複雑で、大きくて、なかなか理解できない社会的問題が起きたとき、どう対応すべきか。私は、自分に【方法の問題】を課しています。
その社会的問題を主導する人たちが、【情報を公開しているか】【説明責任を果たしているか】【継続して議論の場を設けているか】という3つの方法を重視しています。
最初は間違っていたとしても、この3つの問題が保証されていれば、間違いは修正されていきます。
高校の私のクラスからは、東大を出て東京の有名私大で教授をしていた者、京大を出て日立の研究所に入り東大の特任教授をしている者がいます。
二人と個別に、原発について議論を交わしたことがあります。特任教授をしている者は「うちの親父も困った者で、原発に反対してるんだよ」と私に言いました。
【良い親父さんじゃないか】と言いますと、【技術にはリスクが伴う・・・】と判を押したように返してきます。【じゃあ、情報が公開されず、説明責任が果たされなかったら、リスクの評価さえできないではないか】と言いますと、【それもそうだな】と下がりました。
彼の親父さんは、私が彼の同級生で、原発に反対しているのを知っているのですね。私のことを彼に伝えてくれていました。
もう一人のクラスメイトともたまに議論します。主張は【技術にはリスクがつきもので】という内容です。
彼と話していると、福島原発事故の被害実態よりも、研究の自由の方が優先するようです。福島原発事故による被災者の状況について、【感情の共有】ができない議論です。情けないですね。
憲法の生存権さえ、頭にないようです。それでも、こういう議論を通して、私自身が鍛えられることも確かです。方法の問題は重要ですよね。

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