今週末で9月も終わりである。また、明日は孔子廟において、孔子祭が開かれる。孔子の生誕を祝う祭りで、中国に古くから伝わる儀式を明の時代そっくりに再現され、その豪華さに圧倒されるという。
では、昨日に引き続き長崎の旧外国人居留地の風景をお伝えしたい。昨日は、南山手周辺をお伝えしたが、今日は「東山手・大浦地区」を紹介したい。
始めは、水辺の森公園の運河内に残る明治時代の長崎税関四番波止場遺構。水辺の森公園にかかるオランダ坂橋そばにある。明治時代の石積みの突堤で、税関の詰所があり浮き桟橋が繋がれていたという。当時は大型船のほとんどが港内のブイに係留し、乗降者はランチやサンハンと呼ばれる小型通船で桟橋に上陸、携行品検査を通過した後、居留地に上陸していたそうだ。この波止場をまっすぐ行くと、活水学院下の切り通しのオランダ坂に突き当たる。

長崎税関四番波止場遺構
その、波止場遺構の近くには「旧長崎英国領事館」がある。英国技師ウィリアム・コーワンの設計、後藤亀太郎が施工し、明治41年(1908)に完成した。イオニア式の建造物で、柱が高く、細く、細部にわたる装飾が女性的である。なお、裏側のオランダ通り側には、木造二階建ての旧長崎英国領事館職員住宅が残っている。国指定重要文化財に指定されている。つい最近まで、野口弥太郎美術館として利用されていたが、現在改修のため立ち入ることはできない。なお、管理人が子どもの頃は、児童科学館として利用されて、よく遊びに行ったものだ。

旧長崎英国領事館
この英国領事館がある大浦海岸通りの辺りは、居留地時代は各国の領事館や商社が建ち並び、居留地でも最も賑やかな場所であったそうだ。現在は、その面影もほとんどない。
大浦海岸通りの古写真(
長崎大学付属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベースより)
次に、先日もお伝えした国選択有形文化財となった「東山手十三番館(旧ブリキ邸」。明治30年(1897)頃に建てられたもので、昭和14年(1939)から昭和31年(1956)まで、フランス代理領事を務めたアンドレ・ブリキ氏の私邸となり、現在は喫茶店となっている。

東山手十三番館
次に「東山手十二番館」。明治元年(1868)ごろに建てられ、東山手居留地の中では最も古い洋館である。ロシア領事館、アメリカ領事館、メソジスト派の宣教師住宅として使われてきた。現在私学歴史資料館として公開されている。国指定重要文化財に指定されている。

東山手十二番館
東山手十二番館の古写真(
長崎大学付属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベースより)
なお、日本の女学校の草分けとなった活水学院との境の塀に「居留地境石標柱」がある。

東山手の「居留地境石標柱」
次に、誠考院の坂横にある「東山手洋風住宅群」。明治20年代後半ごろに、洋風に似せて作った外国人向けの賃貸住宅で、全部で7棟ある。洋風住宅が集中して残っているのは他になく貴重なもので、現在、東山手地区町並み保存センター、古写真・埋蔵資料館、ワールドフーズレストラン「地球館」として利用されている。

東山手洋風住宅群(手前は東山手地区町並み保存センター、奥はワールドフーズレストラン「地球館」)
最後に、大浦地区に唯一残る木造洋館の「池上邸」。明治20年代に建てられたもので、現在も住居として使用されている。

池上邸
大浦地区は、洋館はほとんど残っていなく、所々にある居留地標がその名残をとどめる程度である。
大浦居留地の古写真(
長崎大学付属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベースより)
以上、簡単ではあるが東山手・大浦の居留地、遺構を紹介してきた。明日から2日間いよいよ、「長崎居留地まつり」が開催される。詳しくは下の画像をご覧いただきたい。

(2007 長崎居留地まつりパンフレットより)
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