2014/10/24
今朝の報道番組で、道徳の授業に
"通知簿"での"評価"の制度が導入されるコトになりそう
っちゅうコトを報じてた。
"1〜5"とかの数値化された評価や無しに
各々の理解度をセンセによって表現される
っちゅうコトらしいケドも
評価をするセンセにも、評価をされる生徒にも
それぞれに"戸惑い"があるっちゅうコトが
クローズアップされてた。
この報道でちょこっと感心したモンがあった。
小学校の女性のセンセが生徒たちに
ちょこっとした面白い例えをし乍ら
"思いやりの根っこ"みたいなコトを説こうとしてた。
まず、生徒に対しては…
"お母さんへの請求書"
っちゅうのを作成させる。
内訳はの一例は…
トイレのそうじ…100円
買い物…100円
…とか、家の手伝いをした時の対価を
母親に求めるっちゅう内容である。
コレはワシがガキの頃にもあった日常でもある。
それに対して、センセが生徒に対して…
"お母さんからの請求書"
っちゅうのを見せる。
その中でいっちゃん印象的やったのは…
"ケガや病気をした時の看病代…0円"
それを生徒たちに、なんでそうなんか…?
っちゅうコトを問い掛けるっちゅうやり取り。
勿論、高学年の小学生でも"親の愛情"っちゅうモンを
簡単に熟知したり、理解出来るとは思えんケドも
こういうコトで、愛情や思いやりを育む
ある種の"狙い"っちゅうモンを定めるのはオモロいと思た。
ただ、道徳に評価を下すっちゅうのは
我々素人が簡単に想像出来ん難しさがある。
道徳の授業での理解度を測る"ものさし"として
親御さんに子供の仕草を見て貰う様に
通知簿にお願いしたみたいやケドも
家事を手伝う時に、いつもより念入りになるのは
ええコトやケドも、評価を過剰に気にして…
っちゅうコトに成り兼ねんっちゅう心配がある。
たしかに、"本質"からは若干離れて来る。
評価する方も…
「見られてるから、背伸びしてるんやないかいな?」
っちゅう勘ぐりをも持ってしまうかも知れん。
ホンマもんの"思いやり"っちゅうのを"授業"で
そうそう簡単に育まれるモンや無いやろうなぁ…。
評価をするより先に、"ココロ"から発するコトの
大切さをキッチリと理解させるコトやと感じるんやケドも…
相手がキモチ好く受け止めれる
"ココロからの挨拶"が出来るコト。
ホンマに申し訳無く思うキモチをキチンと伝える
"ココロ"からの"ごめんなさい"。
与えてくれたコトに、ココロからの感謝を伝える
"ありがとう"や"いただきます"や"ごちそうさま"…
基本的なコトが出来ん若者が多い中
こういうココロを育む"本質"にもういっぺん
立ち返って欲しいとワシは思う。
礼節を重んじる、日本がが誇れる素晴らしい"ココロ"。
どうかそれを育んで貰いたいモンです。

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投稿者: GAMMY-SOSA
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