「対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選(3)」 エミリー・ディキンソン著,亀井俊介編(岩波文庫)。
エミリー・ディキンソンを知ったのは,
マルコ・ベロッキオ監督の映画「夜よ,こんにちは」が,ディキンソンの同名の詩からとられているということを知ったとき。本書には,「夜よ,こんにちは」は収録されていないけれど,ディキンソンの詩50篇が原文と翻訳の対訳形式で収録されている。ちなみに,「夜よ,こんにちは」の原文は,
こちらで読めます。
名前で分かるとおり,ディキンソンは女性詩人(1830−86年)。生前,わずか10篇の詩が発表されただけで無名のまま生涯を終えました。そんな彼女ですが,死後詩の発見と共に再評価を受けます。
基本的にはコンパクトで短い詩が多いので,親しみやすいといえるでしょう。
孤独の世界を独特の感性で磨いていくその手法は鮮やかです。
「水は,のどの渇きが教えてくれる」(51頁)では,
「歓喜は−苦痛が−」(教えてくれる)と表現していますが,こういう逆説的な表現も彼女の特徴です。
67頁の,
「わたしは苦悶の表情が好き,真実なのだと分かるから」なんかもそういう部分がよく現れています。
希望を鳥にあつらえた,「「希望」は羽根をつけた生き物」(75頁)も印象的です。 「わたしは誰でもない人!あなたは誰?」(85頁)では,
「まっぴらね−誰かである−なんてこと!」と自己顕示の手段としての詩というスタンスとは全く正反対のスタンスを表白しています。
そして,静かな生活は卓越した観察眼を生み出します。「小鳥が道をやって来た」(91頁)では,小鳥を活き活きと描写し,時には,草をも描写し(「草はなすべきことがあんまりない」(95頁)),
「わたしは乾草になれたらいいのに」と結ぶ。
信仰もディキンソンの特徴の一つ。「分かっている,あの方がちゃんといらっしゃることは」(99頁)では,神の存在を予感するものの現れないその姿に対し,かくれんぼという空想を加える。
「この世界で終わりではない」(127頁)の最後の部分は力強くて気に入っています。
Narcotics cannot still the Tooth
That nibbles at the soul -
だが麻酔剤では鎮められぬ
魂を食い破る歯を
(129頁)
死についての詩としてコレクションに追加しておいてもいいなと思うのは,次の詩
That Such have died enable Us
The tranquiller to die -
That Such have lived,
Certificate for Immoratality.
あのような方たちが死んだということは
わたしたちをいっそう安らかに死なせてくれる−
あのような方たちが生きたということは,
「不滅の生」を証明してくれる。
(151頁)
彼女の真実に対するアプローチも興味深いです。
「真実をそっくり語りなさい,しかし斜めに語りなさい−」(159頁)
そんなディキンソンですが,別に暗い訳ではありません。最後はそんな詩を
A word id dead
When it is said,
Some say.
I say it just
Begins to live
That day.
ことばは死んだ
口にされた時,
という人がいる。
わたしはいう
ことばは生き始める
まさにその日に。
(161頁)

0