静岡の街散策070717  

静岡の街散策


7月16日〜18日まで、静岡へ行ってきました。
16日はお盆の法事を一通り済ませたあと、弟の家がある用宗に泊り、翌日17日は静岡にある仮住まいの掃除をしたあと、久しぶりに静岡の街へぶらぶら出かけてみました。


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青葉シンボルロード(1)池
静岡にある仮住まいのある家から7〜8分すると、静岡市役所後ろ側にある青葉シンボルロードへ着く。
突き当りが静岡市役所方面です。


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転がる水桶(1)
青葉シンボルロード内の中間あたりにこの転がる水桶がある。 この水桶は見てても飽きないほど面白い。
周囲4か所から噴水で桶に水を入れているところ。
青葉シンボルロードの突き当りが静岡市役所です。


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転がる水桶(2)
約4〜5分くらい溜まってくると、この桶が傾いて来て放水される仕組みになっている。



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転がる水桶(3)

水がある程度こぼれるとこの転がる水桶は、また元通りの位置に行ったり来たりゆれながら復旧します。
だるまさんとよく似ている。
ここで面白いのは、復旧する際ごろごろ転がりながら放水方向が変わるところがミソみたいで、暫く見つめていた。

水のたまる部分は変心していて深さが違うので、水が満杯になると傾くのは判るが放水方向が変わるところが面白い。
たぶん、転がる時と水を放水するとき微妙に位置が変わるのかも知れません。



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青葉シンボルロード(5)
再会の像
この像はどこから見てもユニークだし、4〜50年ぶりにあったような嬉しさ、懐かしさの驚きの表情が気に入っている。


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静岡駅前、呉服町通り


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宝泰寺(1)通用門


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宝泰寺(2)説明板

金剛山宝泰禅寺は、かっては二十八の末寺を有し、境内面積は一万平方メートルもあり、現在のJR静岡駅までも含む広さで、興津の清見寺静岡の臨斎寺と並び駿河三刹と呼ばれていたと記されている。


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宝泰寺(3)客殿


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宝泰寺(4)石庭から見る円明堂
今はビルに囲まれ規模は小さくなっているが、このお寺の手入れ、掃除が行きわたっていて庭の奇麗なお寺です。


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宝泰寺(5)本殿と池


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宝泰寺(6)本殿(左側)と客殿(右側)


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華陽院(1)
ここのお寺も江戸時代の歴史を色濃く残すお寺であるが、今はその面影は全くなく寺院内に保育園(日吉保育園)が入っている。
一見ここが華陽院かと思ったくらいでした。
境内脇のお墓のほうへ入って行くと、源応尼(げんおうに)の墓市姫の墓がひっそりと建っていた。


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華陽院(2)本堂
玉桂山華陽院(浄土宗)この寺は元、知源院とよばれていたものを華陽院(けよういん)の法名により改めた。


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華陽院(3)説明板


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華陽院(4)
徳川家康公の祖母、源応尼(げんおうに)の墓


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華陽院(5)
7歳で歿した徳川家康の5女、市姫の墓


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西郷・山岡会見の地(1)
静岡市葵区伝馬町に記念碑が建っているが、周囲はビルで囲まれており、今はその面影もありません。

西郷吉之助(隆盛)を参謀とした東征軍は1868(慶応4)年、京都朝廷が下した江戸征伐の命を受け駿府(静岡県)に入ると、幕府軍の責任者勝海舟は、山岡鉄太郎(鉄舟)を使者に送った。
西郷と山岡は伝馬町の松崎源兵衛方で会談し、徳川慶喜の死罪取り除きや江戸城明け渡しなどを話し合ったと記されている。


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西郷・山岡会見の地(2)説明板


ほんの1時間半くらいぶらりぶらり廻ってみたが、ビルに囲まれて非常にわからないところにお寺が建っていた。 
お寺の説明板を読んでいると結構気がつかないようなところに江戸時代の歴史を残す数々のお寺が静岡の街の中に多いのには驚いた。

子供のころは静岡の街で良く友達と一緒に遊んでいたが、お寺にはあまり関心がなく気がつかなかったが、これから静岡へ行くたびに江戸時代の面影を探しに歴史散策をするのも良いものだと思っています。
               青葉の百姓 2007.7.18記


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