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今日は、立冬。もう、暦の上では冬である。そして、暦どおり今日は肌寒い一日であった。しかし、天気は最高で行楽にはもってこいであった。
今日は、仕事が休みだったので、午後から長崎市のほぼ中心付近にある金比羅山(366.3m)に登った。
今日は、午後の遅くの時間であったので、立山公園まで車で行き、そこから登ることにした。しかし、立山公園に着くといきなりけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。先日の記事で紹介した亀山社中跡の近くの伊良林地区で火災が発生したそうだ。ここ一ヶ月雨らしい雨は殆ど降っていない。空気が乾燥しているので火の元には十分気をつけたい。
火事が早く鎮火してくれることを祈りながら、長崎東高近くにある金比羅神社の一の鳥居前の道を進む。途中立山の家々や段々畑の横を通りながら山の中に進んでいく。途中古い道標の遺構が残っており、古くから金比羅山が長崎市民に親しまれていることをうかがわせる。
森林が生い茂ってきたあたりに二の鳥居がある。
二の鳥居をくぐり、さらに石段を登ると三の鳥居が見えてくる。
三の鳥居をくぐり、切り通しを進むと、金比羅神社に着く。
この日は、10日の秋の例祭に向け、垂れが飾られていた。
金比羅神社の由来は非常に古いようで、案内板には次のように書かれていた。
金比羅神社をまっすぐ進んでいくと大きな草原に出る。ここは毎年4月ハタ揚げ大会が開催されるところでも有名で、長崎ぶらぶら節にも「紙鳶揚(はたあ)げするなら 金毘羅(こんぴら)かざがしら・・・」歌われている場所でもある。
ここの草原にぽっこり立つ岩があり、長崎市民には「どんく岩」として親しまれている。どんくとは長崎の方言で蛙のことである。
このあたり一帯は、眺望がよく、あずま屋やトイレが完備されており、ハイキングにはもってこいの場所であり、長崎市民によく親しまれているところである。ちなみに私は、小学校の時に遠足で何回か行ったこともあり、思い出の場所でもある。
この草原を抜けると、再び森の中に入る。ここからは尾根づたいに金比羅山山頂を目指す。途中勾配がきついところもあるが、山道はよく整備されており、石段もあり比較的楽に登ることができる。石段を築いてくださった先人の方々には頭が下がる思いである。下の広場から15分程度で山頂に着くことができる。
山頂からは、素晴らしい景色を望むことができる。
下の画像は頂上から東側を撮ったものである。西の箱根と言われた長崎街道の難所日見峠が見える。遠くに見える山は雲仙の山々で、平成新山(溶岩ドーム)もよく見える。
次の画像は、南側を撮ったものである。眼下に長崎市の繁華街を望み、長崎半島がよく見える。ここから見える長崎港は美しい。まさに天然の良港である。
次の画像は、西側を撮ったもので、かつて、原爆を落とされた浦上を眼下に見ることができる。この金比羅山がなければ、被害はもっと拡大していたであろう。左上の高い山は岩屋山でこちらも長崎市民に親しまれている山である。
なお画像には映っていないが(日光の関係で撮れなかった)、西の向かいには夜景で有名な稲佐山がある。
なお山頂には石の祠がある。この祠は宝永2年(1705)修験者である祥院長慶が讃州象頭山より金比羅大権現を勧請し、石窟を掘り、石祠を建て飯縄、愛宕の2神を祀ったものといわれているそうだ。そしてこの頃から金比羅山と呼ばれるようになったそうだ。
日もだんだん落ちてきたので、山を下りることとした。途中、長崎県史跡「長崎金星観測碑・観測台」に立ち寄る予定であったが、時間の都合で寄ることができなかった。ここについては、次回またお伝えできればと思う。なお、「長崎金星観測碑・観測台」についてはほしなべさんのHP
長崎の金星観測地案内で画像付で述べられているので興味のある方はご覧いただきたい。
無事下山したが、出発が遅かったため既に夕暮れとなっていた。そこで、少し暗くなるのを待ち、私の好きな夜景のスポットである立山地区から見た夜景を撮ることとした。
立山地区から見る夜景は長崎港と市街地の光のコントラストが素晴らしく、女神大橋が開通したこともあって、とてもロマンチックな夜景を魅(見)せてくれる。
今日は、日頃の運動不足を少しながら解消することができた。
気軽に登ることができる山でありながら、長崎市街地近くにありながら豊かな自然が残る金比羅山。時間に余裕のある方はぜひ金比羅山にも登っていただきたい。
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