
「リヴァイアサン 第2巻」 ホッブズ著,水田洋訳(岩波文庫)。
聖書における十戒と臣民の義務を対比した部分(264頁以下)は,なかなか面白い試みです。たとえば,他の諸国民の神を祭ってはいけないという部分は,臣民の義務に当てはめると,服従する国家主権は一つであるといった感じ。
安息日を設けることが,神を考える時間を確保するためだというのは,今更ながらなるほどと思いました。で,これが臣民の義務に対比されると,主権者についての教育の機会を設けよとなります。
今までも何度となく論じていますが,学校教育で国の仕組みについての教育をしっかりやれというのはここに位置するでしょうね。現代社会とかいう,邪魔者的な扱いではなく,主権者教育として,週1くらいでやるべきでしょうね。選挙の仕組みや法律の制定過程,国の政策などについての授業。併せて消費者教育なんかもやれば,消費者被害に遭う人はぐっと減ると思うけどね。
平等が上流階級でも必要な理由として,
「上流に対するこのえこひいきは,つぎのようにして,諸帰結を生じる。すなわち,放免は不遜をつくり,不遜は憎悪をつくり,そして憎悪は,すべての抑圧的で傲慢な上流を,たとえコモン−ウェルスの破壊をともなっても,打倒しようという努力を,つくるのである。」(271頁)と述べます。
格差社会になって久しいですが,こういう路線を続けると,勝ち組的な優越意識,まあ傲慢ですね,これを生じさせ,他方では憎悪の種をまくことになります。こりゃ再考の必要があるよね。
法律は簡単であれ。
「すべての語は両義的になりがちで,したがって,法の本文における語の増加は,両義性の増加」(275頁)を生む,
「その法がつくられた理由をわかりやすくし,法そのものの本文は,できるだけ,みじかくしかし適当で意味のある用語をもってす」べき(同)だって。
だよね。でも,慣習によってどんどん長く複雑に難解になっていくんですよね。個人的にはどうでもいい標語なんかを募集したりしないで,端的に「この条文をうまく短く的確に表現できる法文を募集してます」的なキャンペーンをやる必要があるんじゃないだろうか。官僚や法律家だけで「美しい」日本語ができるとは思えない。
最後は,因果応報的な次の文章で第2巻を締めくくりたいと思います。
「不節制は病気によって,自然的に処罰され,性急さは機会喪失によって,不正義は敵の暴力によって,高慢は破滅によって,臆病は抑圧によって,王侯たちの怠惰な統治は反乱によって,反乱は殺戮によって,そうされる。」(301頁)
(つづく)

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