「逆襲獄門砦」 内田吐夢監督,片岡千恵蔵,月形龍之介出演(日本,1956年)。
BSで放送されていたものを録画していたもの。すごいタイトルですが,舞台設定は幕末,倒幕の詔勅が発令後,代官として赴任した脇群太夫。倒幕派に抗し幕府に協力するために,領内に砦を築き食い止めようとする。また,非常事態ゆえとて,農民たちに新たな負担を課す。重い負担にあえぐ農民達は,ついに蜂起する。
江戸時代の村の描き方が秀逸。このリアルな江戸時代の描写も1956年だからこそ可能だったのでしょうね。馬の疾走する場面や山狩りの場面,沢を渡るシーン,島からの石の掘り出しのシーンなんかは本当に貴重だと思います。
他にも冒頭を飾るイノシシの疾走なんかもすごいですね。
映画は,遊びの要素もあり,ウィリアム・テルの話を移植した,ミカンを頭に載せた息子を弓で射ることを強いられる猟師のシーンなんかもあります。しかも,猟師は照造(テルゾウ)。
映画の主題は,連帯。山の衆,海の衆,百姓の結束によって,代官をやっつけます。 この代官ですが,幕府に忠実という意味では真面目な代官ではあります。幕府最大の危機であるからには,検地をやり直してでも年貢を新たに拠出させ,猟師には鉄砲に,漁師には舟に新たな税をかけ金を拠出させる,そう財を作る必要があるからだ。
また,薩長の進軍を止めるためには,10日以内に砦を構築しなければならない。ここは天領,幕府の直轄地なのだから,そういう犠牲は当然なのだ,つまり有事なのだ,という論理ですね。
これに対し,百姓らは非協力的です。代官からすれば「非領民」と呼びたい気持ちだったでしょう。百姓らは言います。どちらにせよ,俺らは殺されてしまう。
戦争が起これば,居住地は荒らされ稲作も普通にはできない。また,砦の構築に協力することは日常の仕事を投げ出すことになる。さらに,砦ができれば戦力として駆り出され結局は死体の山を築くことになる。
鋭い感覚だと思います。絶対的平和主義の淵源はここにあるような気がしますね。
戦争は,多くの「日常生活」を営んでいる者たちにとっては,憎むべき敵以外の何者でもありません。戦争が起これば,「日常生活」を営んでいる者には多大な影響があるのに,彼ら「日常生活」を営んでいる者が被るかもしれない損害を真剣に考慮した上で戦争が遂行された例は基本的にないのです。
生活感覚から外れた部分で戦争を煽る意見というのは常に存在します。こういう見方に対し,俺らは,食べるための糧を,自分が食うための糧を作り出すことに忙しくて,他人に暴力を振るって生きることは考えたくないという感覚は,やはり原点だろうと思います。人類を(自分を)どう養うかという問題を考えた時に,盗人が来たときにどうやってやっつけるかなんていう問題は,やはり些細な問題あるいは持てる者の悩みなんですよね。

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