
「狙われたキツネ」 ヘルタ・ミュラー著,山本浩司訳(三修社)。
ノーベル文学賞を受賞した,ルーマニア出身のドイツ在住女性作家の小説。本書は,1992年の作品。
本書では,チャウセスク政権下でのルーマニアの日々が綴られる。筋立てとしては,冒頭の日光浴をする二人の女性を中心に,チャウセスク政権崩壊までを市民の視点で描いたもの。
訳者あとがきで,「もともと映画の台本をノベライズしたという成立事情」があったことが明らかにされていますが,脚本のような客観的な描写はそれが原因かと理解できました。文体の特徴としては,詩的な表現を交えた一見無関係な小話でもって紡いでいくという形式で,最初は読みにくく感じます。
前半の一向に先に進まないように感じる遅々とした展開は,独裁政権下での沈鬱な日々を読者に追体験させるかのようです。
ルーマニアでの独裁政権下での生活というと,秘密警察がいて監視され,物資も統制され,とある程度予想できるのですが,しかし日常の生活はそういう客観的な条件だけで語り尽くされるものではないのは当然のことです。そういう日常的な感覚みたいなものが行間からにじみ出てきます。それはある意味,慣れみたいなもので,どこであっても人間の営みは続いているんだという感覚というのでしょうか。
そして後半に進むにつれ,無秩序に並べられた感覚や挿話が,いつか見た景色として次第に調和していき,物語の世界を構成していきます。読者は,後にカフェが出てくるだけで,それにまつわるエピソードを思い出す。
こういう感覚は独特のものだと思います。また,同じ光景が,季節の変化によっても変わってくる。こういう物語の筋とは無関係の「情景」の効果が,本書を政治的なものから切り離しています。
政治的な状況について分析したり,まとめたりするのは実は簡単な作業ですが,それはあくまでも一面を切り取ったに過ぎず,その背後には日常の生活や光景がある訳です。そして,その日常の生活や光景ということに関して言えば,どんな政治システムであれ,実はそれほど変わらないのも事実です。
他方で,そんな日常に影を投げかける部分もある。しかし,それが一体何によるものなのか,西側諸国は「それ」から逃れられていたのか?
主人公たちのメッセージとは別にそんなことを感じてしまいました。
「この国を世界から遮断してくれるドナウ川があるおかげで,世界はずいぶん幸せな思いをしているんだよ」(ルーマニアにいるイリエの言葉,141頁)
この一文に,ぼくは北朝鮮を思った。

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