22日(木)は父が亡くなって
三七日(みなのか)に当たる。ここ
会津では、
初七日(しょなのか)、
二七日(ふたなのか)、
三七日の前日(前夜)に
「歌詠み」なるものが行われる。これは、近所の方々が集まって
「会津三十三観音御詠歌」を祭壇の前で歌うもの。ただし、会津と言っても広く、地域によって
風習・しきたりの違いがあり、一概に同じだとは言い切れない。ここで書いてあることは、筆者の住む地域で行われていることとお断りをしておきたい。
亡くなった日を含めて
7日目が
「初七日」である。
親父が亡くなったのは
6月2日なので、
初七日は
6月8日となる。
8日に父と親しくしていた
「ふれあい学級」の方たちが集まった。
曹洞宗の
御詠歌と
会津三十三観音の
歌詠みで
初七日供養をして頂いた。
親父が生前、
「オレが死んだときは御詠歌をあげてくろ」と話していたらしく、約束が実現したようだ。その後、ささやかな
お昼の
もてなしをさせてもらった。親父は
交際範囲、
行動範囲が広く
話題提供には欠かせない人だったので、いつになっても親父の話題が尽きない。
親父も
おふくろも、人への
もてなし・振る舞いが好きであった。我々家族や親族も最後の
歌詠みは
「ご大儀振る舞い」をしたいと思っている。告別式に至るまで、告別式が終わってからも、最初から最後まで一生懸命に
お手伝いをしてくれた方々に
感謝の気持ちを伝えたいのは当然である。
三七日の歌詠みは22日(木)
午後7時から行われた。
「番外」も含めて、
会津三十三観音の
歌詠みは大体30分近く掛かる。独特の節回しであるが、これも地域によって
「音程(節回し)」がわずかに違う。
楽譜ではうまく表現できないかもしれない。歌詠みが終わるとすぐに
飲食の振る舞いが始まった。
「最後の晩餐会」を思わせるほどの
料理が、ところ狭しと並んだ。
女房は午後
職場の休みを取り、腕に縒りを掛け
料理を作った。
妹も
料理を作って持って来てくれた。
エビの太巻きと
カツサンドは注文したものだが、残りはほとんどが
手作り料理である。さらに、
T叔母が
笹巻を作って持ってきてくれた。
供養とは思えないほど賑やかに
会話が弾んだ。楽しいことが好きで、
16名の方が集まってくれたことに
親父もさぞかし喜んでくれたことだろう。
【6月8日初七日供養】

「曹洞宗御詠歌」と「会津三十三観音御詠歌」を捧げる。

Yさんが曹洞宗御詠歌で美声を披露してくれた。

告別式に利用した親父のスライドショーを眺め、親父を偲びながら歓談した。祖父も話題に出てきて大いに盛り上がった。
【6月22日三七日供養】

会津三十三観音御詠歌を歌う。

18名(エンピロ夫婦含む)が集まり賑やかに行われた夕食会。

麩の甘辛煮。妹の自慢料理。

妹が作ってきた「えご」。羊羹ではない。

フルーツヨーグルト。

女房特製のコーヒーゼリー。

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