼朝の創建で、戦火により類焼した後に武田信玄が再建した寺。

誓願寺(2)
大阪冬の陣の発端となった事件を家康公に弁明した豊臣家の家臣、片桐且元の墓がある。
5〜7月にはモリアオガエルの産卵が見られるそうだ。

誓願寺(3)
豊臣家の家臣、片桐且元の墓。

丁子屋(1)外観
東海道53次の20番目の宿場町として栄えた丸子宿にある。
とろろ汁を商って400年と言われ郷愁を誘うカヤ葺きの屋根のお店。

丁子屋(2)内部
日本民家の中で味わう麦とろは格別。
自然薯は山薬と云われ滋養強壮の食べ物として珍重されている。
子供の頃行った時の味よりはるかに美味しかった。
丸子路散策、丸子城横断した後の食事だったので尚更か?
歩いた歩数丸子路散策のみ:12,760歩(7.7km)でした。
今回の散策ではまた違った丸子路を見れたし、丸子城も横断出来た。
丸子丁子屋の麦とろも食べられた。
静岡市周辺には数々の名所古跡が点在している。
これから所用で静岡へ行く時は機会をみつけ、その一つ一つを散策してみたいと思っている。
青葉の百姓 2009.9.26記
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お墓参りと所用のため9月21日から25日まで静岡にいたが、前々から行こう行こうと思っていた東海道丸子路散策をして来た。
青百が子供の頃に行ったことのある丸子の印象しかなかったが、今では道路は舗装され、周りにお店も立ち並びすっかり奇麗になってしまった。
そのころは砂利道で道端は茶畑とみかん畑しかなかった谷戸風景だった。
丸子川で魚釣りをしていた懐かしいところでもある。

丸子路マップ
丸子までは車で行き、大きな駐車場へ駐車して散策開始。

吐月峰柴屋寺
今川六代当主義忠と七代当主氏親に仕えた連歌師宗長が、永正元年(1504)55歳で草庵を結び余生をおくったところと記されている。
ここから眺める月は絶景だそうだ。

吐月峰柴屋寺本堂
京都の銀閣寺を模したといわれる庭園が室町時代の様式を伝え、本堂には足利義政から拝領した文福茶釜、一休さんから賜った鉄鉢など寺宝も展示されている。

吐月峰柴屋寺庭
風雅な庭園は本堂の正面はるか南方にある「丸子富士」や庭の西方にそびえる「天柱山」など美しい自然をたくみに取り入れた借景園で、庵の背景となる枯山水の庭園と合わせ、国の名勝・史跡に指定されている。

歓昌院参道
お地蔵さんが参道の脇にずら〜っと置かれて、一つ一つの像が違うので見ていて楽しい。

歓昌院本堂
山間にあるひっそりとしたお寺です。

千手観音堂
歓昌院より少し下ったところに千手観音堂があるが、ここの参道わきに何の巨木か判らないが、かなり大きく真ん中なスッポリ開いていた。

丸子城城址入口案内板
今回の丸子路散策の一番の目的は丸子城城址である。
看板が判りにくいところにあるがやっと見つけスタートする。

ヒガンバナ
暫く山道を登ると辺り一面にヒガンバナが咲いている。
すっかり秋の気配がして来た。

丸子城城址(1)
泉ヶ谷から大鈩(おおだたら)へ向って縦断するが、暫く登ると急な階段を登って行く。
かなり整備が整った階段山道である。

丸子城城址(2)
土橋

丸子城主郭見取り図

丸子城城址(3)
北曲輪(きたくるわ)
今川氏時代の本丸。
ここが龍王丸と北川殿のいた時代の丸子城中核部です。

丸子城城址(4)
尾根道
樹木の間を蛇行して歩く

丸子城城址(5)
二の曲輪

丸子城城址(6)
本曲輪(一の曲輪)
武田氏時代の本曲輪はひょうたん状の形状。
通称千畳敷と呼ばれる広大な曲輪。

丸子城城址(7)
馬出曲輪
本曲輪(一の曲輪)の端に馬出曲輪もあった。

誓願寺(1)
源頼朝の創建で、戦火により類焼した後に武田信玄が再建した寺。

誓願寺(2)
大阪冬の陣の発端となった事件を家康公に弁明した豊臣家の家臣、片桐且元の墓がある。
5〜7月にはモリアオガエルの産卵が見られるそうだ。

誓願寺(3)
豊臣家の家臣、片桐且元の墓。

丁子屋(1)外観
東海道53次の20番目の宿場町として栄えた丸子宿にある。
とろろ汁を商って400年と言われ郷愁を誘うカヤ葺きの屋根のお店。

丁子屋(2)内部
日本民家の中で味わう麦とろは格別。
自然薯は山薬と云われ滋養強壮の食べ物として珍重されている。
子供の頃行った時の味よりはるかに美味しかった。
丸子路散策、丸子城横断した後の食事だったので尚更か?
歩いた歩数丸子路散策のみ:12,760歩(7.7km)でした。
今回の散策ではまた違った丸子路を見れたし、丸子城も横断出来た。
丸子丁子屋の麦とろも食べられた。
静岡市周辺には数々の名所古跡が点在している。
これから所用で静岡へ行く時は機会をみつけ、その一つ一つを散策してみたいと思っている。
青葉の百姓 2009.9.26記
