「パイドロス」
プラトン著(藤沢令夫訳,岩波文庫)。
さて,本書の後半。言論(弁論)についての分析になります。よき弁論家であるためには,何が必要か?
弁論家は,「その群衆の心に正しいと思われる可能性のある事柄」を提示するなんていうのをみると,アメリカの弁護士を思い出しますね。つまり,現代アメリカは弁論家の国家ともいえます。弁護士物なんかを読んでいると,刑事事件でも弁護士が本当のことかどうかなんて知りたくないと公言しちゃいますからね。
ソクラテスは,仮にそういうものだとしても,正しいと思われるように「異なるものを」見せかける訳だから,そのためには正しい事実が何かを知り,その差異を知っていなくてはいけないだろうと述べます。
また,文字の効用についても述べます。文字は記憶を喚起してくれるという効能があるのですが,他方で記憶を減退させるし,文字を崇めてしまうというデメリットもあります。
文字(文章)は,あくまで著者の主観が入り込みますし,問いかけができないので解釈の余地も出てきます。こういう限界をおさえておくことも必要ですね。
言論の上では,真実に迫ることが必要で,その本質を一つの定義を用いてとらえて,その上でそれ以上分割できないところまで分割すること。なんか奥深いですよね。
最近,魂のこととか真実とかに関してプラトンの本を読んでいるからか,なんだかすがすがしいです。混迷の現代社会では,一種の胃薬になるかもしれません。
最後に,ソクラテスのこの言葉を。
「ひとがりっぱな事柄をやってみようと試みるならば,結果としてどのようなことを経験することになろうとも,その経験を身に受けることもまた,その人にとってりっぱなことなのだ。」(132頁)

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