「国家(上)」
プラトン著(藤沢令夫訳,岩波文庫)。
さて,上巻収録の第2巻に入っていきます。この巻は,正義と不正についての問題提起を受けて,ソクラテス(プラトン)の考える理想の国家を想定し始めていく巻にあたります。
冒頭の,不正である方が結局は有利なんじゃないかという率直な指摘はかなり説得力がありますね。
正義とは,不正をはたらきながら罰を受けないという強者の立場から見れば,不正な仕打ちを受けながら仕返しもできない連中が束になって作った約束事に見えなくもないですからね(みなさん,これに反論できますか?)。
また,リュディアのギュゲスの指輪の話も面白かったです。これは,それを付けると透明になることができる指輪の話です。ロード・オブ・ザ・リングじゃないですが,こういう指輪を手にして,果たして君は不正を犯さないでいられるか,と問われるとその人の正義感が分かります。
これをまとめるに,正義であることよりも,不正であっても「正義らしく」思われることこそが実は理想ではないか,と問いかける訳です。
心の中は正義そのものなのだが周りに誤解されながら生きる人生と,全くの不正な輩なんだけれど,「正義らしく」装い,人に不正であると気付かれずに尊敬される生き方,どちらがいいの?後者じゃないの?と問いかける訳です。お主,なかなかの剣の使いじゃのうーと言ってあげましょう。実際にも,こういう輩はたくさんいるのです。悪い奴ほどよく眠る(同名の黒澤映画は必見ね)と言いますしね。
ここでソクラテスは,じゃあ大きな国家を例にとって考えてみましょうね,と国家の設計に入ります。
しかし,これが結構はてなマークが出る内容でもあります。国の守護者を養成するに際しては,与えられる表現や文化について規制すべきだと来る訳です(ただ,プラトンの主張は,特別な任務を負う「守護者」に対する議論なので,一部分だけではなく全体として判断する必要があります)。
あと,最近ネオコンが引用する「高貴な嘘」ですが,あれは本書からとられています。ただ,高貴な嘘を使いうるのは,あくまでも「哲人」支配者層ですから,単なる支配階層であればこれを使いうるというものではありません。特に,ネオコンの人たちは露骨に自らの経済的利益を考慮する人たちですので,これは「低俗な嘘」というべきでしょう。
「国家」では積極的に嘘をつけと推奨しているのではなく,嘘とは敵に対して使う場合,友と呼ばれる人々が狂気や無知のために何か悪いことをしようと企てている場合にそれを止めさせるために使う場合には,役立つのではないかと言っているにすぎません。
しかし,「国家」。読みやすいですが,なかなかの大作です。

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