朝晩ははかなり寒さが感じられるようになった。先月の上旬はまだ暑かったように感じたのに、わずか一ヶ月でここまで寒くなるとは。今年の初秋がかなり暑かったので、急に寒くなったような感じである。
さて、今日11月12日は、日本で最初に西洋医学の教育が始まった日でちょうど150周年である。長崎大学医学部では盛大に記念式典を行ったようだ。
安政4年(1857)11月12日に現在の長崎県庁の場所にあった長崎奉行所西役所内に医学伝習所を開き、オランダ海軍軍医のポンペが日本人学生たちに講義を行った。この日を長崎大学医学部の創立記念日としている。長崎大学医学部は、日本で一番古い医学部ということになる。
幕府がオランダに海軍伝習を依頼し、教官の一人として軍医の派遣を依頼、そして日本に派遣されたオランダ海軍の軍医がポンペ・ファン・メーデル・フォールトである。
西洋医学を初めて系統的に多くの日本人学生に教え、後にその教え子たちによって西洋医学が定着して、ポンペは、近代西洋医学教育の父と呼ばれるようになった。
ポンペは、28歳という若さで来日。西洋医学を広めようと熱心に厳しい指導をおこなったという。自然科学の基礎からみっちり教え込んだといわれ、医学を体系的に学ばせる方法を貫きとおしたという。尊い人間の命を救うには、医学を目指すものは多くのことを身に付ける必要があった。医者は、他人に命を預けていることを自覚し、患者に精一杯尽くすことだと教え込んだという。長崎でコレラが大流行した時は、身分を問わず患者に治療を施し、貧乏人には無料で治療を行い、身分を問わず病人の治療を行ったという。
その後、ポンペの進言により、日本初の西洋式病院・小島養生所が現在の長崎市の佐古小学校の場所に建設され、医学伝習所もこの地に移転した。
ポンペは来日して、15,000人近くの患者を治療し、外国人によるコレラや梅毒の上陸を阻止するため努力し、長崎の人はポンペに信頼と尊敬を寄せるようになったという。
現在長崎大学医学部の校是ともなっているというポンペの言葉は「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」と医学に対する真摯な姿勢をみることができ、その精神はその後医学を目指す人の心に刻まれることとなった。
小島養生所の古写真(長崎大学付属図書館 幕末・明治期 日本古写真メタデータ・データベースより)
長崎文化ジャンクション 長崎文化百選 長崎事始め編・西洋医学
長崎文化ジャンクション 長崎文化百選 海外交流編・ポンペ
下記ランキングをクリックしていただくと更新の励みになります。
人気blogランキング

0