プラモデル
国産プラモデル第1号であるマルサン製〈ノーチラス号〉は1958年の発売だという。
この年は、戦後日本にとって大きな変化を迎えた年でもある。
1万円札の発行である。
初の高額紙幣の登場は、日本の経済の規模が1ランクアップしたことを意味しているわけだが、プラモデルの生産開始は、それを裏付けていると考えられる。
なにしろ、プラモデルの製造には大きなイニシャルコストがかかるのだ。それはほとんどが手作業のブリキの玩具やソフビ人形の比ではない。
採算を得るためには、それらの商品の何十倍もの販売数が見込めなければならないのだ。プラモデル特有の量産効果によって単価は下げられるものの、そもそもそれだけの数を受け入れる市場がなければ、成立し得ない考え方だ。
プラモデルの発売は、日本の経済、市場の変化と密接に絡みついているというわけなのである。
この年の大きな事件としては、売春防止法の実施がある。これまで存在した公娼制度が完全に廃止され、赤線などの歓楽街が日本から(表向き)姿を消すことになる。
これも経済の発達段階が一段変わったということの傍証かもしれない。
ちなみに〈プラモデル〉なる単語は、日本プラスチックモデル商業組合(うろ覚え)の登録商標である。
注意深く見ると、大手のプラモデルメーカーの中でも〈プラモデル〉という言葉を使っていないところがあるのはそのせいだ。
余談の余談。
売春はつねに、強制や貧困と密接絡んでいるために、奴隷労働的な側面が強い。いまでも、「ダンサーとして来たのに売春を強要された」などという話をよく聞く。これがいいことなわけがない。
それゆえに、売春という産業は解体されなければならないが、金銭の授受によって、性的な欲求を解放できるシステムというのは、実は人間社会には必要なのではないだろうか?
売春が禁止になっても、ポルノグラフィはソフトなグラビアからハードなAVに至るまで需要が尽きることがない。
尊敬される職業としての売春婦(夫)、こういうものは現代日本においては妄想の産物でしかないのだが、そうなればいいのに、と少し期待してしまう。

0