軍国主義へのとまどい、ためいき(青年寄宿舎日誌17)  青年寄宿舎

田端先生の抜き書きシリーズ12

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軍国主義へのとまどい、ためいき 

昭和7年10月23日(日曜日)

朝から天気良好なれど風強し。 予科生、本日日曜だと云ふに午前十一時より中島公園に於いて国防義会大会に武装して引き出され国防行進なるものを行ひし頃より雨降、帰学の時、既に皮膚に達する有様、何の因果か、何とそれ軍国の秋よ。三時既に帰舎す。不平満々。夜、ヂンバリストの提琴大演奏会、大多数の舎生出掛け失我の境を味わって帰る。夜、天気良し。

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【コメント(田端)】

  昭和7年(1932年)は5・15事件の年、前年の満州事変から翌年の国際連盟脱退に至るような軍国主義の風潮が極端になってくる頃で、既に平和運動、左翼運動などは厳しく弾圧される時代になっていました。軍国主義批判の言葉がはっきり日誌に書かれることもあり得なかったようです。しかし、その風潮へのとまどい、嘆息に見える記事はいくつもみられます。ここでは日曜日、雨の中、国防行進に「引き出され」ずぶぬれで帰った予科学生の「不平満々」を紹介して、「軍国の秋」を歎いているようです。偶然か、想いをこめた修辞か、世界に名声の高いバイオリニストの名演奏を聴く「失我の境」を対比させて書いてある所がなかなか味があると思いました。 

第○師団の○○市出発を送る「人の山、旗の渦」の大感激を書いた後に「さあれ、国家の干城よ、一時の感激の後に定めなき運命の神に導かれんとは」と記したり(昭和7年9月26日)、 「本年の演習の余りに多いに驚く」(同年11月4日)と記したりしています。

10月27日には北大でも行われた「大学赤化事件の処分発表」について意見が書いてありました。「何を標準の罰か、彼等の将来を思はばもっと軽くしてやる方が穏当ではないかと思ふ。」というものでした。

 なお、この頃の日誌執筆者=文芸部委員はF.W.君でした。
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