
「歴史 下」 ヘロドトス著,松平千秋訳(岩波文庫)。
マラトンの戦いでアテネに敗れたペルシア帝国のダレイオスは,再度派兵の野望を持ちますが,果たせぬまま亡くなります。そして,本巻では,その遺志を継ぎ,クセルクセスが大軍勢を率いてギリシア連合軍とぶつかります。テルモピュライの戦い,サラミスの海戦が描かれます。
さて,ギリシアに攻めるべきか?クセルクセス(王)とアルタバノスの議論は面白いです。アルタバノスは,ギリシア侵攻には消極的です。彼は,王に意見するに際して,選択のためには異論が必要であること,金の場合にもそれが果たして本当に金かどうかを試金石で確かめるように,自分の異論も役立つのではないかと,異論の価値を説いて意見を披露します。
この異論の価値を認めるということは,いつも言うところですが,本当に重要です。
まずは,家庭で始めてみようと言いたい。
クセルクセスに意見したアルタバノスでしたが,王は,「爺は慎重すぎるぞよ,そんなことでは何も実現できないではないか。」と相手にしなかったんですが,やにわに確かに止めた方がいいなーと思い直します。しかし,夢の中に現れた男に,計画の実行を命じられてしまいます。王は,アルタバノスに止めたいんだが夢では盛んに計画を実行しろと命令されるのだと相談して,彼に自分のベッドで寝てみるように勧めます。
アルタバノスは,そんなばかなことがあるか,と寝てみるのですが,同じく夢を見て脅かされます。こりゃ,神の意志には逆らえないと一転攻撃を進める立場に意見を変えてしまいます。
結果として遠征は失敗に終わるんですが,この夢に出てきた男は一体何者だったんでしょうね。悪魔か,あるいは運命を司る神なのかという感じですね。
夢になぞ左右されるか,俺は無神論者だ!という意思の強さがあれば大丈夫だったんんでしょうが,なかなかそこまでの人は多くないでしょうね。
スパルタの気風は魅力的ですね。デマラトスがスパルタの軍を褒めたのに対し,クセルクセスは,自由放任な軍がなぜそんなに強いのかを信じられませんでした。
デマラトスは,スパルタの軍の団結した時の力はすさまじい,彼らは法(ノモス)という君主に従うのだと述べています。
盲目的な規律による団結か,自由を基調にする団結かというのは,それこそ根本的な価値観の違いがある気がします。
卑近な例でいえば,高校野球のチーム作りなんかにもいえますね。しかし,システムとして考えた場合には,一つの頭と手足といった形のシステムよりは,ヒドラのようにそれぞれが意思を持つシステムの方が底力がある気がします。これは結局,人が歯車よりもファジーな部分が大きいことの帰結でもあります(ここがメリットでもあります)。
このあたりの分析は,今後の日本を考える意味でも重要だと思うし,そのあたりの優劣についての経験も十分に経てきていると思います。しかし,教育基本法改正の議論でも出たように,未だに過度の自由はよくないとかの議論が出てくるのが不思議です(自由自体に,過度も何もないだろうと思う。それこそが自律性の欠如を前提にしていないか)。
スパルタの使者の言葉は,自由についての認識の違いの根本原因を貫きます。
「われらに対するあなたの御忠告は片手落ちと申すものです。御忠告下さるあなたは,なるほど一面のことは経験済みでおられるが,別の一面のことには未経験でおいでになる。すなわち奴隷であることがどういうことかは御存じであるが,自由ということについては,それが快いものか否かを未だ身を以て体験しておられぬのです。しかしあなたが一度自由の味を試みられましたならば,自由のためには槍だけではない,手斧をもってでも戦えとわれらにおすすめになるに相違ありません。」(85頁)
(つづく)

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