昨日に引き続き丸山周辺を紹介しよう。
愛八の墓を参った後、もと来た道を戻り、中小島公園下の小路をまっすぐ進むと「中の茶屋」に突き当たる。「長崎ぶらぶら節」に、「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と歌われた有名な茶屋である。「中の茶屋」付近はかつての遊郭「中の筑後屋」跡で、敷地の一部に設けられた茶屋を「中の茶屋」(別名・青餅亭)と呼ばれている。
「中の茶屋」の庭園は江戸中期に築かれた庭園で、長崎市内では、寺院以外で残っている遺跡としては今も現存する貴重なものとなっている。
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庭園の隅には、「中の筑後屋」の遊女・富菊が寛政2年11月に奉納した手水鉢が残っている。
また、茶室は、昭和46年1月17日の火災で建物は焼けてしまったが、昭和51年に元の形に復元されている。
茶室横の建物は、「清水崑展示館」として、河童の絵で有名な長崎出身の画家・清水崑画伯の作品約3,400点が展示されている。特に酒造メーカー・黄桜酒造の河童のCMは有名である。
中の茶屋を出て、少し進むと当時の塀を見ることができる。このあたりの塀は直径15〜40cmほどの自然石を使ってつくられており、石灰と赤土を混ぜた長崎独特の「アマカワ」と呼ばれる漆喰で固められている。出島の塀も同じようにして作られたものである。塀は断続的に玉泉神社付近まで見られる。
中の茶屋横の階段を下りると、すぐ「梅園身代わり天満宮」がある。元禄13年(1700)に創建されている。由来は、丸山町乙名である安田治右衛門が二重門付近で襲われ、槍でわき腹を刺されたが、どこにも傷がなく、自邸のほこらの天神様がわき腹から血を流し倒れていたという。そこから、身代わり天満宮と呼ばれ、丸山町の人々に親しまれている。映画「長崎ぶらぶら節」のロケ地となったことでも有名である。
天満宮の中には多くの願掛けがある。
まずは歯痛狛犬、歯が痛いときに狛犬の口に飴を含ませると歯痛が治るというものである。
次に恵比寿石。この石を眺めて恵比寿様の笑顔を見ることができれば笑顔が美しくなり、さらに身体も心も美しくなるという。
そして、天満宮ならではの痛みや病気が治ると信じられている撫で牛(画像は3代目)、二代目の撫で牛はボケ封じに利くという。
また、芸者や遊女が苦労をかけないようにと願をかけた梅塚もある。
梅園身代わり天満宮をでて、階段を下り、右の道に曲がると、「永門商店」という昔懐かしい造りの小店を曲がり、すぐの道を右に曲がり、下りていくとかつての遊郭のなごりである「三勝」という屋号の看板を見ることができる。
そこを、さらに下り、比較的おおきな道に出る。ここを左に曲がると、かつて愛八さんも在籍していた「長崎検番」がある。時折三味線の音が聞こえるという。
この道を下ると坂本竜馬の刀傷で有名な史跡料亭・「花月」がある。
花月前より丸山公園脇を進むと丸山交番にでる。このあたりは「山之口・二重門跡」で、花街への入り口であった。
長崎のカステラの老舗「福砂屋」は、ここにある。
福砂屋横には、見返り柳と思切橋がある。花街の帰り道、遊女への未練がここで振り返らせたのか、見返り柳と呼ばれ、その側にある思切橋で未練を断ち切るということである。
ここまで、丸山町周辺をさるいてきた。丸山町は今年は41年ぶりの長崎くんちの踊り町である。丸山町はかつて、日本三大花街として、賑わった場所である。今は閑散としているが、当時の面影がよく残っている。小説や映画の舞台となった場所で近年は観光客もよく見られるようになった。実は私は今のところに引越しするまで、1年ほどこのあたりで住んだ。タイムスリップした気分が味わえる町である。繁華街からも近いので、ぜひ、このあたりを散策すると、長崎の魅力が一段と味わえると思うので、訪れていただきたい場所である。

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