
「
メディア・コントロール
」 ノーム・チョムスキー著(集英社新書,2003)。
言語学者にして,平和のために積極的に発言を続けるノーム・チョムスキー。以前に買っていた本書をようやっと読むことができました。イラク戦争前に書かれたものなので,ちょっとタイムリーさは失われたけれど,チョムスキーの知識人としての頑固さが伝わってきて面白かったです。
全くの印象論だけど,日本でいうところの久野収さんという位置づけですね。
冒頭,現在の民主主義がなるべく情報をコントロールするという方向になっているということを枕に,知識人の役割を問うていきます。辺見庸との対談が最後に載せられているけれど,そこで,辺見が圧力を受けていないかと尋ねたことに対し,全く受けていないとけんもほろろに斬っています。
これは,「圧力なんて感じてやっていられるかーアホ。世界でもっと困難な状況で発言し行動しとるやつが,ぎょーさんおるんやでー。」(例の如くかなり脚色入ってますが)というチョムスキーのメッセージです。
人間,一線を超えると自由になります。しかし,この自由さをなかなか得られない。なぜか?それは知識人も,いわゆる「支配層」の仲間入りをするためには,「しつけ」「マナー」を心得ていなくてはいけないからです。遠くの人たちよりも,近くの「偉い人たち」。干されるよりは,「勝ち組」に残りたい。だって,まかりなりにも知識人になるために努力してきたんだもんね。
こういう心理が働き,発言は鈍くなっていく。少しでも社会的な発言や権力にたてつく発言をすると「抑圧」を感じるとなる訳だ。
そこで,チョムスキーは「知識人」をそんなに信用しない。結局は,失うもののない生活者が一番まともなことを言っていて,それが少しづつ社会を動かす。なぜなら,彼らは「それ」によって一番直接的な影響を受けるからだ。
でも,生活者には余裕がない。遠い国のことは分かりにくいし,複雑なことを突き詰めて考える時間の余裕がないし,関心も持ちにくい。
と,出発点に戻ってくる。知識人が発言しなくてどうするの?と。

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