新木場駅から地下鉄
有楽町線に乗り、途中で乗り換え地下鉄
銀座線で浅草に向かうことにした。この有楽町線は
乗換に意外と
不便な路線である。
単独の駅が多く乗り換え駅が少ないということだ。このことは龍の親父さんも承知していたようで、
「銀座一丁目」が他の路線の
「銀座駅」と乗換できないため、
「永田町」まで乗り、銀座線の
「赤坂見附」で乗り換える
(所用時間約8分)ことにした。これが後々まで時間に追われる結果となってしまったようだ。
230円の切符1枚を買ったのはいいが、
160円区間を
2回買った方が早く浅草に到着できたようで、これは後の祭り。
浅草駅に向かった大きな理由は
、東武伊勢崎線(東武浅草線)の「業平(なりひら)駅」が前日の3月17日に「東京スカイツリー駅」に名称が変わったことにある。龍の親父さんから、
「ブログネタの為には『東京スカイツリー駅』の写真が必要だろう」という粋な計らいがあったのだ。当初筆者は
半蔵門線に乗り換えて
「押上駅」に向かおうとしていた。これからも時計とにらめっこの移動が続く。
浅草は
仲見世を始め、どこに行っても、人、人、人の波である。
東武線は
栃木・埼玉県方面からやってきたと思われる客で満員。
東京スカイツリーを立てた
東武鉄道だけでなく、周りの
経済効果は計り知れないものがありそうである。5月に行なわれる
浅草神社の
例大祭・三社祭の前祭りとして、54年ぶりに再現された
「舟渡御(ふなとぎょ)」を電車の窓越しに見ることができた。東京スカイツリーだけでなく、このお祭りを目当てにやって客が加わり、
隅田川添いは大勢の
観光客でにぎわっていた。偶然とは言え、おめでたい
舟渡御を見ることができたことは、何か
ご利益があるのかと思ってしまった。時間的余裕が全くなく、
東京スカイツリーの
遠景を撮影することができなかったのは心残りであった。
浅草で
おみやげを買うことにした。僅かな時間を利用しての買い物タイム。自宅と職場に
人形焼きを買い求めた。いや、
自宅分のおみやげは龍の親父さんが買ってくれたのだった。昔から人形焼きは有名だが、それほど美味しいと思って食べたことはなかったが、家に帰ってから食したところ、とても美味しかったのには驚いた。やはり
店によりけりだろうと思ってしまった。また、
東武浅草駅では
「業平駅」から
「東京スカイツリー駅」に変更になった
「記念ストラップ」が販売されていた。時間に追われ余裕がなく、女房と娘へのみやげとして
2個買い求めた。
食事をする暇もなく地下鉄
銀座線に乗り込み、
赤坂見附で
丸の内線に乗り換え
新宿駅には
2時30分前に到着した。
ロッカーから
バッグを出してから、筆者は高速バスの出発場所である
代々木駅まで行くが、
龍の親父さんは
小田急線に乗って自宅へ帰るので、ここで別れることになった。
4月末に
帰省する際に再会を誓って手を振って別れた。
山手線に乗り
代々木駅で降りて、案内板に従い
JRバスターミナルに無事到着した。昼食をとっていなかったので、近くのコンビニで
おにぎりや
ツマミを買ってバスの出発時刻を待つことにした。
バッグを床に置いて一息入れようと思ったときに、とんでもない
「忘れ物」に気がついた。
龍の親父さんにわざわざ持っていったおみやげを渡さずに持ち帰ってしまったのである。ロッカーに入れた時に、バッグと別にしておけばよかったのだが、バッグに入れたままだったのと、慌ただしい時間を過ごしていたために気が付かなかったのだ。楽しみにしていた食事をとることもなく、
ビールで
乾杯もできずに別れてしまうことになり、
ガッカリしていたところへ
追い打ちを掛けるような
大失態であった。龍の親父さんへすぐに
お詫びのメールを送った。同時に、
龍の親父さんからは新宿駅構内で
ビールを飲みながら一息いれている
写メールが送られてきた。
都内交通渋滞のため、出発が遅れる旨の放送があったが、折り返し便のバスは、ほぼ
定刻に出発した。おみやげは自宅に帰ってから
宅配便で送ることにした。久しぶりに会って
5時間にわたり、お伴をしてくれた龍の親父さんと食事も乾杯もできなかったが、楽しい時間を過ごすことができた。車内では
週刊紙を読みながら
缶ビールを飲んで会津に向かった。バスは予定よりもやや早い
午後7時10分に
会津アピオに到着した。迎えに来ていた
女房の車に乗り、
ブログネタになりそうな
「みやげ話」をしながら自宅へと向かった。この時点では、女房から借りた傘を忘れてきたことに気付いていない。

時計を眺めながら分刻みの移動になる。

隅田川河畔には大勢の見物客が見える。橋の上も満席? スカイツリーの見物だけではないような…。
「業平駅」から「とうきょうスカイツリー」へと名称が変更になった。「業平駅」は開業以来、100年以上の歴史に幕が下りたことになる。
スカイツリーが高いので、近くでは一部しか撮影できない。後ろの少年がカメラを意識している。
龍の親父さんの全身像。スカイツリーの大きさが一目瞭然。

どこに行っても、架線が邪魔をしてうまく撮影ができない。

駅のホームの端の方に行って撮影。今度は第2展望台と塔の先が見える。

列車案内板も「東京スカイツリー駅」に変更されている。

神輿を担いで舟で下る「舟渡御(ふなとぎょ)」が行なわれていた。これでやけに客が多いことが分かった。電車の窓から撮影。
浅草の仲見世商店街通路はどこも満員御礼。
JR高速バスターミナル。以前は南新宿であったが、いつの間にか変更になっていた。

代々木にあったDocomoタワー。こちらも相当高い。
羽生PAで休憩。駐車場はたくさんの車で賑わっていた。

龍の親父さんに渡すはずだった「おみやげ」。帰りのバッグが重い。

浅草で龍の親父さんに買って頂いた紀文の「人形焼き」と代々木で買った「東京ポテト」。

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