私のたった一人のおばちゃんが、数年前から、我が家の嫁や娘の生活支援、介護を受けてきました。嫁を中心に、おばちゃんのために朝昼晩と食事を作ったり、食べさせたり、喫茶店の仕事を終えると一緒に晩御飯を食べながら話の相手になってあげたりしてくれました。こういう機会を、嫁や娘たちが連携して意識的に作ってあげることで、おばちゃんはどれだけ助かったことでしょう。
最初に救急車で病院に運ばれたときは、意識がない状態が続きました。医者からも「老衰」と言われて、私自身あきらめたことがありました。しかし、嫁と娘は違いました。病院中に聞こえるほどの声をあげて、耳元で「おばちゃん、おばちゃん」と呼び続けました。体の一部を強くつねり、おばちゃんの顔が痛みでゆがむまで続けました。意識の奥深くに刺激を続けることを、嫁と娘は、ほとんど毎日、2カ月以上も続けてくれたでしょうか。
目をふさいだままで反応がない状態でも、呼びかけにちょっと顔がゆるんだりすると、「お父さん、おばちゃんが笑ったで!」と二人から報告を受けました。初めは「嘘やろ」と半信半疑でしたが、それが本当になりました。3ヶ月弱を過ぎるころに意識が戻ったのです。信じられなかったですね。私や弟ですと、一人で見に行くと「あっ!眠ってるな」と思って、枕元に立ってすぐに帰ってしまうのですが、嫁や娘たちは違いました。正直、「すごいな」と思いました。嫁や娘がいなかったら、おばちゃんは決して元に戻らなかったと私は思っています。
もう3年ほど前のことです。「新潟の従兄に会いに行きたい」と言い出しました。新潟はあまりに遠いので、体を心配したのですが、2泊3日で娘が一緒に連れて行ってくれました。帰りは東京回りで、東京タワーも見ることが出来ました。新潟の旅館では、おばちゃんが娘の前で「してな踊り」をしたそうです。うれしかったのでしょう。おばちゃんの誕生日には、武生の菊人形にも行きました。娘が撮ってくれた写真を見ると、とても楽しそうです。大阪の親戚にも会いに行きましたし、京都へも、私の下の娘の職場を見に行ってくれました。80歳を超えて、自分の意思ではどこにも出たことがなかったおばちゃんが、驚くほどの行動力を見せてくれました。そして、すべて我が家の娘が行動を共にしてくれました。「ひょっとしたら、おばちゃんの体の中で、無意識に死期を感じているのかな」と心配しましたが、やはりそうだったのでしょうか。しかし、それが出来たのですから、おばちゃんには素晴らしい晩年だったと言えるでしょう。
そのおばちゃんが、昨日の朝になくなってしまったのです。医者や看護婦さんから、「もう長くは生きられない」と聞いていましたが、ついにその別れが来てしまいました。残念ですが、仕方がありません。今日の午後には、葬儀を終えることが出来ました。ホッとしています。おばちゃんは安らかな顔で眠りについています。おばちゃんも思い残すことはないのでしょう。
私自身の長い人生の中の、ちょっと大きな出来事でしたが、心の中のひとつの区切りとなりました。あすからまた前を向いて、必死に頑張らなければと思っています。

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