ギャオの中国大河ドラマ,ラスト・エンペラー。18回まで見終わりました。
満州国が設立されたところまで辿りつきました。
溥儀の生活を見ていると,ほんとに不幸という感じです。清の皇帝であったという感覚から,先祖のためにもがんばらなくては,という感覚が空回りしてしまいます。
そして,満州国。日本が直接関係してきます。
満州国は,傀儡政権とされていますが,確かにそうですね。日本は,遅れてきた帝国主義国として,植民地化を目指したのでしょうが,植民地化しようとした国が伝統のある中国であったことが,他の列強国の場合の植民地政策との大きな前提の違いといえるでしょう。
また,伝統国であることを意識した調査についても不十分であったといえるでしょうね。統治の仕方なんかでいえば,イギリスの統治(植民地での自由を広範に認める)の例なんかもあった訳ですが,いずれにせよ研究不足の状況での政策立案でしたね。ここいら辺が軍部の独走と評価できる部分ですね。
歴史修正主義者たちは,この満州国の経緯などについても,ナイーブな議論をいろいろしていますので,近現代史の勉強は,なかなか難しいものがあります。こんなところまで,と思ったのは,溥儀の教育係であったジョンストンの著作を巡っての対立。
岩波版では,前半部分を大幅に削除しており,新たに渡部昇一が監修者になって,完訳を発売したりしています。
これって,渡部昇一が監修者になっているだけで,またこれを有利に利用したいんだろうなーと勘ぐって,読む気がなくなります。
そもそも岩波版が前半部分を大幅に省いて訳したことが失敗の始まりでしょう。
結局,この本が東京裁判でも証拠として採用されなかったことをもって,これこそ真実だとばかり喧伝している訳です。しかし,冷静に考えてみれば,ジョンストンが教育係であったのは,溥儀が退位してから5年ほどの期間にすぎませんし,日本との接触の可能性を示したのはジョンストン自身でもあったという事情があります。
さらに,満州国の設立が溥儀らの清再興の悲願に重なったとしても,日本としては,日清戦争により清に勝利して以来,中国は遅れているという態度になっていった訳ですから,いわばその代表格である清の皇帝を引っ張り出して建国させること自体が自己矛盾をはらんでいる訳です。
満州国の政治体制をみるなら,溥儀らの統治への権力は微々たるもので,関東軍がほとんどの権限を押さえていました。こういう現実を,例えば康煕王朝なんかの時代と比べれば,それが傀儡であったことは明らかだろうと思います。

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