このほど、
告別式で
同僚の死を悼み、
職員会会長として
弔辞「お別れの言葉」を捧げる機会があった。遺影に向かって語り掛けてきた内容は次の通り。
○○課長 エンピロです。どうして今ここに私が立っていなくてはならなくなってしまったのでしょうね。私は今まで、応援弁士や仲人挨拶、PTA会長としての卒業式や入学式での祝辞など、何十回も挨拶する機会はありましたが、お別れの言葉は経験がございません。喪主の挨拶と弔辞だけはやりたくないとずっと思ってきました。式場の入口のところには、バイク、ボウリングの玉、弓道の袴などが飾られていて、改めて幅広い交際と活躍ぶりを感じ取りました。それらを眺めていると悲しみが一層強いものとなってしまいますが、きょうは職員会会長として、思いつくままにお話をさせて頂きたいと思います。
あんなに元気だった○○さんの突然の訃報に接し、同僚一同大きなショックを受けました。ここ数日は悔しくて残念で飯が喉を通らない、気になって眠れない職員が多かったかと思います黙々と仕事をしてはいますが、○○さんの死が信じられず、在りし日の○○さんの姿を思い浮かべている毎日でした。私も○○課長の机を眺めては毎日手を合わせていました。先ほどの△△△の弔辞にもありました通り、○○課長の人と成りについては、今さら私が申し上げるまでもないことかと思います。ご参列頂いている皆様がよくご存じでいらっしゃいます。温厚篤実で、面倒見のよい人柄は、職場では男性からも女性からも絶大なる支持を受け、人も羨むほど慕われていました。私も30数年間仕事に就いてきましたが、後にも先にも、これほど信頼され慕われた職員はいなかったと思います。○○さんはナンバーワンです。自信を持って言えます。
メカに滅法強く、メカに疎い私にとっては憧れの的でした。いつの日か、バイクを全部バラバラに解体して、最初から組みたてた話も聞かせてもらったことがあります。○○君が「最後にネジが2個余ってしまってよ。でも問題なく走ったけどな」と笑いながら話していたのがつい昨日のような気がしてなりません。私も長らくマツダの車に乗ってきましたが、○○君もロータリーエンジンのRX7などを乗り継いできました。たまたまマツダの車屋で一緒になることもあり、居合わせた女房が「○○さんって感じがいいよね」と喜んでいました。私は「そうだよ。ちょっとしゃべって顔を見ると、大概その人がわかるからなあ」と誇らしげに答えたものです。
この度の訃報を女房が実家に伝えました。実家の兄貴が長らく××××(役職名)を務め、今も××(役職名)として、××地区を受け持っていた○○さんとは仕事上のお付き合いがありました。訃報を受けて家族揃って愕然としてしまい、女房のおふくろは「○○さんはいつも礼儀正しかった。そして穏やかに話し掛けてくれた。○○さんが好きだったおら」と涙ながらに話していたそうです。このように、職場だけでなく地域住民、農家の人からの信頼度も絶大なるものがありました。
平成13年に職場でボウリングクラブを発足させて以来、私が初代会長を務め、その後10数年間一緒に楽しい時間を過ごさせてもらいました。全会津職域対抗戦ではチーム名に職場の△△△△△の名前を冠に付けて、職場の知名度アップに貢献したと思っています。交流を深めてきたボウリング仲間も新聞で訃報を知り、大きなショックを受け嘆き悲しんでていることと思います。ボウリングではフックを掛けて玉を曲げることも必要ですが、私と○○君は性格が似ていて、曲がったことが嫌いであり、気持ちはいつもストレートでした。
平成7年に開かれた福島国体では会津が弓道の会場となりましたが、○○君は大会成功のためにとスタッフとして活躍をしていました。その後も各種大会で先頭を切って後輩の指導をしてきました。職場でも弓道愛好会のサークルを作り、メンバーと楽しい時間を過ごしておりました。私は弓道をやりませんが、ある夜、的を作っていた○○君に「的の真ん中の黒いところを図星と言うんだよね」と話し掛けると、○○君が「さすがはエンピロさん。その通りです。図星ですよ」と笑ったものです。私のつまらない親父ギャグにもすぐに反応してくれていました。
私は持病があり、毎月定期通院していますが、○○君も同じ病院に通っていたこともあり、ばったり顔を合わせることもありました。看護師さんを通して「自分の体は自分で管理するしかないよなあ」などとお互いに慰め合って話していたことが懐かしいです。○○君はアルコールを摂らないできましたが、私は365日休肝日なしの酒浸りの毎日を送っています。酒を控えてきた○○君が病に侵され命を奪われてしまうとは皮肉なものです。
本日は会場に職場の同僚、OBが大勢参列しています。参列したいのは山々ですが、涙を飲んで事務所で留守番をしている職員もいます。きょうは私が代表してみんなの思いを込めライブでお伝えさせていただきました。冒頭でお別れの言葉はやりたくないものと話しをしましたが、これほどまでに信頼され、親しまれ、慕われてきた○○さんの弔辞をする機会ができたことは光栄であり、誇りに思っています。
最後に、大黒柱を失い悲しみのどん底に突き落とされたご家族の気持ちは察するに余りありますが、これからは家族みんなで手を取り合い、支えあい、そして励まし合って、一日も早く元の明るい生活に戻られることをご祈念申しあげ、お別れの挨拶とさせて頂きます。
○○課長、○○君、○○さん、○ちゃん、ありがとう。
平成27年5月
○○○○○○○職員会 会 長 エンピロ
式の進行の妨げになってはと思いながらも、
10分間にわたって延々と
お別れの言葉を語り掛けさせて頂いた。筆者は原稿読みの挨拶を得意としないので、今回も
LIVE(ライブ:実況中継)で挨拶をさせてもらった。弔事の中でも触れたが、選挙での応援弁士や仲人挨拶、新入生保護者代表挨拶、PTA会長としての卒業式や入学式での祝辞、喪主挨拶などすべてライブで挨拶をしてきた。
生のスピーチ・挨拶はより思いが伝わる。
この場を借りて、偉大な存在だった○○さんに哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。

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