前夜は早めの就寝となったので、
起床も
午前5時と早い時間となった。それよりも早く起きている同僚がいる。朝風呂を浴びた後、
バイキングスタイルの
朝食を摂ったが、相変わらず
食欲は旺盛だ。肉系は控えたが料理の内容はまずまずだろう。朝食後、
奥入瀬渓流ホテルの
裏庭に回り、
奥入瀬川を眺めてきたが、
奥入瀬渓流は急流がないところが特徴かもしれない。
ホテルを
8時30分に出発し、一路
八甲田山麓の
ブナ林を進み、
八甲田ロープウェーに到着した。頂上に到着すると
大パノラマを満喫した。これほどまでに
青森県の縮図を眺める感覚に陥る場所はないかもしれない。
エンピロの
要望で帰り時間を当初の予定より
20分延長してもらった。素晴らしい景色をもっと
写真に収めておきたいところであった。
ロープウェーを下って、バスは青森市街地方面へと下って行く。途中
酸ケ湯温泉脇を通過して行った。ここは
ダキさんの
おすすめスポットでもある。今回のコースは休憩時間にも入っていないため、
車窓から
写真を撮って我慢した。
次の目的地は
「青森ねぶたの里」である。へんぴなところに建っている施設と思っていたが、間もなく
新青森駅まで開通する
東北新幹線の
高架橋がすぐ脇に開通を待っているようであった。
ねぶた祭りも
30年前に見たことがあるだけで、その後はお目にかかっていない。生の迫力を味わうことはできないが、ここであの大きな
山車を見ることができるのだ。
本物のねぶた祭りを見た
同僚も少ないようで、喜んで
山車を引っ張ったり、
「ハネト(踊り手を言う)」になって踊ったりしながら
祭り気分を楽しんでいた。
八甲田山と言って、まず思い浮かべるのが
「八甲田山雪中行軍」だろう。映画にもなり、かなり話題にもなった。最後の見学地となる
「八甲田山雪中行軍遭難記念館」を訪れた。ここを訪問する前に、昨年訪れた
鹿児島県の
「知覧記念館」を思い浮かべてしまった。
お国のために若い命を落としたことが重なったからだろう。訓練中の
遭難とは言え、当時の
戦争犠牲者に変わりはない。
最後は、
青森新鮮市場での昼食である。回りを見る限り、それほど食欲があるわけではなさそうだ。昼食の部類ではあるが、食事の中身を見る限り、かなりの
値段はするだろうと思った。市場ではあるが、魚系のみやげは要らないと言われていたので、買い物は
「たらこ」のみに抑えた。
午後2時に青森市を後にしたが、あとは
会津に帰るだけとなった。帰りもバスの中で延々とカラオケや酒盛りが続く。エンピロもだいぶ酔いがまわり、休む時間が多くなってきた。
午後8時過ぎに会津に
到着したが、
女房に迎えにきてもらい無事我が家に着いた。最後にこの場を借りて、楽しい旅行をお膳立てして頂いた
ドライバー、
ガイド、
添乗員の方々及び
職員会役員並びに同行した
参加者に感謝を申し上げたい。

バイキング朝食。エンピロは朝から食欲旺盛。

ホテル裏側の奥入瀬川

宿泊した奥入瀬渓流ホテル

ロープウェー山頂から眺める岩木山と津軽平野。

右手には青森市内や陸奥湾、津軽半島、下北半島が一望できる。

山頂で見つけた可愛い花。
山頂で見つけた?可愛い女性たちとパフォーマンスを見せる同僚。

八甲田山を下って行くときに車窓から撮影した「酸ケ湯温泉」
中間点では上りのロープウェーとすれ違う。
「青森ねぶたの里」では生の笛の演奏を聞かせてくれた。可愛い師匠も登場。
山車を引っ張る参加者
にわか
「跳人(ハネト)」になって踊りを楽しむ同僚。
ねぶた運行体験ショーに参加して頂いた
認定証。

青森新鮮市場での昼食。刺身、焼き魚もお腹いっぱいで満腹状態。
「しゃべりません」の
ワッペンを張られる参加者もいた。
エンピロだって?

立ったまま亡くなった後藤伍長の雄姿。「八甲田山雪中行軍遭難記念館」にて。
【訂正】6月30日
後藤伍長(後藤房之助)は立ったまま亡くなったのではなかったようである。
立ったまま凍死寸前のところを助けられたと言う。その後、出身地の
宮城県栗原村に帰郷し、両手両足を切断したにもかかわらず、議員を務めるなど、活躍したと伝えられている。

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