きょうは
小中学校の
2学期終業式で明日から
冬休みに入る。
娘も明日からは暇を持て余していることだろう。終業式と言えば昔から
通信簿が付きもの。筆者が
小中学校の頃は、成績の中身はともかく、学校から帰って来ると直ぐに仏壇に通信簿を供えたものだ。
娘と言えば、通信簿の
話題はおろか見せようともしない。
女房も
グルになって話題にも出さないようにしている様子である。
仕方がないので、きょうは
エンピロの
「通信簿」をブログネタにしよう。実は10年ぐらい前だったと記憶するが、
おふくろから筆者の
通信簿を渡されたのである。
おふくろが長い間大事にしまっておいたものだ。
小学校1年から
高校3年までの
12年間の
通信簿が全部揃っているではないか。親にとってみれば、そのくらい学校からの
「通知票」は
大切なものだったのだろう。こうして揃っているということは、まさしく
「お宝」である。
古い方から眺めて行くと、当時の
担任の先生や担当の先生の顔が浮かんでくる。それに
小学校時代の懐かしい思い出も蘇って来る。
中学校の
通知票を見ていると、
「右肩上がり」の激しいものが目に留まった。総じて余り褒めた成績ではないのだが、今で言う
「リベンジ」を果たしているものがあったのだ。
小学校時代、主要教科の「国語」「社会」「算数」「理科」で「3」を取ったことは1度もなかったのだが、
中学校2年の
1学期に
「数学」が
「3」だったのである。ろくな勉強もしていないのだから、
それなりの成績だったのだろう。しかし、
未体験ゾーンの成績をとったのだから、当時
ショックがなかったはずはない。
2学期はちょっと
奮起したようで
「5」になっていたのである。一方、気を許したわけではないが、2学期では
「理科」が
「3」になってしまったのだ。
3学期は少し踏ん張りを見せたようだが、さすがに
苦手の
「理系科目」だけに
「4」に留まったようである。
さらに、
3年になって今度は
「国語」が
「3」ではないか。
担当の先生が変わったこともあり、
馴染みがなくやや
主観が入ることもあるから仕方がないところか。しかし、ここでも踏ん張ったようだ。
2学期は
「5」を取って
リベンジを果たしているではないか。実に3回のうち、
2回までが
「2階級特進」を果たしたことになる。
「2階級特進」は
警察官と
消防士が
殉職した時しかもらえないものだ。
駅伝競走を見ていると、
「○○が○区で何人抜きました。従来の記録を更新しました」とかをよく耳にする。正直なところ、あれも
上位を走っていては達成できないのである。
「おいしい見せ場」を作るには、
下位に位置することが必要なのだ。(おぃおぃ)
「どうして最初から頑張らなかったのか」と言われそうだが、もともと
勉強熱心でなかったから仕方ないところだろう。ただ
「やればできる」「努力が実を結ぶ」という
見本にはなると思う。そんなことを話しても、全く聞こうとしない
娘には
「馬の耳に念仏」あるいは
「暖簾(のれん)に腕押し」と言うことばがよく似合う。
小学校から高校までの12年間の通信簿。ちなみに
12年間「皆勤賞」である。
2階級特進を見せた2学年時の
数学の評定
3から5に上がった3学年時の
国語の評定

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