「食ふ(くらう)べき詩」 石川啄木
青空文庫では,
「弓町より」として掲載されている,短い詩論。啄木23歳の時に書かれ,東京毎日新聞に掲載された。ちなみに啄木は26歳でなくなったから,早咲きの彼からするなら晩年の詩論という位置づけになる。
岩波の啄木詩集の解説で大岡信が触れていたので読んだのだけれど,以前にも読んだことがあるかもしれない。ちなみに,啄木詩集は父に勧められていたのですが,ようやく読むことができました。こちらの感想は後日にでも。
で,この詩論ですが,今読んでもインパクトがありますので,一読をお勧めします。
無能なぼくが乱暴に要約してしまうと,足下から詩をうたえ,という一種泥臭い宣言です。
若くして新体詩の世界を作り上げた啄木はやがて虚飾に飾られ,心の内からの慟哭のない技術による産物ともいうべき自らの詩世界に決別を宣言します。
しかし,新しさの方向性は,新体詩の方向だけにあったのか,新しさということ自体にそもそも驕りがないだろうか,詩とは一体何なんだろうか,そういう形で再び詩に目が向いていきます。
「この反感の反感から、私は、まだ未成品であったためにいろいろの批議を免れなかった口語詩に対して、人以上に同情をもつようになった。」
そして,彼の宣言は,「食ふべき詩」へと結実します。
「「食(くら)うべき詩」とは電車の車内広告でよく見た「食うべきビール」という言葉から思いついて、かりに名づけたまでである。
謂(い)う心は、両足を地面(じべた)に喰っつけていて歌う詩ということである。実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。」
これは形式主義の存在が前提になっていることに注意が必要だろうと思います。ロックで言うならば,最初のロックが段々と様式主義化して,ギターの早弾きとか決まり切ったリフで構成されるようになった時代に,パンクとかオルタナロックが,初期衝動を忘れるなとばかりに現れた流れに近いものがあるでしょうか。
啄木からするならば爺様となってしまった自分の目からすると,「啄木よ,確かにその通りだ。しかし,今度は君の指摘していたところを超えて,文化は俗悪さ,大衆主義こそそれだといわんばかりに,香の物も添加物にまみれ,手作りの香の物を見ることすらかなわくなった。しかも,どこから見ても毒々しい香の物を珍味であるかのようにアピールする時代にすらなってしまった」と嘆かざるをえません。
もちろん,自然農法で添加物も使わずに,それこそ昔ながらの方法で作った香の物が今では貴重品になって,一部の高級店や有名店からの入手や,少数の変わり者によって作られ認められてはいるけれど。
「諸君は諸君の詩に関する知識の日に日に進むとともに、その知識の上にある偶像を拵(こしら)え上げて、現在の日本を了解することを閑却(かんきゃく)しつつあるようなことはないか。両足を地面(じべた)に着けることを忘れてはいないか。」
君の言うところを正しく了解すれば,そのようなことはなかったのに,と思う。

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