と,まあ以上のようなところが自民党憲法草案の要点でしょうか。他にもいくつか真新しい規定はあるのですが(例えば特別な場合に裁判官の報酬を下げられるという規定),大抵は現行憲法でも対応が可能なもので,リップサービス的に付け加えられたものにすぎません。
こうやって見てくると,9条以外には,それほど大きく手をつけていないのが分かります。そのため一部の論者は,意外に普通というコメントを述べていました。
確かに,自衛隊が存在していることに目を奪われると,当初予測されたような明治憲法に戻るような内容ではないから,ほっとしてしまいそうです。
しかし,ここには大きな落とし穴があります。なぜ,最近になって憲法改正の声があがったのか?自民党は,悲願として立党50年などと言いますが,何のことはない,ここでもアメリカが要求しているからだというのがよく分かります。
2000年の
アーミテージ・レポートを受けて,アメリカとの軍事的同盟を強化するために,憲法を変える。はっきり言ってこれだけの目的のために,今回の憲法改正論議を起こしたと言っていいでしょう。
だからこそ,国民の反発をもろに受ける規定を極力避けたにすぎない,と見るのが妥当ではないでしょうか。
そう考えると,自主憲法を唱える前文が本当に空々しく思えます。つまり,今回の議論も単なるアメリカ主導の有事戦略の総仕上げにすぎない訳です。
考えてみれば,日本の歴史は,サンフランシスコ平和条約締結の際に日米安保条約を結ばされ,「押しつけられたと主張される」憲法をアメリカが今度は邪魔だということで,圧力をかけ憲法の多重人格状態を生みだし(これに抵抗する愛国心ある人々は,安保体制の永続化に抵抗すべく60年安保闘争を繰り広げた),またベトナム戦争のための補給基地になることに反対した抵抗運動も崩壊し(70年安保闘争),冷戦が終結した今になって,いよいよ憲法の廃棄を要求するに至っている訳です。
市民サイドは,負けが続いていますが,着実に底力をつけてきています。暴走もせず,組織中心にならず,個人の尊厳を尊重した,平和的な,軍事力恒久化に対するノーの発信ができるかどうか,あきらめない個人の力に全てがかかっていると思います。

1