この前、
わたしはジブリファンではなかった。真のジブリファンなら、ジブリの決断を受け入れられたはずだから。
宮崎ファンですらなかった。
わたしは、駿監督作品と高畑勲監督作品の一部がとても好きな人、というだけだった。
という話を書いたら、ファンだからといって作品や作者を全面支持するとは限らない。そうするのはいわゆる「熱狂的なファン」なのではないかと言われた。
うーん、全面支持できるかどうかじゃ、ないんだよな。熱狂的なファンって、それこそ、なんでも見にいったり集めたりするイメージがある。
わたしにとってファンであるということは、作品のいずれかに思い入れがあり、かつ作者に対して「許せない」「嫌いだ」と思うようなファクターがない状態を指す。
例えば、昔、司馬遼太郎の小説が好きだった。『竜馬がゆく』が特に気に入り、『燃えよ剣』や『新撰組血風録』などを読んだ。しかし、当時付き合っていた男が好きだと言った『国盗り物語』を読んで、急に受け付けなくなった。男は犯す生き物、女は犯される生き物、と断じてしまうセンスが、どうしても許せなくなったのだ。たとえ時代背景からしてそれが事実だったとしても、書き方に女性読者に対する配慮がまったく無いように感じられ、突然熱が冷めた。アレルゲンが体内に溜まって限界を超え、アレルギー反応が出るようになったかのように、と言ってもいい。
逆に、フィリップ・K・ディックは麻薬中毒患者であったとしても、嫌いになれない。
とにかく、わたしにとってファンであるということは、作品の内の複数が好きだということと、作者が好きだと思えるということなのである。

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