数日前、高校のクラスメートと原発の議論になりました。東大を出て有名私大の教授をしていた級友です。過去にもクラス会で意見を交わしたことがありますが、論法は単純です。
彼は原発推進で、技術が進むと、原発は安全になって、社会に役立つ。技術にはリスクが伴う。と言う論理です。
原発の個別課題には、私の方が技術的に理解がありますので、議論は押していきます。すると彼は、違う事例を引き合いに出して、私の主張を混乱させようとします。
議論を通して思うことは、彼とは「感情を共有していない」ことが大きな違いだと言うことです。
大きな事故を起こして、住民が避難しなければならなくなっても、それを問題だと感じていないことです。
放射線が人体を攻撃することに関しても、低線量なら問題になるようなレベルではない。と言うのですね。
「こういう議論をしてもくだらないな」と思いながらも、2時間近く過ごしました。高校時代の偏差値で、上から目線で話されている感覚も持ちます。
こういう級友は私のクラスにも複数います。東大の特任教授をしている者、三菱銀行で海外赴任をしていた者、日立でシステムエンジニアをしていた者。
クラス会で彼らと原発に関して議論になる場合があります。原発に関して深い理解もなしに、原発を擁護します。私が反論すると、黙ります。
でもそこは、やはり、感情を高ぶらせず、地道に議論につきあうことですね。福島原発事故以降、私の主張を援護する級友も出てきました。

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