ちょうど,朝日新聞に同じような記事が続いたことからこの問題を取り上げてみる。どちらもナショナリズム,保守主義の台頭が言われるけれど,中身は空虚だという指摘。
5月10日付けの宮崎哲弥氏の記事では,アンチテーゼの保守が,左翼陣営の弱体化により敵を失ったことから,新しい敵を求めて拡散し思想を有しない故に単なる憎悪の表出になっていると指摘する。
5月11日付けの小熊英二氏の誌談では,経済の停滞によりナショナリズムの表現形態が変わり大衆社会型のポピュリズムになっていると指摘し,同じく左派嫌いというアンチテーゼだけがそれを支えていると述べている。
ネット上では,この種のポピュリズムの登場は,もう常識になりつつありますが,確かに彼らと議論して思うのは,思想のなさです。直情的に極端な事例を引っ張り出して批判を加えるのが彼らの特徴ですが,では彼らは同じ問題をどう考えているのかと追及していくとそれには答えられない。結局問題の解決をどこかに投げ出して,政府等のすることに間違いはないのだ,で終わってしまう訳です。
例えば,9条の問題でいえば,彼らは,護憲派は自衛隊がなければどうするのだ,日本を守れるのかという問題設定をしてくる訳です。ところが,現実には既に自衛隊がある以上,いくら護憲派が増えたとしてもそう簡単に現状を変えることは不可能です(つまり問題設定自体が現実味に乏しい遠い話のことになっている)。
むしろ彼らに問いたいのは,現状では9条がありながら自衛隊を持ててしまっている。何故に,憲法を変えなくてはいけないのか,という問に対する答えです。しかし,これに対しては現状に合わせるとかの回答しか聞けません。ならば,君らがあれほど煽っていた危機はどうなるのか,注意しなくてはいけないと言っていたのではないかと問いつめると,ようやっと日本の防衛を充実させないといけないと言い始める。
そこで,その情勢分析を聞く。彼らは,ぽろぽろと答えるけれど十分に分析されているとはいえない(つまり,自分の手を使って調べるまでの気力はない人が多い)。
また,ならば自衛隊をどうすべきか,軍拡しろということかと聞くと,やれ,そうだとかいう声も聞こえてくる。ならば,憲法改正よりも軍拡を言うべきだろうと思う(憲法改正のために金を使うくらいなら,直接に防衛費を増やせと運動すべきだし,それほど国を愛するなら防衛庁にどんどん私財を寄付すべきだろう。)。
大概がこんな感じ。
前に,
「避けるべきは思考停止」ということを書いたけれど,保守派,ナショナリストにとっても事は同じ。何かを生み出すエネルギーを持って取り組まないと結局彼らが批判していた仮想左翼と同じことになってしまう。いや,むしろもっと質が悪いのは,彼らが「理想」を持っていないことだ(これは「理論」でもある。)。単に安楽な椅子に座っている(多数派としての論理)だけだから,よりポピュリズムの危険が高まるのだ。
こういう現状を見ると,リベラリストとしての自分としても彼らのことが心配になる。

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