22日(火)から
稲刈りを始めた。親父が
コンバインを自宅前に持ってきたが、
稲送りチェーンを見ると、
注油も万全で問題はない。しかも
バッテリーの
マイナスターミナルを外しておいたので、エンジンは一発で掛かったはず。朝方は
ヒエ抜きをしていたが、
圃場が柔らかく稲刈りは難しいと判断し、午前中は1km離れた圃場の
稲起こしと
ヒエ抜きをしていた。昼近くになり、家に戻ってきた時に、
予想した通りのことが起きていた。
親父が一人で
稲刈りを始めていたのである。案の定、コンバインが動かない状態で、
親父が詰まった
稲を除去しているところであった。外回りのコンバインの通過したところは
ぬかるんだ状態である。
午後1時に
昼食をとり、
午後2時過ぎから作業を
再開した。その後は柔らかいところがなく、刈取作業は順調に進んだ。例年の通り、
親父が
オペレーターで、
エンピロは
JAの
カントリーエレベーター(CE)にモミを
運搬する役目。
大発生した
ヒエに
栄養を吸収されたこともあり、
豊作だった昨年に比べモミの量はかなり少ない。
午後4時を回ったが、親父はコンバインで遠くにある圃場に向かった。こちらの圃場は
稲起こしを施しておいた場所。稲起こし作業をやったことは先の記事でアップした通りであるが、思いのほか圃場の
足場はよかった。
お茶と
パンの
こびり(小昼の意)を用意して行き
一服するように声を掛けたのだが、素直に聞き入れようとはせず、親父は休まずに
稲刈りを始めた。親父が休憩している間に
角刈りをやろうと目論んででいたのだが、当てが外れてしまった。
角刈りをせずに、コーナーを斜め刈りをすると、稲を踏みつけるのが目に見えている。
大型コンバインのようにうまく行くはずもなく、案の定、踏み潰された
稲の
手刈りを余儀なくされた。さらに、
刈り上げ部に詰まった
わら屑を取り除かないまま作業を進めていたので、
刈り残しも当然ながら発生する。
6aほどを残し、
夕方6時前に最終の
モミを運搬してこの日の稲刈りは終了した。ちなみに、
CEの受付は
午後6時までとなっている。
23日(水)は前日の残り分を刈り取った。
午前10時過ぎに
親父に確認したところ、
「稲が倒れているので、すぐには稲刈りはやらない」とのことだった。
エンピロは
コシヒカリの倒伏した別の圃場で
稲起こしをやることにした。やがて
軽トラックが見えないので、稲刈りをやる圃場に向かったところ、
親父が一人で
稲刈りをやっているではないか。稲刈をやるのかやらないのか確認したにも拘わらず、きょうも一人で始めていた。親子の
意思疎通が図れないのは決して珍しいことではない。
2日間で
50aの
「ひとめぼれ」の稲刈りが完了した。
一般の
コシヒカリは
9月28日から
カントリーエレベーターの
受け入れが始まる。コシヒカリの
特別栽培米に至っては
10月10日にならないと、受け入れが始まらないという。35a分の
エココシヒカリと
保有米稲刈り及び
籾摺りを終えてから、
特別栽培米の
58a分に取り掛かることになる。

詰まった稲を取り除いている親父。かなりの時間を費やしていた。

一部の土壌が柔らかく、コンバインが埋まりそうである。当然ながら刈り残しが発生する。

地盤が固いところは稲刈りが順調に進む。

軽トラックの荷台にあるフレコンパックに刈り取ったモミを入れる。長い筒をオーガと呼ぶ。

夕食はビールで乾杯。次に日本酒。そして芋焼酎…。

おでんもおいしい季節になってきた。
【9月23日撮影】

別の圃場に移って稲刈りを再開。倒伏した稲が何箇所もあり、稲刈りにロスタイムが生じる。2つに分けて稲刈りを試みる。

親父が誤ってオーガを動かしてしまい、道路にモミを撒いてしまった。

ビールの次は「八海山」で乾杯。

23日は「お中日」。女房は昼に天ぷらを揚げた。

晩のおかずは天ぷらがメインとなる。

お中日にちなみ、紫黒米を入れて炊いたごはん。茹でた栗をトッピングした。

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