ちょっと前のことですが・・・
11月23日に海獣さんらとヤンマタケ調査をしている時のこと。
うちの奥さんから電話が・・・
「今、テレビで日高先生が亡くなったってやってわよ」
!!!
日高先生とは、日高敏隆先生のこと。
私にとってはあこがれの人だった。子供の頃、ぼろぼろになるま見ていた昆虫図鑑の著者だか監修だったのが日高先生だったので、子供ながらに名前を覚えてしまった。そして、肩書きが「東京農工大学」と書いてあったのも覚えていた。
まさか、自分がその大学に行くとは思ってもみなかったけど、私が大学に入った時には、日高先生はすでに京都大学に移ってしまっていた。
先生の農工大時代には、先生にあこがれて、受験した虫好きもかなりいたと聞いている。
そんなあこがれの存在だった先生に会うことができたのは、梁川町の校舎のない学校で講演会をやったのがきっかけである。
講演会は1996年11月30日のこと。
誰からだったか、地元に勤めているので講演会のスタッフとして手伝ってくれないかと言われ、二つ返事で引き受けた。
最初の準備委員会で、これまた衝撃的な??出会いが・・・
アリタケさんである。アリタケさんとはこのときからのおつきあい。
日高先生の講演会がなく、アリタケさんとも出会わなかったら、このブログもなかったかもしれない。
このときは講演会のあとの懇親会、そして土湯・川上温泉での宿泊、と先生と一緒に行動し、いろいろと話をすることができた。
あとで日高先生をよく知る人にこの講演会のことを話したら、とても驚いていた。
「私だったら、とても先生を呼んで講演会なんて考えられません」
つまり、それだけおそれおおく、すごい先生だということらしい。
そんな無謀?なことをやってしまうのが、梁川の人のいいところでもある。
その後、昆虫学会でお会いした時も、ちゃんと覚えていてくれて、とてもうれしかった。
滋賀県立大学の学長の時、アポなして学長室に押しかけた時も、ちゃんと会ってくれた。
昨年、福島にも来てくれたコスタリカのニシダさんの所に、脳科学者の茂木健一郎と行った時の茂木さんとの捕虫網を持ったツーショットの写真はまさに昆虫少年そのものだった。
今年の年賀状でも、コスタリカのニシダさんとの出会いを書いてあったため、てっきり元気だと思っていただけにショックである。
先日訪問したS大のH先生もショックを隠せなかったようだ。
梁川に先生が来た時のことが懐かしくなって、当時のビデオを再生してみた。
今から13年前・・・ということで、先生も若々しい。
誰からも愛されていた偉大な昆虫学者がいなくなってしまったのは本当に残念。
心からご冥福をお祈り致します。

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