今日は、長崎ランタンフェスティバルの唐人屋敷会場で行われている「ロウソク祈願四堂巡り」にそって、唐人屋敷を紹介したい。
唐人屋敷は、徳川幕府が鎖国政策のひとつとして、密貿易を防ぐために幕府の薬草園であった場所を造成して、唐人を隔離した場所である。鎖国時代は出島とともに唯一海外の文化が入ってくる場所であった。広さは約9,400坪と広大で現在の館内町のほぼ全域に及び2,000人もの収容能力があったといわれているそうだ。

江戸時代の唐人屋敷(『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載)

唐人屋敷会場への入口(湊公園会場からすぐ)
「ロウソク祈願四堂巡り」は、館内町にある土神堂、天后堂、観音堂、福建会館天后堂の4つの御堂を巡ってロウソクをお供えするというもので、中国では昔より、お正月にお堂を参拝し、赤いロウソクを灯し萬事安泰を祈願するという風習があることに由来する。
私も、「ロウソク祈願四堂巡り」に参加してみた。実は今回が初めてである。スタート地点は土神堂前である。赤いロウソクもここで販売している。

土神堂とロウソク販売所

さっそく赤いロウソクを購入

スタンプラリー形式で4つの御堂を巡る
最初は土神堂である。土神堂は、中国の人々が、唐人屋敷での無事な暮らしを祈願して、元禄4年(1691)に土神様を祀ったものである。独特の反り屋根をしており、いかにも中国風である。市指定史跡に指定されている。

土神堂

土神堂の堂内(ここにロウソクを供える)
土神堂の次は、天后堂である。天后堂は、元文元年(1736)に南京地方の人々が航海安全を祈願し、航海の安全の神様である天后聖母を祀った。現存する建物は明治39年(1906)全国の華僑の寄付によって再建されたものである。市指定史跡に指定されている。

天后堂

天后堂の堂内
天后堂の次は、観音堂である。元文2年(1737)頃に建立されたと考えられている。天明4年(1784)に焼失し、天明7年(1787)に再建された。その後何度かの改修の後、大正6年(1917)当地在住の中国商人により改築された。堂内には観世音菩薩と関帝が祀られている。観音堂前の石門は唐人屋敷時代のものといわれている。市指定史跡に指定されている。

観音堂

観音堂前の石門と観音堂へ続く道

観音堂の堂内
最後は、福建会館天后堂である。明治元年(1868)に福建省泉州出身の人により、ハビン会所が創設された。明治30年(1897)に、全面的に改築され、福建会館と改称された。福建会館の本館は原爆で倒壊し、現在公園となっており、天后堂と正門のみ残る。県指定有形文化財に指定されている。

福建会館正門

福建会館天后堂

福建会館天后堂の堂内
以上で、私は、ブログに訪れる方々の幸せと家内安全を各御堂で祈願し「ロウソク祈願四堂巡り」を終了した。
中国に縁の深い唐人屋敷会場は、長崎ランタンフェスティバルには欠かせない会場の一つである。メイン会場である湊公園から歩いてすぐのところにあるので是非訪れていただきたいと思う。
唐人屋敷の詳細は、
長崎・唐人屋敷 オフィシャルサイトをご覧いただきたい。
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