さて,前回述べたように,表現の自由は,一般に民主政の根幹に位置するものとされ,人権の中でもその制約については,厳格に判断する必要がある。
今回のビラ配り事件が,住居侵入を構成するとの実務が確定するなら,ビラ配りという表現行為は著しく制限される。
表現行為であっても,例えば風俗店のチラシを配ることを規制するというのであれば,経済的表現活動なので比較的コンセンサスは得られやすいだろうと思う。
しかし,一旦表現の自由,特に本件のような政治的な表現につき規制を始めると収拾がつかなくなる。
結局,多数派に位置している時は不都合を感じないかもしれないが,少数派に回った時にどうやって多数派に訴えるのか(ビラを配るのは,大抵が有効な表現手段を持たない少数派である)。
表現行為を通して,民意を形成するということ自体が困難になりかねない。
また,それだけでなく,こういうことを許していると社会自体がヒステリーな状況を呈してくる。
12月23日は,共産党のビラ配りに関し住民が捕まえ,警察に引き渡すという事件も起こっている。
果たして,おれのもやってくれと皆が言い始めた時に警察はこれを全部取り上げていくのか,本気でそんなことするなら,警官がいくらあっても足りない。
また,世の中にはもっと重要な事件で十分に捜査のされていない事件がたくさんある。こういった事件をすべて検挙することにしたら,警察の志気が下がるのは目に見えている。
前回も述べたが,自分の気に入らない意見で受容できないなら,無視するか反論するのが筋であって,目の前から消えてくれというのは安易すぎる。
もしも態様があまりに悪質であるというなら,民事で争って損害賠償請求でもするのが筋だ。
(つづく)

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