あるメーリングリストで、小泉首相の「脱原発」発言を巡り、論争がありました。私自身は小泉元首相の行動を評価していたのですが、彼の過去の政策に対し厳しい批判がなされていました。
もちろん、過去の行動への批判は私も持っています。しかし原発に関しては過ちを認め、安倍首相を批判し、原発を止めるよう主張しています。
私は美浜町で40年にわたり原発を批判してきました。何をやっても負けて負けて負けて、負け続けてきました。
当初は学習会をする場所も貸してもらえず、学習会を持っても、今でさえも、町内の方の参加は3−5名程度です。
小泉元首相の行動は、私には期待があります。彼を評価する多くの人たちがいます。その人達と手を握りたいですよね。
小泉元首相を厳しく批判する原発批判者を見ていますと、立地地域で苦闘する私には、すごく違和感を感じます。
原発は大きな利権構造をなし、マスコミを手名付け、大きな力を持っています。原発を止めるためには「共闘」を意識しなければなりません。
厳しい批判を行うことは、自分の感情をスッキリさせることはできますが、「共闘」どころか「対立」を煽ることになります。
小泉元首相への「反原発の立場からの批判者」には、私は、「競争社会」の生き様を感じてしまいます。手をつなぐ、ともに行動するという「寛大さ」に欠けていると考えています。
大事なことは「世界を解釈する」ことではなく、「世界を変える」ことだと私は思います。

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