「満州事変から日中戦争へ」シリーズ日本近現代史D 加藤陽子著(岩波新書)。
本シリーズも遂に5冊目。本書では,満州事変から日中戦争へ至る経緯を海外の情勢を含め冷静に分析していきます。以前に著者の「戦争の日本近現代史」(講談社現代新書,2002.3)を読んだことがありますが,さらに進化した印象があります。
このシリーズは,割と通史的に叙述するスタイルが多いのですが,本書では満州事変に至る契機と日中戦争への流れを外交的,国際的な視点から分析,肉薄しています。
この分野は重要な分野で当然資料も豊富にありますし,これを読みこなしどう分析していくかは著者の腕の見せ所です。そういう意味では,読者にしてもある程度の覚悟がいります。
叙述の構成としては,やや分かりにくい。時系列がいったりきたりするので,読み込まないと取り残される気がします。この点は改善の余地があるかもしれません。しかし,そういった問題よりも何よりも労作であることは確かです。
日本の戦争については何となく「軍部の独走」,「戦争は悪い」,「悲惨な戦争」で通り過ぎそうですが,日本にとっては最も直近の戦争であり,今後の日本の未来を考える上ではもっと本格的な分析をし,知識を持って考えていくべきでしょう。そうでなくては,本当の平和を考えることはできない気がします。そういう意味では本書は良い足がかりです。
満州(蒙古を含んで,満蒙とも表現される)を確保することによる利益の宣伝が,政治関与を禁じられていた軍部の組織的な関与によるものであったこと,しかもこれが可能となったのは,「事実の解説並びに研究の結果」の伝達であるなら問題がないとの解釈のゆるみによるものであったことは,軍隊ないしこれに類似する組織をいかに民主的にコントロールすることが重要かを再認識させてくれます。
自衛隊が政治的な関与をしていることについては,有事の際の情報管理の研究や自衛隊に批判的な団体等のチェックをしていることや情報操作の研修の見地から偽投書がなされた事件なんかを見れば明らかでしょう。
それ自体の目的は,それなりの理由付けが可能ですが,民意による自発的なコントロールを阻害すること自体が問題なわけです。そういう見地からすると,集団的自衛権の行使を解釈改憲で可能とする方向性なんかは歴史を知らない者の議論としか思えません。
軍部の運動は,1931年8月から本格化し,各種集会,講演会に動員された民衆は48万8100名にのぼったなんていう情報に接すると,国民の好戦感情は煽動されたものであったことが分かります。こういう点を踏まえずに一億総懺悔というのはやはり問題の本質をとらえるものとはいえません。
満蒙特殊権益と列強の承認についての見解の違いは,国際情勢を冷静に判断する情報分析力の乏しさを示します。この外交的情報分析能力の欠如(これには,調査結果を尊重しないということも含む)が,当時の日本の国益という観点からでも必要な方向転換を不可能にしてしまいました。
また,地方新聞の衰退と批判の欠如の指摘も重要です。これは,海外情報や迅速な情報という点から,割負けしてしまった地方紙の衰退が政府の宣伝機関と堕してしまった大新聞のスタンスと相俟って批判的な言論を少なくしたということですが,例えばイラク戦争における情報の偏在なんかをみるとこういう事態が生じることは容易に推測することが出来るわけです。
中国との戦争による誤算も大きなものがありました。ドイツ顧問団によって強化された中国軍に日本軍は多大な被害を受けます。しかも,「参謀本部は,ソ連の動向を顧慮するあまり,現役兵率の高い精鋭部隊を上海・南京戦に投入しなかった。」(214頁)という背景事情もありました。
このことが軍紀の弛緩を生むと共に,捕虜の扱いについての陸軍歩兵学校のアバウトな指示が相俟って南京大虐殺を生んだという指摘は重要な指摘でしょう。
噛みごたえのある一冊。

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