2006/10/11  1:26

決意です。  

10月8日(日)晴れ

台風もどきの低気圧が去って、漸く晴れた感じがする。今日は学習塾の集まりで鳴門に行く。しかも古巣のホテルでの会合だ。全国から塾の先生方が集まってくる。国会議員の先生も来られるとのこと。不謹慎だがあまり興味がない。ただ行く以上は熱心に話は聞こう。そして考えよう。そしていろいろな先生方と話を交わし自分にフィードバックしよう。そんな程度だ。仕事としての小旅行である。念のため。
しかし、それ以上に僕には今回の鳴門行きは意味のあることとして捉えていた。
帰郷。
紛れも無く鳴門という地は僕にとって第二の故郷だ。18歳の僕が初めて家族と別れて一人暮らしを始めた場所であり、すっぱい部分も甘い部分も苦い部分も全て僕を照らし出す街。実は5年ぶり、しかもその5年前は「行くんじゃなかった」と後悔した、何も無い小旅行、まさに「素通り」的なものだった。友人も今はほとんど残っていない。

僕は高校時代、いわゆる進学校に通っていて、でも勉強への目標や興味はとっくに失せており音楽だけが自分を支えている全てだった。本当に朝から晩まで参考書も見なければいけなかったが、実を結ばない単語より自分で歌ううれしさにどっぷりとはまって、もう自分は音楽で飯を食うんだ。とにかく音楽をやりたい、出発点はそれだった。都会への憧れはあったが都会に行くほど金持ちではなかったし自分なりにバランスをとって導き出した解は、「国立大学(どこでも良い)」「将来的には教員を目指す(親の願い)」「一人で暮らすこと」「なるべく自分で生計を立てること」だった。で行き着いたところは「鳴門教育大学」決して努力の成果ではない。ただ遊んでいたわけでもない。だから塾の先生をしているからといって「学歴」でモノをいうネタも無い。というかそのつもりも無い。僕は鳴門の6年間にいろいろな出会い、そして別れ、そして成就と諦観と自信と後悔を人並みに学んだ。ただそれだけだ。でも僕にはとてつもなく大事な時間であったし、この街で学んだことが今の自分のベースを間違いなく作っているのだ。
自分は弱い。こうキッパリと言える強さは今の自分には存在する。
そして昔より優しくなったと他人に胸をはれる。
痛みには多少抵抗力がついたし、痛みを散らす術も覚えた。
生きていくために、ちょうど良い時期に、もう一度鳴門へ行く。

今僕には妻と4人の子供たち、そして年老いた母と向き合って生きている。地に這う生活をしている。仕事はそれなりにこなしている。だからといって思い描いていた形でもない。だから不幸だとも思わないし思えない。ようやくここまでたどり着いた気がする。カッコよく生きてはいないが、まだ先に進んでいけそうな気がする。
今回の研修旅行はまさに自分の青春との決別であった。
鳴門へは高速ではなく通いなれた道を走らせた。車では長渕剛の「夢破れて」がかかっていた。鳴門に近づくにつれてどこか封印していた感情が胸の奥をチクチクと刺す。人間ってつくづく感情の生き物だ。プラスとマイナスでは間違いなくプラスのはずなのに。切ない気持ちは34歳には結構残酷である。でも今の自分なら面と向かって立ち向かえると思う。

少し早く着いたので行きつけの「三八」というラーメン屋へ。ラーメンの味は変わらず、そこに彼女と彼女の彼は当然ながら座っていなかったし、知っている人も誰一人いなかったが、ラーメンの味は変わらず、濃厚な味。昔は高くて食べられなかった「肉入り大盛り(700円)」を昼食とする。
それから今日の会合が開かれる「ルネッサンスリゾート」へ。ここで6年近く警備員としてアルバイトをしていた。大学のことはあまり思い出さないがここでの夜勤は夢に見るくらい濃厚だ。その会社も様変わりしたようだが懐かしい面々と逢えたことは、やっぱり嬉しい。そしてあれから別々の道へ進んだ友達の顔も、当然会えなかったが懐かしい。本当は懐かしいという感情だけではない。だけど、もうそれで充分です。男の付き合いはたとえ5年、10年離れていてもすぐに雪は解ける。僕は先輩からそう教わったし、それは正しいと思う。

このホテルまでの道は車の免許を持たなかった僕にとって厳しいものだった。寒くて手も悴むような冬でもズボン2重にはいて夜6:00にチャリンコこいでよく海岸ぶちをこいだっけな。でも、毎日そんな感じじゃなかった。当時の僕は僕のプライベイトにはいつも彼女が横にいた。彼女は現在風のうわさでは北のほうにいるらしい。もう子供はできたのかな。ちょっと彼女のことを語りだしても足りないし、妻もいる身ですから。でもとてつもなく大きい存在だった。向こうはどんなふうに僕を思っていたのかな?うん、それは気になる。こういう感情に至るまで、僕は「風化」を待ちました。それが「10年」かな・・・。
そうだ、これは「風化」なんだ。

親父が癌で他界して1年半、なんか心では先に行こうと思いつつも自分のこと精算し切れなかったのは事実だ。そのためにこの街にやってきて、いろんな残骸を見て(というか10年の変貌とでも言おうか)、苦楽をともにした地下駐車場は万感募りつつ1周し、下宿の方へ行こうかとも思ったが、もうこれで充分だ。

これで鳴門での生活が、友人が「過去」のものとなれた気がする。
晴れ晴れした気持ちで二日酔いの頭をおさえつつ、僕は丸亀へと車を走らせた。
さらば鳴門、さらば友よ、さらば青春の日々。僕はにっこりと笑って、全てを肯定してこれからも生きていく。
さぁ、今からは動く時期だ。

2006年10月9日 小玉孝章 文責
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