

「倫敦塔・幻影の盾」 夏目漱石著(新潮文庫)。
漱石の紀行文など小品7篇を収めたもの。
「倫敦塔」
漱石がロンドン塔を訪れた模様を描く。ただの旅行記ではなく,空想取り混ぜた軽妙な文章が小気味よい。ロンドン塔は刑場としても有名だったので,そういう空想には欠かせぬところ。一度得た新鮮な記憶を大事にしたい,という気持ちはよく分かりますね。
「カーライル博物館」
こちらは,カーライル博物館を訪ねた折を描いたもの。カーライルは,当時よく読まれたイギリスの歴史家・評論家で,未読ながら,「英雄崇拝論」や「衣装哲学」などで有名。
カーライルの作った真四角な家。屋根裏の4階の部屋は,書斎とすべく意を尽くして作らせたものであったが,夏は暑く,冬は寒いという書斎としての環境は最悪で,音にも悩まされたという。読者は漱石と一緒に見学している心持ちになれる。
「幻影の盾」
アーサー王の時代,紛争の起こった敵城にいる恋人を思う。いよいよ決戦が避けられない時,駆け落ちの画策をするも・・・。ウィリアムの有する盾には,夜叉が刻まれている。幻影の盾と言われるその盾は,先祖伝来の物で巨人との戦いで得られたものとの由縁がある。こういう翻案風の作品は漱石には珍しいのではないだろうか。
「琴のそら音」
一戸を構えた主人公,家は迷信深い老女の女中さんが守る。そんな中,友人の幽霊談に影響を受けての帰路,不気味な暗示を感じ,インフルエンザを患った婚約者の元に走る。その後の床屋談の雰囲気も面白い。本書の中でも随一の傑作であろう。
「一夜」
梅雨時の庭に面した一間の男女3人の夕べを描く。3人の会話や虫の動きで,じっとりと緩慢な時間の流れを表現している。
「薤露行」
「かいろこう」と読ませる。アーサー王物語の,漱石版の書き直しともいえる作品。アーサー王の円卓の騎士の一人である,ランスロットは,アーサー王の妻,ギニヴィアと恋仲にある。出遅れた戦場へ向かう途中の岡で求めた宿で出会った少女エレーンは,ランスロットを想う。叶わぬ恋に身を焦がす,エレーン。
「趣味の遺伝」
待ち合わせのため,新橋の駅に行き,老将軍の凱旋に行き合う主人公。凱旋の雰囲気に酔いながら,ある軍曹を年老いた母親が迎える姿を目にする。そこで,同じく戦地に赴いて亡くなった浩さんを思い出す。そんな浩さんの墓にうら若き女性が礼拝している姿を発見する。
一体誰であろうという好奇心も加わって,浩さんの年老いた母に会い,日記を借り受けることになる。その後の探求も含めて,探偵まがいの活躍が見られる。漱石の戦争に対する視線を覗くことができる作品。
自分の中での漱石のイメージを拡げることに役立った一冊でした。

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