2012/2/29
「温かくなるかなぁ…」
っちゅう兆しを感じたから
っちゅうワケでも無いケドも
ええ加減、髪が立たん様になったさかいに
美容院に行って、カットしに行った。
比較的気温が高かったっちゅうコトもあるやろうが
短くしても寒さを感じん様になった。
その足で、ジムに行った。
いつもより早めに入れたさかいに
しっかりとカラダを動かせたんやケドも…
「あ〜しんど…」
"過ぎたるは及ばざるが如し…"
っちゅうよりも、確実に忍び寄るモンが…(焦)
まだまだ、まだまだ!

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投稿者: GAMMY-SOSA
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2012/2/28
本来、二月の終わりとなるこの日。
昨年のこの日
「一生忘れるコトは無いで在ろう…。」
っちゅう様なツラい出来事があった。
それから一年、振り返ったら
精神的に乗り切るのが想像以上にキツかった。
もちろん、笑う時はシッカリと笑えるし
喜ぶ時はカラダ全体で表現してまうっちゅう
本来のワシっちゅうのは変わるコトは無い。
せやケドも、ふとした時に
"精神的支柱"を亡くしたコトの痛烈さが
バケツで水をぶっかけられた様にココロに響いてた。
同じ仕事をしてたし、比較的通年カオを合わし
なんかあったら、気軽に電話を掛け合うてた。
せやケドも、毎日毎日四六時中…っちゅうワケや無い。
仕事を離れたトコロやと、他のライダーさんとの方が
カオを合わせるコトの方が多かったハズである。
根は、ヒトに素直に頼るし、その分、ヒトの面倒見も好かった。
その反面、"キライ"と思たヤツには絶対媚びんし
会話をバッサリと遮る程、露骨に嫌悪感を示す程やった。
ワシとも、ケンカをするコトもあった。
年上ではあるケドも、ワシも引かんかったし
なんせ、引くコトを彼が希んでなかった。
ワシのコトを、どない思てたんかは
気にしてた時期もあったケドも、敢えて無関心を通した。
せやケドも、いろんなヒトから心配して貰たし
コトバを掛けて貰た。その中にはワシよりプライベートで
カオを合わしてたと思われるヒトからのモンもあった。
「お前のコトは結構、気に掛けてたよ。」
そのコトバを聴かされた時は、込み上げるモンがあった。
せやケドも、メソメソ… イジイジ…としとれん。
「亡くなったヒトも大事やケドも
我がが生きとるウチは生きとるモンの方が大事やろ。」
彼が生前クチにしてたコトバである。
ワシも悪いケドも、そないさせて貰て来たし
そないして行くつもりである。
そうは理解ってても、ツラいモンはツラいし…
なんせ、ココまで寂しいモンやとは思て無かった。
悪いケドも、ワシはまだまだ我武者羅に生きて行くつもり。
あんさんの分も、あんさん以上に
これからも我武者羅に生き続けて行くつもり。
大丈夫。忘れるワケ無いさかいに…。

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2012/2/27
寒いんっしょかねぇ〜?
二月も終ろうとしてるし
陽射しも春めき掛けて来てるさかいに
もうええ加減、温かくなってくれても…。
ジムにサンダル履きで行ってるんやケドも
なかなか、「冬を越せた!」っちゅう実感が無い。
野球もオープン戦が本格的に始まってるし
早く現場で野球が観たいっちゅうのと…
単車でどっか走りに行きたいっちゅうのと…
やっぱ、待ち遠しいなぁ…。

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2012/2/26
夕方、駅前に行った時に
以前から気になってた本を買うた。
"にっぽん全国 たのしい船旅"
長距離フェリーの記事はもちろん。
地方の小島を行き来する短距離航路の記事も
細かく載ってて、旅心を沸き立たされるモンがある。
そんな中で、日本の航路からリタイヤした
多くのフェリーが活躍する姿を載せた記事がある。
この本を買う決め手が、この記事である。
その中で、事故によって沈没した
一隻の大型フェリーのコトを紹介した記事があった。
"PRINCESS OF THE STARS"
日本では、"フェリーらいらっく"っちゅう名前で
新日本海フェリーの舞鶴〜小樽航路で活躍した。
2008年に台風の海で転覆し、沈没。
現在も800名以上の行方不明のまま
フィリピンのロンブロン島の近くで
船底を上に向けて、横たわってるっちゅうハナシである。
ぢつは、この船が日本で活躍した末期の
1995年の5月にいっぺんだけ乗ったコトがある。
当時、舞鶴〜小樽航路の就航船舶の中で
1984年就航の"フェリーらいらっく"は
いっちゃん古い船舶やったっちゅうコトで
この船に乗るコトになった時は
"がっかり感"っちゅうモンが少なからずあった。
せやケドも、実際に乗った時には
結構落ち着いて過ごすコトが出来て
悪いイメージが無く、逆に…
「もういっぺん乗ってもええかなぁ…」
っちゅう風に思えた位やった。
それから僅か後、航路からのリタイヤが決まった。
やっぱ、思い出のある船舶の末路としては
かなりショックなモンがある。
この事故から、フィリピンでもかなり
海上保安基準が厳しくなったっちゅう記事もあった。
どこで活躍したモンであってもやっぱ
安全運行で、活躍し続けて貰いたい。
無事に最後を迎えるコトで、"航跡"(功績)が
美しいモンとなるやろうしねぇ。
例え、最初のカタチと違えどねぇ。

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投稿者: GAMMY-SOSA
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2012/2/25
ジムの帰りに、中古DVD店に寄った。
そしたら、滅多に観るコトが無い逸品に出逢えた。
河島英五 "野風僧LIVE"
コレは昨年、没後10年っちゅうコトで
1985年にデビュー10周年のライヴツアー
"野風僧LIVE"の一本で"新宿RUIDO"で行われた
LIVEの映像を編集して販売されたモノである。
帰ってすぐに、観た。
ぢつはこの年の秋、初めて氏のLIVEを観た。
ガッコの文化祭の一環である"芸能鑑賞"で
当時の大阪厚生年金会館大ホールでLIVEをされた。
なんせ、小学校入学前の頃に家のラジカセで
流れて来たんが氏の歌で、口ずさめる歌が多かった。
せやさかいに、初めて生で観れるっちゅうコトで
結構楽しみにしてた。
それが、三年生のあほんだらあが一階席で騒ぎ倒し
純粋に歌を聴きたいワシが三階席で苦虫を噛み潰し乍ら
その有様を黙って観るコトしか出来んかった。
許せるコトやったら、一階席に向こて
生卵でも放り込みたかった(笑)。
せやケドも、90年代から亡くなる2001年までの
ミュージシャンとしての方向性が定まった頃
しかも、他のミュージシャンやったら
些かピークを過ぎた頃に差し掛かろうっちゅう頃に
しっかりとした方向性を持ち、尚且つ
パワフルなパフォーマンスを維持されてた
氏のLIVEが気に入ってたさかいに
この頃のLIVE映像を観て思ったんが
若い乍らも、迷い乍らやってたんかなぁ…?
っちゅうコトを感じてしもた。
せやケドも、初めて生で観た頃のLIVE映像を
もういっぺん観れたっちゅうのは有り難かった。
今でも、毎年五月に意志を継いだカタチで
氏のゆかりのあるヒト達が集まってLIVEをされてる
っちゅうコトであるケドも…。
ワシはやっぱ、氏のパフォーマンスが純粋に好きやった。
それが観れんっちゅうコトで、足を運ぶ気がせん。
っちゅうか、ココ何年かLIVE自体、行って無いなぁ…。

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投稿者: GAMMY-SOSA
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